第109話:【実食】熱泥芋虫の天然岩塩包みホイル焼き(ウニを超える極上珍味)
地下空洞の乾いた玄武岩の上に、黒曜石の熾火が静かに赤熱していた。
煙をほとんど出さない高密度の黒曜石の炭火。
その赤黒く輝く炭の上に、大粒の氷晶岩塩で隙間なく包まれ、さらに濡らした白樺の耐熱樹皮で二重に巻かれた《熱泥芋虫》の包みが並べられた。
パチッ……パチパチッ――。
炭火の熱が樹皮を伝わり、内部の岩塩の結晶が心地よい音を立てて熱変性を起こしていく。
岩塩が熱を蓄えて均一な遠赤外線を放射し、芋虫の外皮をゆっくりと、だが確実に蒸し焼きにしていくのだ。
やがて十分ほどが経過した頃――。
樹皮の合わせ目から、ふわりと立ち上った一筋の純白の蒸気。
その瞬間、洞窟内の空気が一変した。
「……っ!? な、何ですの、この芳醇すぎる香りは……!?」
最も遠くへ離れて警戒していたシェリルが、思わず杖を握り締めたまま鼻をひくつかせた。
漂ってきたのは、虫を焼いているような焦げ臭さなど微塵もなかった。
上質な無塩バターとバニラビーンズを焦がした濃厚なキャラメルソースのアロマ。
そこに、獲れたての新鮮な生ウニを炭火で軽く炙った時のような、芳醇極まりない海のミネラルとナッツの香ばしさが重なり合っていた。
「よし、焼き上がったぞ」
バルツがトングで炭火から樹皮の包みを引き上げた。
まな板の上に置き、ナイフで樹皮の紐を解くと、中からはカチカチに白く焼き固まった、楕円形の「天然塩釜」が姿を現した。
バルツは解体小刀の背で、その塩の殻をトントンと軽く叩く。
パリンッ!
心地よい破砕音と共に、ひび割れた岩塩の殻が左右に綺麗に割れた。
現れたのは――金色にこんがりと色づいた、熱泥芋虫の姿であった。
余分な水分が岩塩に吸い取られたことで、純白だった薄皮はまるで極上のパイ生地や湯葉のようにパリッとしなやかに引き締まり、パンパンに膨らみ上がっている。
バルツが小刀の刃先で、その胴体の中央へと、わずか一筋の切れ目を入れた。
サクッ……トローリッ。
薄皮が弾けた瞬間、内部から溢れ出してきたのは――。
目も眩むような鮮やかな黄金色に輝く、超濃密なペースト状のクリーム体液であった。
まるで完璧な火加減で焼き上げられたフォンダンショコラや、蒸したての極上ウニのペーストのように、熱々の湯気を立てながらトロトロとまな板の溝へと流れ出していく。
「う、わあぁぁぁぁ……! すっごく綺麗ニャ……! 黄金のプリンみたいニャー!」
ニーナが目をキラキラと輝かせ、我慢できずに木製のスプーンを伸ばした。
ティオも唾をごくりと飲み込みながら、スプーンを黄金のクリームの真ん中へと突き刺す。
「い、いただきますっ!」
スプーンですくい上げた黄金のクリームを、ティオとニーナが躊躇なく口の中へ放り込んだ。
そして――。
「「――っっっ!?!?!?!?」」
二人の全身が、落雷に打たれたかのようにビクンと跳ね上がった。
次の瞬間、瞳孔が見開かれ、頬がリンゴのように真っ赤に染まる。
「「「うっっっっっっっっっっまーーーーーーーーーーーいっっっっっっっっっっっっ!!!!!」」」
二人の絶叫が、地下空洞の天井を激震させた。
「な、なんだこれぇぇぇっ!? めちゃくちゃ甘くて、めちゃくちゃ濃厚だ!! 生臭さなんかゼロ、泥の砂っぽさも一粒もねえ!! 舌に乗せた瞬間に、雪みたいにフワァッと溶けて、喉の奥へ滑り落ちていくぞ!!」
「ニャあああああああっっ!! ウニだニャ! 最高級のウニに、甘い生クリームとバターをぜーんぶ溶かして混ぜたみたいな味ニャー!! 皮がパリッとしてて、中のクリームがとろっとろで……噛むたびに頭がクラクラするニャ〜〜〜!!」
ティオは夢中でスプーンを動かし、ニーナは木皿を抱えて顔を突っ込まんばかりの勢いで黄金のクリームを舐め取っていく。
そのあまりの尋常ではない狂乱ぶりに、シェリルは生唾をゴクリと飲み込んだ。
「ま、まさか……あんな芋虫が、そんなに美味しいはずが……。ティオもニーナも、大袈裟ですわ……」
「嘘だと思うなら、一口舐めてみろよ、お嬢様」
バルツが苦笑いしながら、熱々の芋虫の包みを一つ、シェリルの前へと差し出した。
パリッと割れた薄皮の奥から、甘美極まりないバニラと焦がしバターのアロマが、シェリルの鼻腔をダイレクトに擽る。
貴族としてのプライドと生理的な恐怖が「拒絶しろ」と叫んでいた。
だが、空腹の胃袋と知的好奇心が、震える右手をスプーンへと伸ばさせた。
「ほ、ほんの……スプーンの先、1ミリだけですからね……! 変な味がしたら、絶対に許しませんわよ……!」
シェリルは固く目を瞑り、スプーンの先にわずかに乗せた黄金の雫を、恐る恐る自らの舌先へと乗せた。
その瞬間――。
「――っっ……ぁ……っ!?」
シェリルの口から、艶めかしい吐息が漏れた。
舌先の味蕾に触れた刹那、信じられないほどの濃密な甘みとコクが、爆発的な勢いで口腔内全体を席巻したのだ。
「な……何ですの、この上品でとろけるような甘みは……!? お砂糖のくどい甘さではない……! 極上のトレハロースと天然酵母が織りなす、天上の果実のような澄み切った甘美……!! そしてこの脂のコク……! フォアグラよりも滑らかで、最高級のウニよりも純粋で……雑味が一切ありませんわ……!!」
カラン、と魔導杖が地面に落ちた。
シェリルは両手で自らの火照った頬を押さえ、トロンと潤んだ瞳で芋虫の断面を見つめた。
全身の魔力回路が、芋虫に含まれる圧倒的な耐熱アミノ酸と糖分によってポカポカと温まり、霊峰の冷え性の名残すら完全に消滅していくような万能感が全身を満たしていく。
「あ、温かい……身体の芯から、力が満ちあふれてきますわ……! あ、あの……バルツさん……!」
「ん? どうした?」
「も、もう一口……いえ、私にこの一本を、丸ごといただく権利をいただけませんかしら……っ!?」
さっきまで「虫なんて死んでも食べません!」と絶叫していた名門令嬢が、今や両手で芋虫を大切そうに抱え込み、スプーンで大口を開けて頬張っていた。
パリパリの皮の食感と、溢れ出す黄金クリームのハーモニーに、「んんっ……幸せですわ……!」と蕩けそうな笑みを浮かべて完食してしまう。
「ば、馬鹿な……! あのシルフィード家のご令嬢が、芋虫を夢中で貪り食っているだと……!?」
宮廷料理長ジャン・マルセルは、自らの目を疑った。
だが、ジャン自身もまた、その抗いようのない芳香に理性を焼き切られかけていた。
ジャンは震える手でスプーンを握り、黄金のクリームをすくって口へと運んだ。
そして――。
「う……うわあああああああっっっ!!!!」
ジャンの口から、魂の底からの咆哮が轟いた。
ジャンは両膝を玄武岩の地面に叩きつけ、大粒の涙を流しながら叫んだ。
「敗北だ……! 完全なる敗北だ……!! 王都の貴族共が競い合って買い求める数万ギルの最高級キャビアやフォアグラ、北方貴族の生ウニすら……この泥の中の芋虫の一切れの前に、完全に霞んで消え去ってしまう……!! この完璧な火入れ……岩塩による熱の均一化と外皮のクリスピー化……! これが……これが辺境の狩人の『解体料理』だというのか……!!」
ジャンの絶対味覚が、完璧な降伏を告げていた。
中央の権威や虚飾など、大自然が育んだ命の真の力の前には、砂粒ほどの価値もなかったのだ。
隣でルキウスもまた、監査官としての威厳を完全にかなぐり捨て、無言で三本目の芋虫を口いっぱいに頬張っていた。
十本の熱泥芋虫は、瞬く間に全員の胃袋へと消え去った。
一行の身体には、灼熱の過酷な環境を物ともしない、無尽蔵のスタミナとエネルギーが満ち満ちていた。
だが――至福の余韻に浸る洞窟の外から、突如として不穏な爆発音と、何百人もの悲痛な叫び声が風に乗って響き渡った。
王都調査隊の本隊が待つ前線基地で、未曾有の破滅の危機が牙を剥いていたのである!




