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1話:ダンジョンの底には天使が居る*1

 ぴちょ、と、水滴が落ちる音が響く。

 古びた石造りの部屋。半ば苔や植物に浸食されて崩れかけた天井からは、また、水滴が滴り……倒れた男の兜の隙間へと落ち、彼の目元を濡らした。

「……最悪だ」

 男は、がしゃ、と重々しく鎧の音を響かせつつ体を動かし……周囲を見回し、自分の状態を確認して、深々とため息を吐いた。

「まだ、生きてるなんて……」


 ……ここは、ダンジョンの奥底。

 生きた人間が立ち入ることなど無いはずのそこで、彼は未だ、生きていた。

 仲間に疎まれ、裏切られ、それでも。




「ああ……兜も駄目だな。直せそうにない」

 さて。

 男は鎧を……否、鎧『だったもの』を脱ぎ捨てていた。

 脛当て。腿当て。肩当ても捨てた。胸当てはそのまま使えそうだが、若干、首のあたりがおかしくなっているのは叩いて直す。バイザーが歪んで、片目の視界を完全に遮るようになってしまった兜も、容赦なく捨てる。

 これらの鎧は、魔導の代物であった。耐衝撃、耐火、動作補助……様々な機能を備えていて、それ故に値の張る代物ではあったが、今や、その魔法の力はすっかり失われてしまったようだった。

 そうでなくとも、あちこち傷つき、ひしゃげ、歪み、ただの鉄の塊と化した鎧は最早、男の身を守る役には立たず、ただの重石にしかならない。それならば、ここで捨てていってしまった方がいい。それに何より……最早、このような鎧は、この男には必要ないのだ。

「……久々に脱ぐと軽いな」

 兜も脱ぎ捨てたことで露わになったその目は、雨に煙る草原めいた、灰とも緑ともつかぬ色。そして髪も、燃え殻(シンダー)の色をしている。

 それ故に、この男は自分の名を、『グレイ・シンダー』と名乗っている。

 ……物心ついた頃には、1人だった。名前など分からなかったから、適当に付けた。そういう出自の人間は、まあ、そう少なくないのだ。特に、このあたりでは。

 そして、そうした人間が寄り集まって『パーティ』を組み、共に『ダンジョン』へ潜ることも、よくあることだった。


 ダンジョンには危険が多いが、同時に、稼ぎも大きい。ダンジョンの魔物の牙や毛皮、珍しい薬草の類、貴重な魔石……。時には、古代の遺物や素晴らしい宝物が見つかることだってある。

 よって、グレイもそうだが、身寄りのない者達が生き延びる手段として、『ダンジョン』での稼ぎは悪くない。どうせ、安い命だ。ダンジョンに賭けるなら悪くない、と考える者は多い。

 とはいえ……いくら『安い命』だからといって、身寄りの無い者同士が誰かを意図的に殺す、といったことは、あまり起こらない。特に、『パーティ』の中では、尚更だ。

 何せ、身寄りの無い者達が集まる理由の1つは、互助である。自分達が、いわゆる『死んでも探されない存在』だということは重々承知の上で、それ故に仲間を作り、『ギルド』に登録して、そうして、他者とのつながりを作るのだ。

 だから彼らは、自分が殺されないために、他の誰をも殺させない。

 自分が裏切られないために、誰の裏切りも許さない。

 ……そう。それが、普通なのだ。哀れな被害者が如何に身寄りがなくとも、それをダンジョンの縦穴へ突き落とすことなど、許されざることであるはずなのだ。


 被害者が、『余程の嫌われ者』でもない限りは。




 ……さて。

 鎧の大半が駄目になったグレイであったが、幸いにして、彼の得物は無事だった。

 それは、斧槍(ハルバード)と……大楯(スクタム)である。傷はあるが、この分なら十分にまだ使えるであろう。

 グレイはそれらを手にしつつ、『ああ、篭手が生きててよかったな』とため息を吐いた。……この篭手は、鎧よろしく魔導の代物だ。これ無しに長時間、大楯を扱うのは中々に厳しい。

 斧槍を振り、大楯を構えて、それらがまだ十分に機能することを確認して……。

「……ん?」

 ふと、気配を感じてグレイは身構えた。

 鎧の大半を失った今、グレイの身を守るものは大楯と……自らの技術のみ。敵を察知し、すぐさま攻撃に身構えられるその技術こそが、鎧より盾より、身を守る。

 ……だが。

「……は?」

 身構えたグレイは、思わず気の抜けた声を漏らした。

 グレイの視線の先では……もよん、と。

 珍妙な姿をしたスライムが、その姿を覗かせていた。


「ウサギの、耳の、スライム……?」

 ……そのスライムは、頭上で2本の突起を揺らしていた。さながら、ウサギの耳のように。

 更に、そのスライムの尻の部分には、やはりウサギの尻尾めいたでっぱりがある。全体的に丸っこいので、余計にウサギのような有様だ。

 グレイはこれを、不思議に思った。というのも……ウサギに擬態するかのようなスライムなど、見たことがない。それどころか、聞いたこともない。ダンジョン深部にしか居ない、珍しい品種なのだろうか。

 とはいえ、これは好機であった。いかなる格好をしていようとも、スライムは概ね大人しい魔物だ。大して強くもない。……特に、グレイにとっては、『すぐ追い払える魔物』である。

 そして。

「……よし。これで水源は確保できる」

 ……スライムが生息しているということは、近くに清い水の湧く場所がある、ということに他ならない。それを知っているグレイは、グレイを見てさっさと逃げだしたウサギ耳のスライムを追いかけて、ダンジョンの奥へと、足を踏み出す。




 ウサギ耳のスライムは案外すばしっこかったが、後を追いかければ、1つの部屋の中へ入っていくのが確認できた。

 とはいえ、『スライムの後を追いかけて罠にかかって死んだ』などという話が後を絶たないのが、ダンジョンという場所である。グレイは慎重に罠を見極めつつ、壁から射出された矢は大楯で払い、天井から突き出てきた杭は斧槍で突き壊し……道中、全ての罠を起動させつつ、しかしそれらを完璧に防いで、進んだ。

 ……と、しばらくやってから、『ああ、もう罠をわざわざ起動させる必要はなかったんだったな』と思い出す。……まあ、自分が元来た道を戻ることも考えれば、決して無駄ではなかっただろうが……本来ならば、誰か、後続の者が居る時にやるべきことだ。

 グレイは1人だ。1人に、なった。……そう頭では理解しているのだが、中々どうして、体に染みついた癖というものはすぐに変えられない。罠を見かけたら身構えながら起動させる。それが、グレイの役割だったのだ。ずっと。


 グレイは『やれやれ』とため息を吐きつつ、ウサギ耳のスライムが飛び込んでいった部屋のドアの向こうの様子を窺う。

 ……グレイは学が無いが、それでも、感覚で操れる類の魔法……五感の一部を強化したり、筋力を強化したりする魔法は、操れる。

 そうして、グレイが特に得意とする聴覚の強化を行って、グレイは部屋の向こうの音を聞く。

 すると。

 ……グレイの耳には、少々緊張した様子の、女の声が聞こえた。


 一瞬、グレイは迷った。

 こんな場所に人が居るわけがない。

 だが、万一、人が居たならば、助けに入った方がよいのではないだろうか。

 しかし、本当に?人を助けてやる義理など、あるのだろうか?

 そもそも人を助ける余力があるだろうか?体は傷つき、魔力も大分消費しているというのに。

 そして……『自分が』助けに入るべきだろうか?相手は、それを望むか?よりによって、この『グレイ・シンダー』が来ることを?




 ……そうして逡巡したのも、ほんの2秒程度のことだ。

「ああ、くそ!」

 グレイは、できる限り威勢よく……もしドアの先に魔物が居たとしても、一瞬くらいは怯んでくれるように、と、ドアを蹴り開ける。

 古びたダンジョンの古びたドアは、グレイに蹴られて蝶番が吹き飛んだ。そこへ、グレイは大楯を構えて突進する。

 そして。


「……おいおい、なんだ、これは……」

 グレンは、奇妙な光景を目にしていた。

 そこには、凶悪な魔物も、哀れな被害者も、居なかった。

 ……スライムだ。スライムの大群が、部屋の中に居る。ウサギ耳ではない、ごく、普通のやつが。

 しかし、奇妙なことに……普通であればグレイを見てすぐ逃げ出すはずのスライム達が、逃げないのだ。ただ、何かを守るかのように、ぷるぷると震えながら、じっ、と、動かずに居て……。


「えっ……人、なの……!?」

 ……そんなスライム達に守られるようにしてそこに居たのは、ウサギ耳のスライムを胸に抱いた女であった。




 ……ただの女が、こんなダンジョンの奥底に居るわけがない。

 だが、この女は『ただの女』ではない。そう、グレイは直感した。

 彼女から感じ取れるのは、強い魔力。……グレイよりも更に強いそれを感じ取って、グレイは、強者を前にした時の緊張を覚えた。

 しかし……妙なことに、敵意は、抱けない。

 彼女の、薄紅を纏った金髪……桃色にも見える美しい髪の先が揺れるのを見て、青空を切り取ってきたかのような美しい瞳を見て……ただ、美しい、と。そう、思う。あまりにも美しく、可憐で、守ってやりたくなる。彼女の不興を買うことが、恐ろしい。

 ……つまるところ、『好きだ』と、思う。


 そう。人間嫌いのグレイとしてはありえないことに……なんと、彼女を一目見て、好感を抱いてしまったのだ。

 目の前に居るのは、そういう女だった!




 自身のその感情に違和感を覚えつつも、グレイはただ注意深く、彼女を観察した。

 すると同時に、彼女もまた、グレイを観察していた。その、美しい空色の相貌が、じっ、とグレイを見つめてくることに気付いて……途端、グレイは思い出す。自分がどういう奴であるかを。

「あ……悪いね。その、脅かすつもりは、無かったんだ。敵意も、無い。ただ……」

 結局、グレイはしどろもどろに言葉を零しつつ、一歩、二歩、と後退した。

 グレイは喋るのが得意ではない。『ああ、これならいっそ、黙って出ていった方がよかったか』などと思いながらも、何と言うべきかを、よく回らない頭で必死に考えて……。


「待って!」

 そうしている間に、女が声を上げていた。

 更に、女は緊張に強張った表情でありながら……勇ましくも、スライム達の間を抜けて、つかつか、とグレイに近付いてくる。グレイは『おいおいマジかよ』と思いながらも動けず、ただ、そのまま女の接近を許し……。


「……お願いがあるの」

 驚くべきことに、女は、グレイにそう言った。

「私を、ダンジョンの外に連れて行って!」




 グレイは一瞬、何を言われているのか分からなかった。だが、少しずつ、言葉の意味を考え……そして、自分がどう返答すべきかも、理解した。

「……あんたの願いなら聞いてやりたいところだが、悪いね。ご期待に副えるとは、思えない」

 グレイが、少々落ち込んでいる自分自身を外から眺めるような情けない気分でそう答えると、目の前の彼女は、少しばかり、むっとした。

「でも、これだけ深部に居るんだもの。あなた、かなりの手練れでしょう?魔力だって、強いみたいだし……」

 ……恐らく、彼女はグレイを誤解している。

 彼女は、グレイを『単騎でこのダンジョンの奥深くまで来られるような強者』だと思っているのだ。そして、その上で『単に気乗りしないから、お願いを断ろうとしている』とでも。

「……違う。落ちてきたんだ。色々あって……その、ダンジョンの縦穴に落ちたんだ。それでここまで辿り着いちまったってだけさ」

「そんなことって……」

「あるんだ。現にあった。信じられないっていうんなら、俺の魔導鎧の残骸を見せてやってもいいぜ。高所から落ちても『中身』が無事だった代わりに、『外側』はほとんどがゴミになった」

 グレイが説明すると、女は戸惑うように視線を彷徨わせた。

 ……折角、ここを出られる可能性が見えたところだったのだろう。だというのに、ここへ来たのは救いの手を差し伸べられるような奴ではなかった。どれだけ落胆させただろうか、と、グレイは少々、申し訳ないような気分になってきた。


 だが。

「……だったらあなたは益々、私と組むべきね!」

 女は、空色の目を輝かせて、笑ってみせるのだ。まるで、このダンジョンを照らす太陽か何かのように。

「ここに居るのがあなたの意思じゃないなら、あなたはここから脱出したい。そうでしょう?」

「脱出……」

 一瞬、グレイは逡巡した。

 だって、グレイは戻るべきではない。帰還を望まれていない。死んでいるべきだった。望まれた通りに。

 ……だが。

「よかった!それだったら利害の一致!私も気楽にやれるわ!」

 そう言って喜ぶ女を見ていたら、『俺は脱出しない』などとは、言えない。

「私、エメディア・アンバーローズ。あなたは?」

「あー……グレイ・シンダー」

「グレイ・シンダー、ね。よろしく!」

 エメディア、と名乗った彼女に手を握られて、グレイは、思い直す。

 ……くそったれな人生だが、善行は積んでおくべきだろう、と。即ち……エメディアだけでも、地上に帰してやるべきだろう、と。何せ、こんな、可憐な花のような女だ。暗く湿っぽいダンジョンの奥底で咲かせておくのは、あまりにも不憫でならない。

 そして、グレイ自身についても……『まあ、地上に戻ったら嫌がられるんだろうが、今に始まったことじゃないしな』と、思い直した。


 ……グレイをダンジョンの底へ突き落したパーティの仲間達に、思いっきり嫌がらせしてやるというのも、悪くはないのかもしれない。

 どうせ、嫌われ者の身なのだから。




 さて。

 そうして『脱出』を目指すというのなら……グレイには、最初に確認しておかなければならないことがある。

「あー……アンバーローズ、さん?」

「エメディア、で構わないわ。私もあなたのこと、グレイ、って呼ぶわね」

「そうか。ああうん……じゃあ、エメディア……」

 グレンは『なんてこった』と思いつつ、尋ねた。

「あんた、俺と一緒に居て、何ともないのか」


「……どういうこと?」

「その……こんなのと一緒に居ることに、嫌悪感は無いのか?或いは、あー……俺を殺したくなったりとかは?」

 エメディアは、眉根を寄せて、首を傾げる。だが、じっ、とグレイを見つめて……慎重に、言葉を探しながら言った。

「……実のところね、ちょっとだけ、あるわ。その……妙なかんじが。あなたを警戒しなきゃ、離れなきゃ、っていうような、そういう感覚……いえ、これ、もしかして、『嫌い』っていう、ことなのかしら……?」

 グレイは、エメディアの言葉を聞いて『ああ、やっぱりな』と安堵するような、或いは少々落胆するような、そんな気分になりつつ、曖昧に頷いた。

「あの、そういう呪いでも受けたの?ダンジョンの罠?」

「あー、それならマシだったかもな……」

 グレイは深々とため息を吐いて、そして、特に隠すべきでもなんでもない、グレイの最も大きな特徴を告げた。


「俺は……『誰からも嫌われる』っつう、非常に『ありがたい』恩恵を、授かっちまったもんでね……」




 ……そう。

 この世界の人間の中には、『恩恵(ギフト)』を持つ者がいる。

『恩恵』は、生まれつき備わっている、非常に強い力だ。炎を操れる恩恵であったり、動物と心を通わせられる恩恵であったり……種類は様々だが、一様に、皆、強力である。

 そして……そんな中で、グレイが持つ『恩恵』は、『誰からも嫌われる』というもの。

 ……グレイは、碌でもない人生を神に約束された人間なのだ。




 しかし。

「ま、そういう訳で、俺と一緒に居ると、その、気分が悪いだろ。だから……」

「ええ。運命だわ」

 エメディアは、がしり、とグレイの手を握った。それはそれは、嬉しそうに。絶望の中で一片の希望を見つけてしまったかのように。つまり……グレイが、これまでの人生の中で、一度たりとも人に向けられたことのない類の、そんな顔で!


 ……そして。

「私、『誰からも好かれる』っていう、とーっても『厄介な』恩恵を授かっちゃってるのよ……。そのせいで、このダンジョンを脱出することができないの!」

「は……?」




 ……エメディアの言う通り、『運命の出会い』というものがあるのならば、これは間違いなくそれだろう。

 グレイはどこか遠く、そう感じていた。


 何はともあれ……かくして、『絶対に嫌われる男』と『絶対に好かれる女』は、手を取り合うことになってしまったのである。

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― 新着の感想 ―
新作ありがとうございます! 剣と魔法に魔導鎧!とても楽しみです。
ウサミミスライムはこれか
デスゲームⅡから来ました。 そこでの予告も見てましたので、冒頭を読みつつ『もちもち先生のダーク回作品か……』と思ってましたが うさみみスライムという、カオスのかほり そして、どんな暗闇にも『善なる…
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