10:食らえ、大空の覇者
始まりがゆったりならば、終わりは慌ただしくが魔術史編纂室だ。
定時である十七時の、五分前から身支度を整え、時間と共に全員外へ出る。
そのまま散り散りに、それぞれの家に帰宅するのがいつもの流れであるが――
「あれ? 今日は一緒なの? デート?」
ユージンとキリエが同方向へ、隣り合って歩き始めたことに気付き、ノアが無邪気に首をかしげる。
すかさず、ユージンの繊細な顔がしかめられた。金色の目も、不機嫌そうに細められている。
「嫌な冗談言わないでください。セクハラで訴えますよ」
「そうっすよ。お買い物に、付き合ってもらうんす。近所のスーパーが特売日なんすよ」
「なるほどね。それは男手が欲しいところだね」
キリエの自宅最寄りのスーパーは、こうして定期的に特売日を設けている。その日は大荷物になるため、キリエはよくユージンを同行して、特売に臨んでいるのだ。
快活に笑ったノアだったが、大量生産品の腕時計を見下ろし、やだいけない、と口走る。頬に手も添えた。
「僕も早く帰らなくちゃ。今日は奥さんと、二人でデートなんだよ」
「いいっすね!」
「夫婦水入らず、楽しんでください」
部下二人に見送られ、ノアが小走りで管理局の西通用門へ向かう。
さて、とユージンがキリエを見下ろす。
「それじゃあ、行くか」
「うっす。同行ありがとうございます」
ぺこりと頭を下げたキリエが先頭に立ち、二人で東通用門から外へ出る。
ユージンはいつも猫に変身して、木々を伝って出勤あるいは退勤しているため、妙な気分だった。
慣れない気持ちで、身分証でもある管理局の刻印入りネックレスを門番に見せながら、通用門をくぐった。
日は徐々に傾きかけているものの、まだ外は明るい。
石畳の道を、前後に並んで進む。
すらりとしたキリエの背中へ、ユージンが声をかけた。
「そういえば、今日の目当ては何なんだ?」
「卵っす。ドラゴンの卵!」
ぐるりと振り向いたキリエが、猫目を輝かせて宣言した。そしてユージンへと身を乗り出す。
「ドラゴンの卵なんて、特売日じゃないとお高くて、買えないっすもん!」
ドラゴンは生息地が限られており、おまけに個体数も少ない。ついでに産卵数も少ない上に、バカでかい。
更に言えば、栄養価も恐ろしく高い。
そんな様々な条件が重なって、ドラゴンの肉と同じように卵もまた、高級食材であった。
「お嬢様なのに、その辺はしっかりしてるんだな」
苦笑した彼へ、後ろ歩きのまま笑って首を振るキリエ。
「実家からは、援助受けてないっすから。自分の給料を、いかにやりくりするかが重要なんで。うっす」
藪蛇、であったらしい。被っているフードを、更に目深に被りなおして、ユージンはうつむいた。
「そうだったか……悪い」
「いえいえ」
今度は手を振って笑うキリエ。
「元々、魔術に目覚める前からドロップアウト寸前でしたから。今は手に職もあるし、むしろ気楽でいいっすよ」
「お前ってたくましいよな」
目を細め、ユージンがぽつりと言った。
スパイとしての身分をはく奪された時、彼はもっと不貞腐れ、自暴自棄だった。キリエのこの前向きさが、彼にはまぶしいのだ。
「やだなあ。マッチョにならないよう、気を付けて筋トレしてるっすよ!」
何故か頬に手を添えて照れながら、キリエは腰をくねらせる。たしかに腰回りも細い、が。
「いや、そういうたくましい、じゃねえよ。比喩だよ、比喩」
特売に乗り遅れないよう、早歩きで進みながらユージンは眉をしかめた。
キリエに先導してもらわずとも、何度も付き合って歩いた道程だ。すっかり地図が、脳内に叩き込まれている。
彼と並んで歩くキリエは、なぜか情けない顔だった。肩も落ちている。
「先輩……元ヤンに難しいこと言わないでくださいよ」
「元ヤンどころか、現役のヤンキーだろ」
「もう路地裏ボクシングとかはしてないっすよ」
「ヤンキーとしても気合入り過ぎだろ、お前。もっとマイルドにグレられなかったのか?」
キリエの自宅最寄りのスーパーに到着し、買い物カゴを二つ取りながらユージンは尋ねた。一つのカゴを、キリエへ渡す。
「どうもっす――ウチの家訓……って言うんすか? アレが、『常に一番を目指せ』だったんで、どうせなら非行で一番になってやろうかなーって。あ、でも、強かったから、ほとんど殴られなかったっすよ!」
胸を張るキリエに、ユージンはげんなりした。
可愛い顔をしているので、そんなことは言われなくても分かる。
「親後さんも、非行に走ってまで、家訓を達成するとは思わなかっただろうな……」
「学校の裏番もシメたって話したら、卒倒してたっすね」
「まだ番長制度があることに、俺は驚いてるよ。俺らの時代で終わったと思ってた」
「時代が変わっても、そこに生きてるのは、相変わらず人間っすからね」
しみじみ言うキリエを、置いてけぼりにされたような顔つきで、ユージンは見つめた。
「お前ってよく、そういう名言っぽいこと言うよな……」
果物コーナーと野菜コーナーの間に、卵が陳列されている。
ボーリング玉大の卵が、四つ並んだパックをキリエは抱えた。特売品のサイズがサイズのためか、普段の特売と比べて、そこまで人だかりは多くない。悠々と、彼女は目当ての品を手に入れることができた。
「大空の覇者、ドラゴンの卵! デカいっすね!」
カゴに入らないので両手で抱えたまま、キリエはキャッキャと浮かれる。
「先輩!」
「なんだよ」
「これを食べたら、あたしも覇者ってことになるっすよね!」
次いできらめく青い瞳で、ユージンを見上げた。
「……そこだったのか、お前の興奮ポイントは」
先ほどのピラニア食いたい発言と言い、彼女の思考は往々にして血なまぐさい。
これもヤンキー畑で培養されたが故、なのだろうか。
ちなみに卵を二個分けてもらったユージンは、鶏卵よりももっちりとした食感に、いたく感動したのであった。