第7章 花の舞-その8
よいか、許しがあるまで使うでないぞ。
一か八かの賭けだった。中途半端に身に着けた力は抜身の刃を素手で持つようなものだと、師匠の由房には散々釘を刺されている。だが、花水木の手持ちの札は、もうこれしかなかった。
「へっ……よしあき、お前の、負けだ」
「はっ。ふらふらじゃねえか! 叩きのめす? やってみろよ!」
花水木の挑発を受け、よしあきが殴りかかってきた。
薬で意識は朦朧とし、失血で体に力が入らない。立っているのがやっとのふらふらの状態。相手が素人のよしあきだとしても、とても戦える状態ではない。
だが、扇子を構え、トン、と足を踏んだとき、花水木の体がピタリと止まった。
よしあきが腰をひねる。全体重をかけた一撃が、おそらくそれで決着をつけようという拳が、花水木の顔面目掛けて飛んでくる。花水木はそれを見て、スルリと足を動すと。
ふわり、と花びらのように舞い、よしあきの拳をかわした。
かわしながら、よしあきの腕を扇子で打ち、くるりと回転して足を裁く。すれ違いざまに足を引っ掛けられたよしあきが、バランスを崩し転倒した。
「て、てめえ……」
派手に転んだよしあきは、怒りをむき出しにして立ち上がる。そんなよしあきに対し、花水木は姿勢を正し、再び扇子を正面に掲げた姿勢となった。
「さっさと倒れちまえよ、花水木!」
よしあきが再び殴り掛かってくる。トン、と調子を整え、大振りのよしあきの拳を、花水木が再び扇子でさばく。くるりと回り、ふわりと飛び、パシリと扇子でよしあきを打つ。
なんだ、どうしてだ、とよしあきは戸惑った。
花水木は立っているのもやっとの、ふらふらの状態だったはず。それなのに花水木の動きが急に鋭くなった。殴りかかっても、蹴りを繰り出しても当たらない。逆によしあきは、扇子で打たれ、足をかけられ、何度も地面に転ばされた。
「花水木、てめえ、演技だったのかよ」
「いやあ……限界、ギリギリ、だぜえ……」
よしあきが距離をとって睨み付けると、花水木は力のない笑みを浮かべた。よく見れば、その体が震えている。膝は何度も崩れそうになり、必死で踏ん張っているのがわかる。一度でも蹴りを当てれば簡単に倒れてしまいそうだ。
だが、その一度が当たらない。
よしあきが殴りかかると、花水木が、トン、と足を踏み鳴らす。空気が変わり、花水木の震えが止まる。よしあきを軽やかにあしらって打ち倒す。
何度やっても。
どこから飛びかかっても。
よしあきは花水木に一撃を入れられない。
こいつ……舞っているのか?
扇子を手にくるりと回る。軽やかに宙を舞い、しなやかに拳をかわし、まるで何事もなかったかのように立ち姿に戻る。その姿に、よしあきは舞の姿を見た。
「花水木……てめえ……」
「山では、毎日、二時間、武術の練習を、していた」
よしあきが距離を取ると、花水木は肩で息をしながらフラフラとよろめく。
だが、少しでもよしあきが近づくと、トン、と足を踏み鳴らしてピタリと震えが止まる。
「でもな、舞は、毎日六時間、しごかれた」
よしあきの拳をゆるりといなし、うなじにしたたかな一撃をたたき込むと同時に、足を払う。派手に転んだよしあきをひらりと飛んでかわし、距離を取る。
「武術の要素が詰まった、門外不出の秘伝の舞だ。俺は、まだまだ未熟だけどよ」
「この、やろうがあっ!」
よしあきが立ち上がり、次こそはと殴りかかってくる。
その、鬼のような形相を見ながら、花水木は、トン、と足を踏み鳴らし。
「お前を叩きのめすぐらいは、できるんだよ!」
ここだ、と花水木は最後の力を籠め、パラリ、と扇子を開いた。
殴りかかってきたよしあきの眼前に開いた扇子を置く。よしあきはいきなり視界を塞がれてたたらを踏み、無防備な状態で動きが止まる。
花水木は、伸びてきたよしあきの拳を、血まみれの左手でいなしてかわすと。
「落ちろ」
残る力全てを右肘に乗せ、よしあきの後頭部に叩き込んだ。
◇ ◇ ◇
「ふうん……初めて見たぜ」
その様子を、ビルの上から双眼鏡でのぞいていた暮伊豆はニヤリと笑い。
「これはこれは。よいものを見ました」
某所で監視カメラの映像越しに見ていた かわかみれい は目を細め。
「ふん、まあよかろう」
スマホで中継映像を見ていた きしかわ せひろ は、肩をすくめる。
「ふふふ」
そして、間近で見ていた『つこさん。』は。
「ステキな舞ね。なるほど、これが花水木くんのとっておきかぁ」
そう言って笑うと、立ち上がって静かに拍手を送った。




