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外伝 天王教徒の一日 一般信者 前編【サンディゴノス国立経済産業大学の学生 ユゥス・エリヤスの場合】

 ユーギスのピィピィとやかましいさえずりが、朝の町に広がっていく。

 小鳥たちのおかげで朝一番を感じ取ることが出来るが、季節の問題と、既に朝食の時間帯ということもあって、気温はさほど低くない。

 しかしそれでも、朝方の澄み切った空気の向こうには、首都・サンディゴノスの市街を構成する高層建築が多数立ち並んでいるのがはっきりと見える。



 サンディゴナの首都サンディゴノスは、ヴィクシウム鉱脈を中心に形成された都市である。


 『ヴィクシウム』とは魔力を蓄積する性質で知られる稀少鉱物のことだが、240年ほど前に神聖アークローヴ皇国で『神魔石』への加工技術が開発されて以来、鉱物資源として高値で取引されるようになった経緯を持っている。


 そしてその鉱脈が200年前、アジューザム砂漠の西で発見された。

 それは比較的大きな鉱脈であったため開発は長期間にわたって続けられ、その結果そこの一帯に多数の人間が住み着くようになり、資源開発から得られる莫大な利益で都市として巨大に発展していった。

 それが、ここサンディゴノスなのである。

 その後、この都市が首都となって現在のサンディゴナが建国されることになるのだが、そういった歴史柄、サンディゴノスでは日常的な経済の規模が大きく、高層建築が多数作られると同時に経済学が大きく発展した。

 街にある『サンディゴノス国立経済産業大学』も、そういった流れの中で作られている。


 そしてここにも、その大学に通う一人の人間がいた。

 彼はこの数日というもの、日ごろ味わうことの無い強い苦悩に晒されていた。

 そう、それは彼自身が信じる思想のために・・・・・・・・。



* * * * * *



 朝。朝日が差し込む、古びてはいるが割と小奇麗にされた部屋の中央で、傷だらけの木製のテーブルに若者十名ほどが集まって食事をしている。

 ここは大学に近い、現在20名ほどが下宿しているとある安宿の食堂だ。

 部屋には先程から、スプーンで料理を掻っ込む音しかしない。


「ほーら、たんと食いな。腹が減ってちゃ授業も耳入んないよ?」


「こら、ご飯残すんじゃないよ! 出されたモンはしっかり腹に入れなっ」


 寮母のシャリアが口やかましく言いながら飯を盛ってやる傍ら、朝食を受け取った学生たちはガツガツとそれにがっついている。

 俗に言うテーブルマナーというやつは、あんまり重視されていないようである。


 それにしても、無口な集団である。

 ただひたすら食事に夢中になっていて、隣り近所の連中とは会話する様子も無い。

 確かに、朝っぱらからムサい男ども相手に何を話せというのか、という気持ちは分からないでもない。

 この中の何人かは朝一で大学で講義に出ないといけないので、彼らが気が急いて無口になっているのもあるだろう。

 だが、ソレにも限度というものがある。本当に誰も、何も話そうとしない。


 寮母の小言を言う声が妙にデカく聞こえるのも気のせいではないだろう。

 他に誰も喋りゃしないから、寮母の声と食器の音だけでその空間が構成されていて、それらがたまたま一斉に収まったりすると、部屋を支配するのは謎の沈黙だ。

 ・・・・・・・・・・・・一体何なんだろう、この状況。



 と、その時。階段が軋む音がして、もう一人別の男子学生が食堂に下りてきた。

 この下宿は主に二階部分に学生の住む部屋があって、その下の一階部分に学生たちの集まる食堂が設置されている。

 築年数が古いため、誰かが降りてくれば音ですぐに分かる。


 そこに現れたのは、短髪で、どちらかと言えば端正な顔立ちをした青年だった。


「おはようございます、シャリアさん」


 食堂に入ってきてすぐ、彼は寮母へ向かって一言挨拶する。

 結構通る声で、笑顔を添えて言うので実に爽やかな印象を受ける。

 その笑顔も飾りっ気がなく、自然体なので彼の爽やかな印象をより引き立てている。

 実際、作り物の笑顔というのは言葉に出来ずとも、心の何処かに妙な違和感を感じさせられるものであるが。

 彼の笑顔には、そういうものが一切無かった。


「あら、ユゥスちゃん、おはよ♪ お肉食べる?」

「ええ、お願いします」


 そう言って寮母のシャリアは上機嫌に皿に食事を盛り付ける。

 それもそのハズだ。何せ他の下宿連中ときたら爽やかさなど欠片も無くて、朝会っても挨拶などしてくれない。良くて「おぃーす」か「うーす」程度である。

 そこへ来ると今の彼、ユゥス・エリヤスは違った。

 何時会っても不機嫌そうな態度など微塵も見せず、顔を合わせれば必ず、屈託の無い笑顔で朗らかに挨拶をしてくれる。

 しかもその顔は中々に美少年と来ているものだから、彼女が喜ぶのも無理はない。


 いや、実際シャリアに限らず、ユゥスは下宿近辺の女性全員から好評を得ていた。

 特に、隣家などに住む四十過ぎのおば様方から。

 先述の屈託の無い笑顔に加え、道端で会ったら荷物を持ってくれる優しさ、決して寡黙ではないが余計なことは一切言わない周囲への気配り、そういう要素が彼には詰まっていたのだ。

 美少年・朗らか・気遣い上手と三拍子揃っていれば女性に好かれない理由が無かった。

 その一方で、


「や、ヒィロ。 ロダニア、おはよう。 おはよ・・・・・・・」


 彼はそこで食事をしていた、下宿の友人たちにも挨拶を欠かしていなかった。

 流石に彼も全員のところを挨拶して回るわけではないが、少なくとも自分の座った隣近所の下宿生たちには、一人ももれなく挨拶していた。


 彼らも彼らで、ユゥスの性格は承知しているから、他の連中と同じく率先して会話する気は起きないものの、別に忌避する風も無く、普通に「おぅ」とか何とか軽く返答しながら、また食事に戻ったりする。


 ユゥスの挨拶はもはや習慣と化していた。

 彼と付き合い始めた人間は、最初の頃は大体、男女問わずにやたらと親密に接してくる彼の態度に驚くものなのだが、ずっといると次第に慣れてしまうようだ。


 なんでコイツはこんな馴れ馴れしいんだ、と下宿生たちも初めは少々訝しんでいたようだが、ユゥスが根っからのイイ奴なのだと分かると、気にする者は誰もいなくなってしまった。

 実際、彼と日々接していれば男女問わずその人格に魅了されて、くだらない邪推を起こす気など無くなってしまうようだ。


 だから彼らが、しばらくして彼の信仰を知ったところで、それでユゥスに対する評価が変わってしまうようなことにはならないのだ。

 それだけ、裏表の無い性格であったから。

 ユゥスなら信頼できる、と。根拠など無くても自然にそう思わせてしまうのである。


 そう、だから彼が実は天王教徒であったと発覚しても。

 誰も、そのことで、実は下心があったのではないかなどと疑ったりはしない。

 少なくとも彼と触れ合った人間ならば、そう思う者が殆どだった。

 そう思わせるだけの人柄が彼にはあったからだ。


「神聖の天王よ・・・・・・・今ここにある地上の豊穣と平和に触れ、その大いなる御心栄えに今一度感謝の言葉を捧げます・・・・・」


 ユゥスは食事に入る前に目をつむり両手の指を組んで、料理がいっぱい盛られた皿の前で何事かブツブツとつぶやいている。

 彼がやっているのは『天王への唱和』。

 天王教徒特有の、”天王の勝利に感謝する”ための食前儀礼である。

 彼らの教義ではヴィクシオンは神たる天王が海王との戦いで勝ち取ってくれた世界となっているため、必然的にそこに存在するあらゆるものが”天王の恩恵”になる。


 最近では時間短縮のため、両手を組むだけで『唱和』はすっ飛ばしてしまう信者も多いのだが、ユゥスは昔からずっと、全過程をサボらず行っていた。

 意外とこのマメさが、彼の評価を上げるのに一役買っていたりもするワケだが。



* * * * * *



 ユゥスの実家はベリアにあった。

 四代前から代々商人を営んでいる一家で、それなりに裕福ではあった。

 父の商売を継ぐため、彼は三年前に『サンディゴノス国立経済産業大学』へと入った。

 その専攻は経済学科なのだが。


 彼は学内でも、非常に勤勉で優秀な生徒として名を知られていた。

 講義にはただの一度も欠席することが無く、遅刻もしない。

 尚且つ発言が多い上に、顔を合わせれば爽やかに挨拶してくれるという絵に描いたような優良学生。当然、教授たちからの信頼も厚かった。


 彼がこれほどまでに模範的であったのは、ひとえに天王教のためと言えるだろう。

 彼は出身はベリアだが、母方の祖父はアークローヴの出であった。

 そのため彼は幼少期からずっと、天王教の教えに触れて育ってきた。


「天王の子としての誇りと自覚を持って生きなさい」


 それが母や祖母の口癖であったからだ。

 だから自発的にか他動的にかは知らないが、『天王言行録』も4歳の頃には読んでいた。

 ヴィクシオンでそれを読んだことのない人間などいないが、それにしても4歳で既に、というのは平均的に見てもやはり早かった。


 だが彼には確かに、幼い頃から天王教への尊敬と憧れがあったのも事実である。

 何せ母も祖母も、そういう生き方をしていたからだ。


 決して誰かへの感謝を忘れず、助け合い、自分には少々厳しく。

 何時ごろか、その姿を見た近所の人々が彼らを賞賛しているのを知って。

 次第に母らのその姿に、『誇り』を持つようになった。

 そしていつの間にか、自分自身もそうありたいと思うようになっていた。


 そうやって彼なりの『美学』が出来上がっていったからこそ。

 彼は今のように、人々に好かれる人間となった。


 大学へ行くと決めた際も、実家の財産で楽をして通うのではなく。

 あえて安宿に下宿し、必要最低限度の金銭意外は、学費も含めて自力で賄うことに決めたのだ。

 いや、むしろそうでなければ、母や祖母らが許さなかっただろう。

 それこそ自分を鍛えるためには丁度良かったし、ユゥス自身もそれを望んでいた。


 だからそんな彼の姿を見て「流石だ」と言って貰えるならば。

 その度に彼は、嬉しく思うのだった。天王教徒としての強い『誇り』を感じるのだった。



 だが時には。

 天王教徒として”恥”を感じることもあった。

 それは別に、ユゥスの行動が原因ではなかったのだが。

 それでも責任感の強い彼は、どうしてもそう感じざるを得なかったのだ。

 ソレは彼らの教義が暗に示す”ある思想”が元となって起きていることだったから。



* * * * * *



 大学内。その日の最初の講義が終わったばかりの時刻。

 『経済学』の教室の入り口横で、学生が一人ぽつんと立っている。

 大勢の学生がその横からあふれ出てくるのに目を凝らして首を右にやり左にやり、まるで誰かを探しているようである。


 やがて彼は人ごみの中に目当ての人物を見つけたようで、そちらへと小走りで近づいていく。

 彼はこの数週間というもの、ずっとその人物に謝りたいと思っていた。

 謝らねば気が済まなかった。

 何故なら、ある意味自分の同類でもある人間の率いた集団によって、これから声をかけようとしている彼の故郷に大変な被害を与えてしまったから。

 現にその町の出身者の何人かは、ここサンディゴノスで命を奪われてしまっていた。

 何の罪も無い人々に、大変な思いをさせてしまった。

 その責任を感じて彼は、これから謝りに向かうのだ。たとえ受け容れられなくても。

 彼自身の信念が突き動かすままに。


「あ・・・・・・・あの、アイヴァー・・・・・アイヴァー!」

「え?」


 その彼―――アイヴァー・ラングは名前を呼ばれて振り返った。

 声のした方から人ごみを掻き分けて、同期生一の人格者と評判の友人―――ユゥス・エリヤスが近づいてくるのが見える。

 ユゥスはアイヴァーの元へ辿り着くと開口一番で、


「すまない!!」

「・・・・・・・・・・・・・・へ?」


 同期生一の人格者から出会い頭に謝罪と同時に頭を下げられて、アイヴァーはキョトンとしてしまっていた。

 現在、まったく状況が飲み込めないでいる。

 そんなアイヴァーに向かって、ユゥスは頭を上げると言った。


「その・・・・・・・ケマイアのこと。あんなことになっちゃって・・・・・・」

「・・・・・・・あ、あぁ! そういうことか?」


 アイヴァーも事態が飲み込めたらしい。

 要するにユゥスは、ケマイア出身者が暴徒に襲われた事件のことを言っているのだ。

 ようやく理解したアイヴァーは、軽い調子で言った。


「気にすんな気にすんな。お前のせいじゃない」

「でもその・・・・・・天王教の人間がアレを扇動してたって・・・・・・本当にゴメン!」

「ま、まぁアレは・・・・・・。いや、でも何でお前が謝る?」

「・・・・・・同じ天王の子として恥ずかしいんだ、あんな暴力的な・・・・・・・」

「・・・・・・・・・・・・」


 そう、アイヴァー・ラングの故郷ケマイアの出身者は。

 今から少し前、大勢のサンディゴノス市民によって襲撃されていたのだ。

 市内だけではない。見境を無くした暴徒は多数の凶器を手にして西へ向かうと、ディピオーラに面するケマイアの町そのものへ襲撃をかけたのである。

 名分は”魚人族の捕獲”。


 数週間前、サンディゴノスに伝播してきた『大臣暗殺事件』の報。

 これは”水の大陸”アクィエルにある国、ラクシュアム連邦にて。

 政府要人の一人であるサムサー・アルヴィ大臣が狙撃され死亡した事件である。


 しかも現場の状況からその手口が、”水鉄砲”と呼ばれる海王族独特の攻撃法であったという噂が広まり、その結果恐慌が、当のラクシュアムを含む全世界に広まったのである。


 ここサンディゴノスでは”魚人族と共存する町”ケマイアの出身である市民が、他の市民らから『テロリスト粛清』の名の下に集団リンチを受け、うち数名が死亡するという極めて陰惨な結果を招いていたのである。


 しかしよく調べてみるとこの事件、理由とされた”ケマイアの魚人族”という話自体、市民の認知度は高くとも一種の都市伝説扱いであったことや、暴動に参加し逮捕された一部市民の証言などから、市民を扇動した人物として天王教の牧師が一人、浮上したのである。


 暴動自体はその後、三日ほどで鎮圧されていたが。

 ケマイア出身者であるアイヴァーはほとぼりが冷めるまでということで、二週間前からずっと講義を欠席していたのである。


 そしてその間「天王教の牧師が暴動を煽っていた」という噂は、完全にサンディゴノスの市民らに知れ渡っていた。

 海王族でも天王教でも悪い噂ほど大概、無駄に早く広まるもののようである。



「・・・・・・・・本当に、ゴメン」

「だからイイって。確かにアレとやりあった時は腹も立ったけど、お前はお前だろ?アレとは違うんだから、怒る理由が無い」

「・・・・・・・・・・・・・・」

「気にすんなって、お前のせいじゃねえからよ。そんじゃ、な」


 そう言ってアイヴァーは次の講義を受けに去っていってしまった。

 その後ろ姿を、ユゥスは複雑な面持ちで見つめていた。


 アイヴァーは流石、漁師の家系の出というか。

 性格がさっぱりしている。ユゥスはユゥス、とキッパリ言ってくれた。

 場合によっては無視か面罵されることすら覚悟していたユゥスにとって、この割り切った態度は一応有難いものであった。


 ホッと一息つくユゥス・エリヤス。とりあえずは緊張の糸がほぐれる。

 だが相手の如何ではこの覚悟も、もしかすると現実のものとなっていたのかも知れないのだった。



* * * * * *



 昼前。その日の講義が全て終了したユゥスは一路、大学の北側にある天教殿へと赴いていた。

 そこはサンディゴノス市内に十数か所ある教会の中でも、ユゥスがよく利用している場所であった。

 そこの牧師が非常に丁寧な人物で、色々と話しやすかったのである。


 この教会から北に更に2000ミルトほどいった辺りに『サンディゴノス中央市場』があり、また東側へ4000ミルトほどいって砂漠に近い区域に入ると、土竜狩り猟師の同業団体『猟竜組合』のサンディゴノス支部がある。

 彼ら猟竜組合は、稀に砂漠からケムルザムスが迷い込んできたりなどした場合、ソレを捕獲して砂漠へ戻し、場合によっては”駆除”する権限も与えられている。

 ヴィクシウム鉱脈の上に都市を成長させたは良いが、砂漠に隣接する以上、そういう危険も付きまとうのである。

 尤も『猟竜』という職の存在する関係上、サンディゴナ国軍には昔から猟師家系の出の者が多く、本職でなくとも土竜の扱いにはある程度精通していることが多かったが。


 それはさておき。

 教会にいったユゥスは、礼拝堂の脇にある小部屋にいた。

 そこで二週間欠席していた友人――アイヴァー・ラングのことを報告していた。

 例の事件が起こった後で、ここの牧師に、ケマイア出身の友人がいると相談したことがあったからだ。

 牧師はユゥスの話を聞き、心底ホッとしているようであった。


「そうか・・・・・・・・ではその彼は復学したのだな。良いことだ」

「でも・・・・・・許してくれたと思いますか?」


 ユゥスには珍しく、ちょっと暗い目な雰囲気になっている。

 やはりああ言って貰えたとはいえ、どうしても心配になってしまうのだ。

 事件の性質を考えればある意味仕方の無いこととも言えるが。

 そんなユゥスに対し、牧師は優しく言った。


「君は誠心誠意を籠めて謝ったのだろう? ならば、きっと通じたハズだよ。友人を信じなさい・・・・・・・」

「・・・・・・・・はい」

「まぁ確かに・・・・・・・・・・・・・私も、恥ずべき行為だとは思うよ。本当にあきれた話だからね。こともあろうに、天王の使徒ともあろう者が暴力に訴えるとは・・・・・・・・・・・・実に情けない」


「ええ、僕もそう思います。それも、信徒を教え育てる立場の者が・・・・・・・」

「うむ・・・・・・」


 牧師もそう言って、考え込むような姿勢になった。

 自分と同じく牧師の地位にある者が、大勢の民衆を誘導して一部市民に私的制裁を加えたなどとは、如何様にも承伏し難いものなのだろう。

 それだけ彼らからすれば、今回の事件には恥じ入っていたのかもしれない。



 天王教の経典『天王言行録』を忠実に解釈すれば、なるほど、確かにこの世界を破壊しかけたのは海王であったかも知れない。

 だがそれは既に何千年も前の話である。

 現代においては人間、海王族双方共に事情が違ってきている。

 少なくともユゥスはそう思っていた。


 海王族に海上で救助されたという人物の話は近頃よく聞くようになったし、それが事実ならば、彼らの全てが危険で野蛮だとは思えなかったのである。

 無論、価値観の違いはあるかもしれないが、少なくとも知的交流の可能な相手であれば歩み寄りは可能であると思えたのだ。

 そもそも、野蛮で危険なだけの存在なら人間を助けたりはしない。

 それは間違いなかった。


 むしろユゥスは最近では、人間側がやり過ぎではないのかという気さえしていた。

 先のケマイア市民襲撃事件といい、ハイアド帝政時代の旧憲法といい、なんだか歩み寄ってくるものをこちらから突き放しているような印象があった。


 そもそも海王族を”海王族である”という理由だけで攻撃するならば、それは天王教であっても同罪ではないかとも思っていた。



 もちろん天王教徒であるユゥスが堂々とそんなことを言えば、たちまち原理主義者たちから『裏切り者』の烙印を押されるのは明白だった。

 逆らえぬ時代や環境の変化も考慮せず、草創期の価値観を強引に現代社会に当てはめようとする彼らからすれば、僅かでも教義に妥協することなどソレこそ承伏し難いことなのだろう。


 人々がどれほど和解や共存を望もうとも、彼らにとって海王族は永遠に”危険で野蛮な魚人族”であり”神意に背く逆賊”なのである。



 もちろんユゥスは、そんな考え方ではない。

 たとえ過去の戦いは事実としても、向こうから歩み寄ってくるなら拒む理由は無いと思っていた。


 如何なる戦いも憎しみ合いも永遠ではなく、最後には必ず歩み寄り、和解できる。

 少なくともユゥスはそう信じていた。と言うか、そう信じたかった。

 尤もソレも、原理主義者にかかれば一発で『偽善者の戯言』扱いなのだが。

 そうやって彼らは可能性の段階から分かり合うことを拒否し、相手の強硬派の行動ばかりをあげつらっては、「やはり和解など不可能なのだ」と結論付けるのである。

 案外、海王族も似たようなものなのかも知れない、とユゥスは思っていた。



 だが、こういった考え方の違いが存在しようとも。

 結果的に一般市民からその違いを理解されていることは、少なかった。


 先に述べた場合にしてもそうだが、市民が印象に残すことは大体、悪い印象の出来事と相場が決まっていた。

 天王教徒が市民を扇動したという話を聞いた場合、当然ながら市民は天王教に対し白い眼を向ける。

 だがこのとき、彼らの中で”原理主義者”と”それ以外”は区別されていない。


 過激な行動を取る人間もそうでない人間も、一般市民からは”天王教徒である”という事実だけを抜き出して同列視されるのだ。

 その時『ユゥス・エリヤス』という一人の人格は忘れ去られる。

 そう――――丁度、これまで海王族が『魚人族』としてそうされてきたように。



 もちろんユゥスと親交の深い者たちはそうはしなかった。

 彼らは『ユゥス・エリヤス』という人間そのものに惹かれているからである。

 天王教徒か否かは彼らにとってはどうでもいい。

 そう、どうでも良いのだ。親交の深い者たちにとっては。


 だが。一般市民あるいは交流の浅い他の学生たちには、その限りではなかった。

 彼らはユゥスを『天王教徒』として一括りにして扱った。

 その証拠に。


 数日前、例の牧師の関与についての記事が新聞に載ったその日。

 大学内で新聞を持った同期生二人とすれ違ったとき。

 声をかけようとしたユゥスに気づかず、彼らは側を通り過ぎた。

 そのまま行こうとしたその時、確かに背後で彼らのこういう言葉が聞こえたのだ。



「ホント、ユゥスの奴だって何したか分かんないよねぇ」

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