22 巨魚 Big fish
「あれ?コウモリ?」
「コウモリがいるって事は…どこかに洞窟があるって事か?」
その一言に素早く剣を抜き、一振り…だが、剣は空を切った。コウモリ…食べられない事もないが、あまり人間向きの味ではない。コウモリは基本夜行性である。昼間は洞窟や木の躯などに隠れていて、日が暮れると獲物を探す。この国に入って、初めて目にした生物だ。
「それに…コウモリがいるって事は、その餌の虫なんかがいるって事だな」
今までは見てないけど…満更植物だけの国…って訳でもなさそうだ。逃げおおせたコウモリは、湖の方へと羽ばたいていく。そちらの方に向かうって事は…洞窟、つまり陸地があるという裏付けなのかもしれない。きっとそこに群生しているのだろう。二人が遥か西の小国から求めて旅をしてきた、伝説の薬草…ブルーロズが。
「筏ができたら追いかけてみようか、コウモリ。あえて夜に発つ事になるけど、明かりなら任せて?」
ソルもコウモリの飛んでいく先に陸を見ていた。薄く笑みが漏れる。コウモリだって、食べられない訳じゃない。コウモリの飛んでいった向こう側に行けば、入れ食い状態で漁ってやる!…と心に決めて。
「頑張って蔦を集めるよ。しっかりした筏作ろうね。ね、エスペランサも手伝ってくれるって」
陸があるかもしれないという希望が見えてきた嬉しさで、力一杯グロスを抱きしめる。と、パッと手を離してちょっと照れくさそうに、距離を取ってもじもじ。
「だいぶ暗くなってきたな。早めに寝ておいた方がいいかもしれないぞ」
そう言いつつ、グロリアスは切り出してきた丸太を削り始める。不思議そうな顔で覗き込むそルに、得意満面の笑顔を見せながら削りかけの丸太を見せた。
「これか?オールを作るんだ。筏といっても…帆を張れるわけじゃないしな。漕がないと進まない」
抱き着いたり距離をとったり、そんなソルを見つめる優しい眼差し。これから夜になるが、獣の気配がしないのはいささか安心できる。食料にはならないが…襲われる心配もないわけで)
「オールかぁ。グロスって本当に器用だね」
何もないところから様々なものを作り出すのは、軍での訓練の賜物か。とすれば、地位にふんぞり返る事なく、部下と汗を流す良い上官だったのだろう。その姿を想像してニンマリと笑うが、怒鳴り声も思い出して「ちょっと怖いかな?」と顔を顰める。一人で百面相をしているソルを不思議そうにエスペランサが見ていた。蔓の束を持ってくると、グロスの横に座る。一本だと弱い蔓を編もうとしているのだ。
「グロスが寝たら、一緒に寝るよ。編み方…教えて?」
人間の姿になったばかりの頃は勝手がわからなかったのか…グロスに頼りっぱなしだったソルが、最近なんだかやけに頼もしい。少しでもグロスの役に立ちたい…という態度が全面に見て取れる。丸太を二本ずつ組み、それを四本ずつ組み、さらに八本、十六本。太い蔦も必要になってくるのだ。三本の蔦によりをかけ一本にまとめる。これが最後にひとまとめにくくる蔦になるのだ。
なかなか筋がいいな。上手いもんだ。いいぞ、その調子」」
ソルの手つきは拙かったけれど、よりあげられた蔦はなかなか丈夫そうに見えた。オールも少し長めの、使いやすいものができそうである。気が付けば、いつの間にか青白い月が二人を見下ろすように、南天の夜空に輝いていた)
「お褒めいただき光栄です、隊長!自分は誉められると頑張っちゃうタイプなのであります!」
おどけて笑いながら編み続ける。蔓から出たささくれで時折指を傷つけるけど気にしない。グロスのマメだらけの手のほうが痛そうなのに、弱音は吐けない。むしろ名誉の負傷?努力の勲章?なのだから。
「ふ…ぁふ…」
どのくらい編み続けただろうか。まだ手付かずの蔓の方が多いけど、足元には編まれた蔓がたまっていく。こくん…と眠りかけて持ち直し、また睡魔に誘われて遂に蔓を手から落とし、グロスに身を預けた。
「ソル…もう、今日はこのくらいにしておこう。明日もやる事あるし、もう寝…」
すでにソルは寝息を立てていた。灼熱の季節は過ぎて、夜から朝方にかけ気温がかなり下がる。ソルを起こさないようにマントを引き寄せ、二人で包まるように。背中は前後の足を折り、目を閉じているエスペランサに預けた。それだけでも暖かい。落ちてしまった眠り。肌寒さが温もりへとかわると、温もりの相手にぺたりと身を寄せた。
「ん…マスター。大好きだよ」
グロスの逞しい腕にしがみつくようにして、ソルは穏やかな寝息を立てる。夢の中でも蔓を編み続けているのか、ソルの小さな手はモゾモゾと動いていた。どんな薬草なのか想像もつかないけど、コウモリを追った先に陸地があるならもうすぐ見つかるに違いない。筏も明日には完成するだろう。もう一息のところまで来ているのだ。何としても伝説の薬草を手に入れる。そしてソルの傷を治してやるのだ。伝説の薬草…ブルーロズを手に入れて。グロスはそう決意を新たにする。
翌一日かけて筏は完成したが、グロスとソルは腹ペコだった。エスペランサだけは生えていた草が食べ放題だったが、人間の食種には向かない。オールを作る片手間に作成した釣竿をソルに持たせ、グロスはオールで漕ぐ。コウモリが向かっていった、北東の方向へと)
「どうだ?釣れそうか?」
日の出と共に出航し、太陽はすでに南天を通り過ぎていたが…いまだに釣果ゼロ。そして、島の影も見えてきていない。
「釣れない。釣れるわけがない!魚なんて、上から狙って掴み取るものなのっ!」
まだまだ忍耐のないソルには向かない釣り。最初は面白がっていたものの、次第に苛立ち始めた。空腹も苛立ちを誘う。
「もう、私の薬草なんて良いよ。ここで島が見つからなかったら、お腹減ってグロスだって死んじゃうかもしれないよ?人間になっちゃったけど…着いてきちゃったけど…足手まといばっかりになりたくない!」
「いまは黙って魚を釣れ。ちょっと竿を上げてみろ?あーやっぱり。餌が取れているじゃないか。それじゃあ、いくら待ったって魚は釣れん」
「あ…貴重なパンをくっ付けてたのに…。盗りやがったな~。おのれ、この湖…許せん」
ソルは餌の付いてない針先を呆然と見つめる。言葉がスラム化したのは何やら怒気を纏ったせい。やっぱり…と思いながらグロスは呆れ顔。かと言って、自分が代わればソルにオールを持たせるのも心配だし。ここはソルに頑張ってもらうしかない。
「もう少しパンを大きめにちぎって付けてみろ。餌が小さすぎるのかもしれないぞ」
「グロス!あたし、釣る!」
パンを残しておけば後で食べられると思っているのかもしれない。しかし、いまは先行投資をしておくべきだ。グロスが躊躇なく大きめのパンを投げる瞬間を目にして沸点。よかろう。魚ども。パン共々この火炎龍ソルフレア様の血肉にしてくれるわ…と思っていた矢先、竿の先がぐぐぐっと撓る。
「おらっ!来たぞっ!逃がすなっ!なにがなんでも釣り上げろっっ!」
宣言と共に、しなる釣竿で一対一の闘いへと身を投じた。相手に引かせ、引かせた分だけ引き返す。自由に泳がせているようで、確実に手元へ近づけるのだ。もう少し、もう少し。絶対にパンの恨みは晴らしてやる…と言わんばかりに、ソルは懸命に歯を食いしばった。
「もうちょいだっ!頑張れっ!そこだっ!一気にっっ!」
ソルが渾身の力で竿を上げると、一匹の魚が姿を見せた。そのまま筏の上に打ち上げられた魚はぴちぴちと勢いよく跳ねている。キャーキャー大騒ぎしているソルを見て大笑いしながら、グロスは釣り上げた魚を手にした。釣り上げた喜びはあったが、その先をどうしたらいいか解らず、ソルは揺れる筏を更に揺らしてしまった。
「やだっ!なんか跳ねるっ!取って!早く取ってー!」
「でも…これじゃちょっと小さいな。とてもじゃないけど二人分には足りない。ん…そうだっ!」
一回り大きめの針を改めて糸の先につけ、魚ごと湖の中に放り投げる。
「いいか…そル、あの魚は餌だ。今度はもっと大物を狙う。もしアタリが来たら…俺に代われ」
グロスの一言でせっかく釣り上げたオチビさんは水の中に帰り、元気に泳いでいる…ように見せるのだ。更なる大物を求めて視線は水面を睨む。その眼光は龍の片鱗を感じさせるものだった。任せたぞ…と、ポンポン肩を叩く。せっかく釣ったのに…とちょっと頬を膨らませたソルであったが、更なる大物…に闘志を燃やしたようだ。囮は湖の中で元気に泳いでいる。そんな糸の先を見守りながら、進路を北東にとりオールを漕いだ。
「…グロス!来た!グイグイ引いてる。取られちゃうっ!」
遂にアタリが来た。油断すると竿ごと持っていかれるどころか、水に落ちそうな勢いで引いてくる相手はどんなヤツだ?焦って騒ぎながらグロスの強い手に竿を任せると、主の腰に腕を回した。グロスが水に落ちないように押さえているつもり、なのだ。恐ろしい勢いで筏が振られる。右に左に前に後ろに。大きめに作っていたつもりの筏も、まるで濁流に揉まれる落ち葉のよう。
「くそっ!こりゃあ…食い切れんくらいの大物確定だっ!塩焼きにして食ったら美味いぞきっとっっ!」
獲物も必死の抵抗。うかうかしていると本当に水の中へと引き込まれてしまいそうだ。その時、獲物が大きく跳ね、その巨体を晒け出す。龍だった頃のソルと同等…いや、それ以上のスケールかもしれない。水飛沫を立ててその身を宙に躍らせ、再び水飛沫を立てて水の中へと戻って行く。仕留める前に竿が折れてしまいそうだ。かくなる上は…。
「ソルっ!竿を持てっ!死んでも離すなよっっ!!」
「あ…コレやばいヤツだ…」
左手でソルと一緒に竿を持ち、右手で長剣の柄を握る。巨大蜘蛛を倒した時の、あの合わせ技…あの技がもう一度使えたら、この巨大魚とて恐るに足らず。
「いいかっ!ソル…次にヤツが跳ねたら、剣に炎を乗せろっっ!」
獲物が上げる水飛沫で、まるで豪雨の中にいるような船上。とんでもなく大物がかかってしまった竿を渾身の力で掴むと、グロスに頷いた。魚影がくらい影を落としながら大きく跳ね上がる。その瞬間を狙って、腹のそこからを叫んだ。
「ファイラっっ!」
「どぉぉりゃぁぁぁぁぁっっ!」
火は生き物のようにグロスの剣をかけ上っていく。龍の本気の咆哮に呼応して火力はかなり強い。祈りながら竿を掴む手にも力が籠る。
グロスは長剣を振りかざして高く飛び上がった。ソルの呪文がまるで獲物を狙う龍のように、長剣をかけぬけ巨大魚に襲い掛かろうとしたその瞬間…
「止めてぇぇぇぇぇっっ!!」
その悲痛な叫び声に、剣を振り下ろすのを躊躇った。巨大魚は大きな弧を描きながら、再び水の中へと姿を消す。
「ど…どういう事だよ?」
迷わず剣を振り下ろしていれば、一撃必殺になるだけの手応えはあった。それなのに…なぜ?気が付けばソルの手にしている釣竿の先は、もうピクリとも動いていない。蔓もだらんと弛んだままだ。いったい何があったのだろう?大きな魚影が筏の下に浮かび上がる。だが水面にはもう波紋も立っていない。頭の周りを「?」が四つくらい、くるくると回っていた。
「グロス。これはこの湖のヌシだ。お知恵の深い方」
ソルは船の縁へ座り直すと、湖に右手を差し入れて優しく波紋をつくる。
「湖のヌシとお見受けします。あなたの棲みかを荒らした事は申し訳ありませんでした。しかし、私たちも命の環の一部です。無益な殺生ではありません。生きるための狩りです。空を統べる一族より、火炎龍が謝ります。怒りをおさめて下さいませ」
心からの謝罪。魚には見えなかろうが頭を下げ、髪の毛が水面触れて。
「大丈夫。グロス、剣をおさめて?私を信じてくれる?」
見なくてもわかる。グロスが殺気を引っ込めた。
「私は命にかかわる傷を負っています。人間により傷つけられた龍を憐れんで、無欲な我が主は島を目指しているのです」
糸が再び張りつめる。しかし、暴れて逃げようとしているというよりは、筏が前に進んでいる?まるで巨大魚が筏を導いているかのように。
「夜だけ現れる島?そうか…暗い間は湖なんか眺めなかったからなぁ…」
自称ヌシの巨大魚の言葉は、グロスには聞こえてこない。それにしても、ソルが魚と話せるなんて、本当にびっくりだ。類まれなる才能…その才能に今回も助けられたらしい。
大きな湖の中央に、夜の間だけ現れる島があるという。その島の入り江から洞窟に進んで行くと…伝説の薬草が群生していると巨大魚は教えてくれた。だが…あの洞窟に入って、生きて戻って来た者はいない…とも。どうやら巨大魚の言葉には、まだ隠された真相がありそうだ。とは言え、それで怯むグロスではない。それでも行くさ…と伝えてもらう。
「とにかく…その島が表れる辺りまで、連れてってもらえるように頼んでくれ。だだっ広くて…見当もつかないしな」
「グロス…メスを借りるよ?これが我が味。我らが私欲のためにここに来たと思えば、その場で食らうがよろしいでしょう。我らを島へ連れていき、我が言葉に偽りがあればあなたの勝ち。連れていってくださいますね?」
刃先が薄く龍の指を撫で血が玉のように浮かぶ。その血を湖に落とした。筏は音も立てずに動き出す。どうやら湖のヌシは賭けに乗ったようだ。
「グロス、この大きいお魚がね、あんたたち物好きだねって笑ってるよ?」
そこにピチピチと何かが跳ねる音。なぜか空から魚が降ってきた。不思議そうな顔をお互いに見合わせながら、それでも突然の恵みに感謝しつつ頂戴する事にする。
「あ…コレが湖の味だって。龍の血への返礼…って事かな?」
ありがたくヌシから魚を受けとると、ファイアでロースト。やっと新鮮なタンパク質にありつける。空は夕焼けを過ぎ、一番星が見え始めた。
陽が落ちてすっかり暗くなっても、島が表れる気配はない。ちらほら輝き始めた星の光をぼやかすように、丸い月が駆け上って行く。湖に映る月をぼんやりと眺めていると、ブクブクと泡が立ち始めた。いよいよお出ましらしい。
「これでやっと…お前の背中を治してやれるな」
すっと伸びた右手が、ソルの頭をクシュクシュと撫でる。ここまで長い旅だった。ブルーロズさえ手に入れば、ブルーロズさえ…。
「なんか…すげーでかい島だな」
島というよりは、山だ。まるで草木の芽がにょきにょきと成長するように、盛り上がった水面から噴火口のようなものが表れ…あれよあれよという間に、天に届くかのような勢い。やがて、目の前に入り江と洞窟の入り口が表れる。
「この奥に…伝説の薬草が…あるんだな…。よしっ!ソル…行くぞっ!」
「コウモリ入れ食い島だー!早く食べよう…じゃなかった。早く行こうよ!」
伝説の島。きっとここへたどり着いた人間は少ないのだろう。踏み荒らされた形跡はなにもなく、手付かずの自然剥き出しの島。やっと辿り着いた感慨に浸るグロスの手をグイグイ引っ張る勢いで島へ上陸する。
「怪我が治っちゃう薬草って、食べてもいいのかな?治ったらこんな湖は飛んで渡れるよね」
緊張感はまるでなく、ピクニックに行くような軽い足取り。長年付き合ってきた背中の痛みから、解放される日も近いのか。人間を恨み憎んだ事もあったけど…。心を開く事を教えてくれた主を真っ直ぐに見つめる。
「グロス…たとえどんな結果になったとしても、私はここへ来る事が出来て感謝してる。ありがと、グロス…。




