偵察終わり!
同じ夜。
サクス王国から遠く離れた山岳地帯。
月明かりさえ届きにくい尾根の上に、一つの黒い影が伏せていた。
鉄騎。
全身に植物を編み込んだ迷彩網が被せられ、岩肌や樹木と一体化している。
昼間であっても発見は難しい。
夜ともなれば、望遠鏡でも見落としかねないほどだった。
コクピット内部。
薄暗い照明だけが二人を照らしている。
操縦席には、小柄な少女。
名はミア。
椅子の背もたれに体重を預け、足をぶらぶらと揺らしていた。
「暇……」
何度目か分からない独り言だった。
「今日は何も動かないの?」
後ろでは、長身で痩せた中年の男が端末に視線を落としている。
四十代前半ほどの男。
名はアダム。
淡々と報告書を書き続けていた。
「動かない」
「我々は観測任務だ」
「でももう十分見たじゃん」
「サクスの学園」
「ヒノクニの皇帝」
「黄色い試作機」
「まだ見るの?」
アダムは端末から目を離さない。
「命令がある限り」
「見る」
ミアは頬を膨らませる。
「つまんない」
その時だった。
通信機の表示灯が青く点灯する。
アダムはすぐ姿勢を正した。
暗号通信。
本国からだ。
「アダム」
「応答します」
雑音。
続いて落ち着いた女性の声が流れた。
「皇帝府情報局。」
「識別番号を確認。」
アダムは即座に答える。
「偵察班一七一」
「アダム」
「ミア」
「認証完了。」
通信の向こうが一瞬静かになる。
そして。
「皇帝陛下より命令。」
二人とも自然と表情が引き締まる。
「内容を」
「偵察任務を終了。」
「直ちに帰国。」
ミアが勢いよく起き上がる。
「帰れるの!?」
アダムは冷静だった。
「理由を伺います」
「親善試合実施。」
「サクス王国との交流計画が正式決定。」
「代表鉄騎戦を予定。」
「そのため偵察班は帰還し、情報を直接報告せよ。」
アダムは短く答えた。
「了解」
通信はまだ終わらない。
「なお。」
「サクス側には正式な通知を送付済み。」
「今後は友好国として接すること。」
「不要な接触は禁止。」
「了解」
通信は切れた。
静寂。
ミアは大きく伸びをする。
「やっと帰れるー」
「腰痛くなってきてたんだよね」
「鉄騎の中で何日寝たと思ってるの」
アダムは迷彩網の固定具を外し始める。
「撤収する」
「荷物を確認」
「はーい」
ミアも手際よく作業を始めた。
植物を外し。
網を畳み。
機体本来の黒い装甲が少しずつ姿を現す。
それでも特徴的な形状は分かりにくい。
意図的に輪郭を崩した追加装甲だった。
アダムは最後にもう一度望遠カメラを起動する。
夜の学園。
静かな校舎。
格納庫。
その中には陽光。
そして少し離れた場所にはデューク。
「……」
数秒だけ見つめる。
「十分だ」
端末の電源を切る。
ミアが笑った。
「親善試合かあ」
「強い人いるかな」
「ハイドとか」
アダムは短く答えた。
「いる。」
「ヒノクニ皇帝を破った男だ。」
「楽しみ?」
「……」
少しだけ間が空く。
「情報収集として興味はある」
ミアはくすっと笑う。
「そういう言い方しかできないよね」
アダムは否定しなかった。
やがて黒い鉄騎が静かに立ち上がる。
山肌がわずかに震える。
しかし音は驚くほど小さい。
偵察を前提とした調整が施されているためだった。
サクスの夜景を最後に一瞥すると、黒い鉄騎は月明かりの中をゆっくりと山の向こうへ姿を消していった。
彼らが去ったことを知る者は、まだ誰もいなかった。
シュバルツライヒ帝国。
秘匿軍港。
夜明け前。
巨大な整備ドックの照明だけが白く輝いていた。
ゆっくりと黒い鉄騎が搬入口から格納庫へ入ってくる。
偵察任務を終えた機体だった。
全身には草木を編み込んだ迷彩網。
泥。
木の枝。
観測機器。
長期間の潜伏任務を物語る装備が、そのまま残されている。
機体が停止すると、整備兵たちが一斉に駆け寄った。
コクピットが開く。
ぴょん、と飛び降りたのはミアだった。
「やっと帰ってきたー」
肩を回す。
「寝るには狭いし、ご飯は保存食だし」
整備兵たちは敬礼する。
「お帰りなさいませ」
ミアは機体を見上げた。
「迷彩外装全部外して」
「標準仕様に戻す」
「了解しました」
整備主任が命令を復唱する。
大型クレーンが動き始める。
植物を固定していたネットが外される。
追加された観測機材。
熱遮断板。
光学迷彩用の布。
長距離望遠カメラ。
それらが一つずつ取り外されていく。
やがて。
黒い装甲が姿を現した。
艶を抑えた黒。
無駄な装飾はない。
偵察仕様よりも遥かに戦闘的な姿だった。
その頃。
格納庫の隣。
将校宿舎。
アダムは自室で制服へ着替えていた。
黒い軍服へ袖を通す。
机の上には偵察記録。
観測写真。
手書きのメモ。
それらを丁寧に整理し、一冊の報告書へまとめていく。
「黄色の試験機」
「学園」
「ヒノクニ皇帝」
「デューク」
一つずつ確認しながら綴じていく。
そこへ扉がノックされた。
「失礼します」
若い士官だった。
「陛下がお呼びです」
アダムは報告書を閉じる。
「すぐ向かう」
一方。
格納庫。
迷彩の撤去も終わりかけていた頃。
大型運搬車両がゆっくりと入ってきた。
荷台には巨大な木箱。
いや。
木箱ではない。
厳重な固定具に守られた武装だった。
運搬責任者が敬礼する。
「ミア辺境伯」
「皇帝陛下より貸与品です」
ミアが近付く。
「これ?」
固定具が解除される。
姿を現したのは、一挺の巨大な銃。
ただし普通の銃ではない。
円筒形の弾倉。
複数本の矢を内部に収納する巨大な回転機構。
弦には金属ケーブル。
全体が機械仕掛けだった。
整備主任が説明する。
「新式」
「ドラム式ダートボウです」
ミアが目を輝かせる。
「新型!」
運搬責任者が続ける。
「正式配備前試作兵装」
「親善試合期間中のみ貸与」
「終了後は返却となります」
ミアは武装を見上げる。
「使っていいの?」
「はい」
「陛下のご命令です」
その直後。
格納庫上部のスピーカーから声が響く。
「ミア。」
皇帝本人だった。
格納庫中の整備兵が姿勢を正す。
ミアも敬礼する。
「はい!」
「親善試合では。」
「その武装を使用せよ。」
「了解」
皇帝は続ける。
「目標はデューク。」
「撃破ではない。」
「四肢。」
「使用不能にせよ。」
ミアは即答した。
「了解」
理由は説明されない。
だが。
説明など不要だった。
鉄騎乗りなら誰でも知っている。
鉄騎を完全撃破することは禁忌。
動力炉が暴走し。
巨大な爆発。
さらに周辺へ放射性物質を撒き散らす。
敵味方関係なく被害が出る。
だから現代の鉄騎戦は。
腕。
脚。
関節。
武装。
それらを破壊し、行動不能へ追い込むことが常識だった。
皇帝の声が再び響く。
「偵察報告では。」
「デュークは未知数。」
「しかし。」
「お前なら対処できる。」
短い沈黙。
「我が国最強の鉄騎乗りとして。」
「期待している。」
通信が切れる。
格納庫は静まり返った。
ミアは少し照れ臭そうに笑う。
「期待されちゃった」
整備主任が苦笑する。
「当然です」
「シュバルツライヒ最強ですから。」
ミアは新型ダートボウを見上げる。
「デューク、か」
「未知の相手」
その言葉に恐れはない。
むしろ。
少しだけ楽しそうだった。
黒い鉄騎は偵察機から闘うための機体へと姿を変えていく。
数日後に控えるサクスとの親善試合へ向け、シュバルツライヒもまた、静かに準備を進めていた。




