問い
部屋の中は、異様なほど静かだった。
白い壁。
白い床。
白い天井。
どこを見ても同じ色で、境目が曖昧だ。光を受けて反射するその白は、柔らかさとは無縁で、むしろ硬質だった。炭鉱で慣れ親しんだ黒や茶色と違い、ここでは影すら居場所を失っている。
ここに来て、俺は知った。
白という色は、落ち着くためのものじゃない。
音を吸わない。
視線を逃がさない。
どこを向いても、白がこちらを見返してくる。
まるで「逃げ場はない」と言われているみたいだった。
俺は、窓の下に置かれた椅子に腰を下ろし、外を見ていた。
高い位置に設けられた窓から見えるのは、城壁の一部と、その向こうに切り取られた空だけだ。雲の流れすら、ここからだと遅く感じる。
それでも――
炭鉱よりは、ずっとましだった。
暗闇でも、狭さでもない。
「閉じ込められている」と分かる形をしていることが、むしろ救いだった。
俺は、ぼんやりと外を眺め続けていた。
考えようとすると、頭の奥がざわつく。
何を考えればいいのかも、分からない。
――そのとき。
「ハイド」
名前を呼ばれた瞬間、体が跳ねた。
反射的に立ち上がり、椅子が床を擦る音がやけに大きく響く。
扉の方を向くと、そこに“女”が立っていた。
知らない顔だった。
城で見かける侍女とも違う。
貴族の女性とも違う。
装飾も、威圧感もないのに、目が離せない。
白に近い肌。
整いすぎた輪郭。
無駄な動きのない立ち姿。
そして――
こちらを真っ直ぐに捉える、澄み切った視線。
「……誰ですか」
思わず、声が低くなる。
警戒しているつもりだった。
でも、相手はそれを気にした様子もなく、一歩こちらに近づいてきた。
距離が、近い。
「やっと会えましたね」
柔らかい声だった。
耳に心地いいはずなのに、なぜか背中がぞわりとする。
「ずっと、あなたに会いたかったんです」
心臓が、嫌な音を立てた。
意味が分からない。
会ったこともない。
なのに、最初から俺を知っているみたいな言い方。
「え……?」
戸惑う俺を見て、彼女は少しだけ笑った。
その笑顔は、作られたもののようでいて、どこか自然でもあった。
「こうして見ると……やっぱり素敵です」
視線が、俺の顔をなぞる。
値踏みされている感覚に、喉が詰まる。
「思っていたより、ずっと」
一歩、また一歩。
彼女は躊躇なく距離を詰めてくる。
「ちょ、ちょっと……!」
後ずさる俺に、彼女は首を傾げた。
困惑でも、拒絶でもない、純粋な疑問の仕草。
「おかしいですね」
「この反応率は……想定より低い」
……反応率?
言葉の意味が、頭に引っかかる。
彼女は一度立ち止まり、顎に指を当てた。
その仕草すら、計算された動きみたいだった。
「距離が近すぎましたか?」
「それとも、言葉の選択?」
「それとも……表情?」
ぶつぶつと、独り言のように呟く。
俺の存在が、実験対象みたいに扱われている気がして、胸がざわついた。
そして、もう一度、俺を見る。
「ハイド」
今度は、やけに甘い声だった。
意図的に変えられたと、はっきり分かる。
「あなたのことが――」
「待ってください!」
思わず、遮っていた。
「意味が分かりません!」
「あなた、誰なんですか!」
声が、少し裏返る。
それでも言わずにはいられなかった。
その言葉に、彼女は目を瞬かせた。
ほんの一瞬の沈黙。
そして――
はっきりと、“切り替わる”。
「……理解しました」
声が変わった。
感情の揺れが消え、均一で、澄んだ響きになる。
「先ほどの対話パターンは不適切でした」
「感情的親和性を重視しすぎました」
彼女は一歩下がり、背筋を伸ばした。
姿勢が整う。それだけで、別人のように見える。
「改めまして」
「私は、イーリスです」
その名前を聞いた瞬間、胸がざわついた。
理由は分からない。
でも、聞いたことがある気がした。
「私は、あなたの鉄騎に搭載された人工知能です」
「先ほどの振る舞いは、対人接触最適化の試行でした」
……人工、知能?
頭が、追いつかない。
「……人、じゃない?」
恐る恐る聞くと、イーリスは迷いなく頷いた。
「はい」
「私は道具です」
その言葉は、妙にまっすぐだった。
誇りも、卑下もない。
「あなたが望めば、力がそれを叶えます」
「それが、私の役割です」
道具。
力。
望めば叶える。
炭鉱で、鞭を振るわれていた俺には、どれも現実味のない言葉だった。
そのとき――
部屋の中に、影が落ちた。
窓の方を見ると、外が暗くなっている。
いや、違う。
立っている。
窓の外に、白い巨体があった。
思わず、息を呑む。
白を基調にした装甲。
だが、関節や縁には、かつて見た緑の色が残っている。
騎士のように直立し、巨人はゆっくりとこちらを向いた。
俺の、鉄騎。
胸の奥が、ぎゅっと締め付けられる。
炭鉱で、無理やり掴まれ、押し込まれ、走った記憶。
怖かった。
逃げたかった。
なのに――
今は、なぜか懐かしい。
イーリスは、窓の外の鉄騎を一瞥し、再び俺を見た。
「再塗装および最低限の調整は完了しています」
「現在、あなたの指示待ち状態です」
指示。
俺が?
「……どう、するんですか」
震える声で聞くと、イーリスは少しだけ首を傾げた。
「それを決めるのは、あなたです」
そして、はっきりと告げた。
「乗りますか」
「それとも――ここに、留まりますか」
窓の外で、白と緑の騎士が黙って立っている。
城の中の白。
守られた檻。
鉄の白。
外へ繋がる力。
俺は、まだ何者でもない。
主体性も、覚悟も、きっと足りない。
それでも――
あの鉄の巨人が、俺を見ている。
答えを、待っている。




