嘘をつく騎士
今日のお客さんはちょっと珍しい人だった。
私は彼を一目みて、騎士だ、と直感した。
というのも大した理由があるわけではなく、格好こそ軽装だけど、彼の腰には立派な剣が差してあったのだ。それだけじゃない。スラッとして見えて意外と逞しい体つき。しっかりと地に足がついている感じのする体幹。一見、冷たそうな瞳の奥に隠れた熱い情熱。彼は絵に描いたような騎士だった。
私はどうも、騎士という人種が苦手だ。
それはきっと幼いころに何度も見た絵本のせいで、物語のなかの魔女はいつだって正義の味方の騎士に退治されていた。相手がいい人なのか、嫌な人なのかは関係なく、なんとなく相容れない感じがする人が時々いる。私にとって彼は、そういう人種の人だった。
「こんにちは、魔女様。俺はリロイと言います。よろしければお名前をお聞かせください」
「こ、こんにちは。店主のエマといいます」
リロイと名乗ったその人は、思いの外、好青年だった。
騎士にありがちな高圧的な態度は欠片も感じず、爽やかな笑顔と礼儀正しさは、間違いなく彼の美点だと思った。とはいえ、簡単に心を許してしまいたくはない。油断はいつだって、私に痛い目を見せる。
私は苦手意識をぐっと堪えて、リロイさんを店の中へ案内した。彼は興味深そうに店のあちこちを眺めたあと、落ち着いた様子で席についた。さすがと言うべきか、彼は魔女を目の前にしてもびくともしない。気後れしているのは、私の方だった。
「早速ですが、依頼を──」
リロイさんが口を開いた時だった。軽快なノックが聞こえたかと思うと、私が返事をする前に扉が開かれる。私はこの図々しい来客に心当たりがあった。柔らかな白い髪。優しいお月様のような黄金の瞳。微笑みを湛える口元。お気に入りの隠れ家に遊びにくる少年のように、彼はいつも我のも顔でこの店へやって来た。
「やぁ。これは珍しいお客さんだね」
◯
リロイさんは春風のような気軽さで魔女の店へやって来た王子に、椅子から転げ落ちてしまうんじゃないかと思うほど驚いた様子だった。けれど驚いたのも束の間、彼はすぐに椅子から飛び退いて、この国の王子に跪く。ノア王子はそれを当たり前のように受け入れてから、「お前は依頼をしに来たのだろう?私のことは気にしなくていい」と一言いって、我が物顔でソファを占拠した。その一連の光景に、私は改めて、彼が次の王なのだと実感した。
残されたリロイさんはまだ頭の整理ができていない様子だったけれど、これ以上待っても王子の言葉は変わらないと悟って少し気まずそうに席に座った。
「──では改めて、エマ」
姿勢を正して、リロイさんは真面目な顔をする。
私はふいに呼ばれた名前に、一瞬、どきりとした。魔女、魔女様、と呼ばれることはあっても、誰かに名前を呼ばれることはとても少ない。そうだった。私にだって、ちゃんと名前があったんだ。そんな当たり前のことを、彼は当たり前のように思い出させてくれた。
「指輪を探していただきたいのです」
「指輪、ですか?」
「はい。俺の家では、長男がその指輪を引き継ぐことになっています。といっても大した価値があるものではなく、お守り程度のものなのですが、大事な物には変わりありません。……それなのに、それをうっかり失くしてしまったようで。お願いします、エマ。どうか指輪を見つけてもらえないでしょうか?」
私は彼の言葉をふむふむと聞きながら、ひっそりとソファに座るノア王子を盗み見た。自分の家に仕える騎士の困りごとを、不可抗力にでも聞くというのはお互いに気まずいのではないかと思ったのだ。もしそうなら、今からでも場所を変えよう、と。
だけどその心配は、不思議なかたちで裏切られた。
彼は困ってなどいなかった。どちらかと言えば不機嫌な面持ちで、手元のカップを睨んでいる。眉を顰めて、嫌悪の片鱗のようなものさえ見せたあと、私と視線が合うとにっこりと笑って何事もなかったようにカップに口をつけた。
「あの、どうでしょう。難しいでしょうか?」
「……あ、いえ。力は尽くしてみます。時間はかかりますが」
「それはよかった。時間ならどれだけ掛けていただいても構いません」
私は頷いて、今日のところはお開きという流れになった。話しが終わったあと、リロイさんはノア王子に一緒に城へ帰るように声をかけていたけれど、ノア王子は言葉巧みにそれを断って、結局リロイさんは一人で城へ戻っていった。
「……ノア王子は、リロイさんがあまり好きではないのですか?」
リロイさんがいなくなった店の中で、私は彼に尋ねた。聞かない方がいいのかと思ったけれど、もし教えたくない話なら、どうせ彼は何も答えない。だからいっそ、彼に委ねてみようと思ったのだ。
「いいや?彼とはあまり面識はないけれど、真面目だし、腕も立つと聞いているよ。間違いなく、将来は出世するタイプだ」
「それなら、どうして」
彼は、ふぅと小さなため息を吐いた。私の質問に腹を立てたというよりは、諦めに近い感情のように感じた。
「大したことではないよ。ただ、彼は嘘をついているようだったから、ちょっと気になっただけだ」
「うそ?」
「そう、嘘。……欲望だらけの王宮で暮らしていたせいか、単純に僕の性格の問題なのか、なんとなく人の嘘が分かるんだ。…あぁ、この人はいま僕に嘘をついているなって。嘘は駄目だなんて、そんな潔癖なことは言わないよ。僕だって、平気で嘘をつくし。だけど僕はわがままだから、嘘をついていると分かると嫌な気分になるんだ。信用ができなくなっていく。自分勝手だろう?自分でも嫌になる」
傷ついた小鳥を見ているような気分だった。
目の前の彼はこんなにも健康そうなのに、ぐったりと倒れ込んで、色んなものに対して疲れている。今の彼は、そんなふうに見えた。
「めんどうくさい人ですね」
「……はは。はっきり言うじゃないか。僕は優しいから許すが、僕以外には言わない方がいいよ」
「貴方にしか言いませんよ」
ノア王子が目を丸くする。それから眉尻をうんと下げて、
「……最高の口説き文句だね」
と笑った。私も得意げに笑ったあと、「それはそうと、」と話しを切り替えた。それはそうと、いま優先すべきは依頼のことだ。
「彼はどんな嘘をついたんでしょう」
「さぁね。僕に分かるのは彼が嘘をついたってことだけだ」
「そうですか…。それはちょっと、困りましたね」
うーん、と腕を組んで難しい顔をしてみても、一向に答えは見えてきそうになかった。たとえリロイさんがどんな嘘をついていたとしても、彼には何の得もないように思えるのだ。
考えれば考えるほど、ぬかるみに足をとられているような、そんな動きにくさを感じる。できるなら依頼には誠実でありたいというのが、私の魔女としての矜持だった。だけど今は、少し挫けてしまいそうだ。
「相手が嘘をついていると分かるとそこには悪意があると思ってしまいがちだけど、人は案外つまらない理由で嘘をつくこともある。あまり深く考えすぎないない方がいいなもしれないよ。疑心暗鬼で身動きが取れなくなってしまったら、元も子もなくなってしまうからね」
私は黙って頷いた。彼の言葉は正しい。
そう簡単に気持ちを切り替えるのは難しいとしても、ほんの少しだけ心が軽くなったような気がした。
「……よし。とにかく探し物を探してみましょう。考えるのはそれからです」
「そうだね。でも指輪は嘘かもしれない。別のアプローチを考えた方がいいだろう」
私は、ふむと少し考えてから、水晶を取り出した。年季の入ったこの水晶はもともとおばあさんが使っていたもので、おばあさんが亡くなったあとは、一度も使っていない。
「今、リロイさんに必要なものを占ってみようと思います」
「まぁ、いいかもしれないね。失くしものじゃないとしても、依頼のヒントくらいになるかもしれない」
「分かりました。……でも、笑わないでくださいね」
私がそう言うと、ノア王子は不思議そうな顔をして首を傾げた。私はそのまま何も言わずに水晶に手をかがげる。確か、こう、占いたいものを強く思って……。
「……ねこ?が見えます。あとは本がずらりと並んでるから、本屋さんかな?……あ、緑も見えました」
「ねぇ。占いってそんなにフワッとしてるものなのかい?」
「……占いは得意じゃないんです」
「君、薬の調合以外はてんで駄目なんだね」
そのすべすべしてそうな頬をつねってやろうかと思った。
大笑いこそしなかったものの、鼻で笑う感じがとても癪だ。私は表へ出てきそうな怒りをぐっと自分の中で抑えて、「ちょっと出かけてきます」と声をかけてから席を立った。
「依頼のことだろう?僕もついて行くよ」
断っても無駄なことは、もう十分理解していた。私は何も言わなかったし、彼も何も言わずに私の後をついて来た。