胸を張って
「それで、リロイさんはどうして騎士に?」
パイで小腹を満たした私たちは、再び人混みのなかを歩いていた。こんなにたくさんの人も、たくさんの出店も、くらくらするようなお祭りの熱気も、見るもの、触れるもの全てに興奮する気持ちを抑えながら、私は隣を歩くリロイさんに尋ねた。彼はそんな私の様子に小さく笑ってから、「そうだなぁ」と顎に手を添えて宙を仰いだ。
「実はあんまり考えたことがないんだよね」
ちょっと意外だと思った。
私から見た彼は、「騎士になるべくしてなった」という印象だったからだ。真面目な好青年で、礼儀正しく、思いやりに溢れている。物語に出てくる騎士は大抵、彼のような人だった。
「家がね、まぁそこそこの家柄なんだ。父も、祖父も、曽祖父も……みんな王家に仕えた。子供の頃から父に、『お前は騎士になるんだ』と言われていたから、俺はなんの疑問も持たずに、物心ついた頃には木の剣を振るっていたし、10歳になれば騎士見習いになった」
「じゃあ騎士になりたかったわけではないんですね」
騎士になるための修行だとか、騎士になってからも続く訓練だとか、詳しくは知らないけれど大変だと言うことは分かる。宮廷の騎士なら尚更だ。だから思っていたよりずっとあっさりとした返事に、私は少し拍子抜けだった。
「うん。特別なりたかったわけではないけど、後悔はしてないよ」
「でも騎士はとても大変な仕事でしょう?もちろん仕事はどんなものだって大変だけど、命をかけるなんて簡単なことではないはずです」
私がそう言うと、リロイさんは「まぁそうだね」と言って少しだけ口角を上げた。
「俺はさ、『死んでもこの任務を全うしてやる』みたいなかっこいいこと思えないだよね。そりゃあ命をかけて王家の盾にも剣にもなるつもりさ。だけどどんな任務でも『生きてやる』って思ってる。だって生きて帰ってこられたら英雄だ」
「リロイさんは英雄になりたいんですか?」
「そりゃそうさ。男は誰だって英雄になりたいものだよ!」
無邪気な顔でリロイさんは笑った。少年のような幼い笑顔だった。私の胸に彼と同じ憧れはなくても、不思議と胸が高鳴る。きっと彼の心も、こうやって熱く燃えているのだ。
「──ま、俺の話はここまでにしよう。それよりほら、さっきいいことを思いついたって言っただろう?この店に連れてきたかったんだ」
そう言ってリロイさんはとある出店の前で立ち止まった。彼の視線を辿るように店へ目を向けると、色鮮やかな刺繍が目に入る。スカーフ、ポーチ、リボン……そのどれもに美しい刺繍が施されていて、私は一瞬で心を奪われた。
「綺麗だろ?毎年ここで店を開いてるから、今年もいるかなって思ったんだ。それで、さっきのハンカチのお礼に‥‥と思ったんだけど、君はこういうの好みかな?」
「それはもちろん…‥ですがお礼なんて、」
「俺がかっこつけたいだけなんだ。だから君は好きなものを選んで、笑顔でそれを受け取ってくれたら嬉しい」
そう言われてしまうと私は頷くことしかできない。私は「それじゃあ」と言って、改めて木製の台に並ぶ鮮やかな刺繍たちを眺めた。刺繍の柄は実にいろいろだ。果物だったり、猫だったり、イニシャルだったり。だけどやっぱり多いのはお花だ。華やかなものからシンプルなものまで様々で、可愛らしく、そして美しい。
そんな中で、私は一つのハンカチを手に取る。ハンカチの隅っこに小さく黄色の鳥が刺繍されたシンプルなものだ。
「それが気に入ったの?」
私の手元を覗いてリロイさんが尋ねた。
「珍しいね。黄色い鳥って」
「そうですね。でも、すてきです」
「うん、そうだね。じゃあそれにしようか。──すみません、これを……」
そうして買ったものを、リロイさんは「どうぞ」と言って手渡し、それを私は「ありがとうございます」と言って素直に受け取った。なんだか照れくさい、妙な空気だった。
それからまた私たちはいろんな店を見て回り、やがて日が沈み始める時間になった。名残惜しさに後ろ髪を引かれるものの、楽しかったお祭りもこれでおしまいだ。美しい夢から覚めるように、ふわふわとしていた頭がゆっくりと現実の時間を思い出す。
「じゃあ次はいよいよ舞踏会だね。そういえばドレスはある?ないなら妹のを借りられるか聞いてみようか」
「あぁ、それならロージーさんが貸してくださいました。ドレスがないと言ったら少し驚いている様子でしたけど、後日、ドレスと靴と髪飾りを持って店を訪ねてくれました。彼女、悪い人ではないんですよね」
私がそう言うと、リロイさんは「へぇ」と気の抜けた返事をした。
「俺はあまりロージー嬢には詳しくないけど、エマがそう思ったんなら、そうかもね」
私は、「はい」と返事をした。私の言葉を信用してもらっているようで、少し嬉しかった。それから少しの沈黙が流れた。なんとも言えない、微妙な雰囲気だった。
「もしかして緊張してる?」
「そりゃそうです」
「大丈夫だよ。踊らなくても、会場に来てくれるだけでいいって言われたんだろう?」
「そんなこと言ったって舞踏会は舞踏会ですよ。その場の雰囲気とか、たくさんの人とか‥…わあぁ、考えただけで緊張する」
一時的に頭の中から消していた不安を思い出して、今さら頭を抱える。考えたってしょうがないことは考えない、なんて思っていても、そんな簡単にできるものならやっている。できないから辛いのだ。
「大丈夫だよ」
そんな私を励ますように、リロイさんが明るく言う。いつもなら彼の言葉に勇気づけられるのだろうけど、今日の私はそんなに単純ではない。初めての場所、初めての経験に、心臓はバクバクで、暑くもないのに嫌な汗をかいている。
だけどリロイさんは変わらずに、爽やかに笑って私を見つめていた。私に期待してくれているのだろうか。そんなに期待されたって、私は思っているよりずっと弱虫だし、逃げ出しても誰にも迷惑がかからないならとっくに逃げ出していた。
「初めてのことに緊張するなんて、当たり前のことだ。考えてもみてごらん。今では大きな顔をしている太っちょの老紳士も、澄ました顔をしている美しいご婦人も、みんな初めてはあった。今の君みたいに緊張して、白い顔をしながら目を泳がせていた。だとすれば、必要以上に緊張する必要なんてないさ。どんなに遠い存在に見えたとしても、君と彼らに大きな違いはない。それでもアドバイスをするとしたら、自信があるように見せることかな。本当は自信がないとしても、胸を張って堂々としてる人を、人は見くびらないものさ」
そうかな。……そうかも。
なんの根拠がないとしても、不思議と彼の言葉には説得力があった。私は頷いた。彼の言葉の通りに胸を張れば、ほんの少しだけ自信が持てた気がする。
大丈夫。上手くいっても、いかなくても、この日を乗り越えた私を、きっと私は好きになる。




