偉大なるあなたへ
「結局、魔女に手紙を送ったのは孫娘だったってわけだ」
ひと足先に家を出た私たちは、夜の風にあたりながらゆっくりと宿までの道を歩いていた。空も、そして地面も、眩いばかりの光で満たされて、世界どころか同じ国にいるはずなのに、まるで別の世界に旅行にきたような、何だかとても贅沢な気分だった。
「そうですね。子供の頃から魔女の……レイチェルさんの話をおとぎ話のように聞かされていたらしく、ついに先日、手紙を書いてはどうかと提案されたそうです。最初は断ったそうですが、やっぱり手紙だけならと送ることに決めて、お年を召してペンを上手く扱えないクロエさんの代わりに、孫が……ということです」
ノアは話を聞きながら「ふぅん」とつぶやいた。それから少し間を空けて、「でもさ、」と改めて口を開いた。
「でもさ、クロエさんはどうして住所を書かなかったんだろうね。書いていれば、二人はもっと早く再会できたのに」
ノアの言葉を聞いて、わたしも「うーん」と頭を悩ませる。
涼しい風が二人の間を静かに通り過ぎていった。隣を見るとふいにノアと視線が重なって、少し気恥ずかしくなった私は何も言わずに視線を外した。
「……怖かったのかもしれません」
「怖かった?」
「住所を書いて、会いに来てくれなかったらすごく淋しいです。でも書いていなければ、会いに来れないのはしょうがないことだと思える。……だけどクロエさんはきっと師匠が来てくれると信じていたと思いますよ。そうでないと“もう一度会えたら“なんて書きませんから」
私の話を聞いて、ノアは「そうかもねぇ」と答えた。そして、「その師匠がまさか自分に呪いをかけてるなんて夢にも思わなかっただろうね」と笑った。
彼の言うとおりだ。魔女というのはどうしてこうも面倒くさい生き物なのだろうと常々思う。感情に振り回されて痛々しく傷ついたかと思えば、ちょっとしたことでご機嫌になって雨の音を音楽の代わりにしてダンスを踊ったり。自分を祝福したり、自分を呪ったり。誰かを深く深く愛しては、瞬きの瞬間、強く強く憎んだり。心がいつもむき出しなのかもしれない。
「それに、私は二人の再会が今日でよかったと思います」
「そう?二人とも再会を望んでいたのだから、早いほうがよかったんじゃない?」
私は、淡い光に包まれたあの部屋で再会を果たした二人のことを思い返した。
皺が寄った肌、真っ白な髪、かすれた声。長い年月の間に、再会のチャンスはいくらでもあっただろう。きっとお互いに、お互いのことを考える日だってあったはず。だけど二人は会わないことを選んだ。それが正しかったのかは分からない。けれど間違いではなかったとは思うのだ。
「二人にはきっと、時間が必要だったんです。お互いに会いたいと願っていれば、自然と感動の再会が訪れるわけではないと私は思います。会ったとして、お互いに素直になれる?相手を傷つけずに話ができる?相手の話しをちゃんと聞ける?……こういうことができないなら、再会したってきっとすぐにダメになるんです。だからたぶん、二人がきちんとした形で再会するためには、これだけの時間が必要だった。別れてすぐでも、十年前でも、昨日でも、きっとダメだったんです」
私の言葉を聞いて、ノアはふっと笑った。
「じゃあ二人はラッキーだ。死ぬ前に、そんな日が訪れたんだから」
私も笑った。
本当にそのとおりだと思った。一体この世界でどれだけの人々が、そんな恵まれた機会と永遠に巡り会えないまま生涯を終えるのだろう。
許せなかったり、許してもらえなかったり、意地を張ったり、素直になれなかったり。今はただ、今後の人生でそういう別れがないことを切に祈るだけだ。
「──ちょっと。黙って先に帰るなんて礼儀がなってないわよ」
突然、後ろから声をかけられて驚いた。
振り向くとそこにはレイチェルさんが立っていて、言葉のわりに怒った様子はなく少しだけホッとした。
「てっきりもう少し感動の再会に浸るのかと思って、気を利かせたつもりだったんだけどなぁ」
安堵したのも束の間、ノアの言葉は癪に触ったらしい。少しムッとした表情で、
「感動の再会?馬鹿なこと言わないで」
とレイチェルさんは言った。
「これからは時々顔を見せにくるわよ。弟子が淋しいと言っているんだもの、仕方ないわ」
「…‥素直に自分が顔を見たいからと言えばいいのに」
「あの子が寂しいと言っているの。いい?あの子が、よ。私は弟子の面倒を見ているだけ。師匠だもの、当然でしょう」
「はいはい」というノアに、レイチェルさんはご立腹の様子だ。だけど、まぁ、全てが無事に解決したのならそれに越したことはない。
そんな肩の荷が降りた心地でいた私に、「あぁ、そうだ」と思い出したようにレイチェルさんが振り返った。
「私がどうしてあなたに依頼したか、もう気づいたかしら」
突然そんなことを言われたものだから、私は「え?」と聞き返すことしかできなかった。すると彼女は「やっぱり気がついていなかったのね」と少し呆れた様子で肩をすくめる。私を選んだ理由があるなんて思っていなかった私にとって、それは寝耳に水だった。
「たまたま見つけた魔女が私だっただけでは?」
「私、もう何百年も生きているのよ?魔女の知り合いなら他にもいるわ。……あなたに依頼したのは、あなたが私の友人の弟子だったから。一度会ってみたかったのよ。いい弟子を持ったのね、ベアトリスも」
え。
えぇ?
友人?おばあさんと、レイチェルさんが?友人?えぇ?
「そういえばこのバラの種をくれたのも、あの子だったわ。薬の材料にするために品種改良してみたけど、失敗したからあげると言われたの。……あぁ、今思い出した。その帰り道にこの村に立ち寄ったら、とても臭かったの。呪いの嫌なにおい。だからついでに呪いを解いてやったら、娘が礼がしたいと言うものだから種を押し付けてやったのよ。だって薬の材料にもならないのに育てるなんて面倒だけど、育たないまま生涯を終えるなんてちょっと哀れだったから」
まだ混乱している頭に、レイチェルさんはまた燃料を注ぎ込んでくる。パンクしそうになる頭を抱えながら、私は彼女に尋ねた。
「それってつまり、この村を救った魔女の正体はレイチェルさんだったということですか?」
そう言われて、彼女は顔をきょとんとさせてから、
「それも気づいていなかったの?」
と答えた。
それならそうと村の伝説を話している時に教えてほしい。当事者に向かって話していただなんてすごく恥ずかしい。
「ちなみに少し気になったのですが、おばあさん……いえ、師匠は失敗した種をレイチェルさんに渡したのですか?本当は、光るバラを見せたくて贈ったのではなく」
私がそう言うと、レイチェルさんはおかしそうに肩を揺らした。
「あの子が私に贈り物?面白いことを言うのね。あの子は善意で贈り物なんてしないわ。他人との馴れ合いは好まないし、望んで一人でいるような魔女だった。根は真面目なんだけど、真面目ゆえにいつも何かに怒っているみたいだったわ。……でも、そう。あなたにとってベアトリスは善人に見えたのね。だとしたら、きっとあなたにそういう風に見られたかったんじゃないかしら。清く、正しく、穏やかで礼儀正しい魔女に。だから彼女をお手本としたあなたは、こんなに素敵な魔女に成長した。あの子の作戦どおりってわけね」
何と返事をすればいいのか分からなかった。
私の知らないおばあさんの別の顔。それを知れて嬉しい気持ちと、少しの淋しい気持ち。ただ一つ確かなことは、私が思っている以上におばあさんは、私を愛していてくれたということ。自分が自由に振る舞うことより、私の成長を願ってくれた。私がまっすぐ歩けるように育ててくれた。
……ありがとう、と思う。
心から、ありがとう、と。
師匠。
偉大すぎるあなたの背中を、私は生涯、追い続けることになるでしょう。一生、追いつくことなんてできないのかもしれません。それでも走ります。あなたに褒めてもらいたいから。
だからいつか、あなたの背中に追いつくことができたなら、めいいっぱい褒めてください。頭を撫でて、頬に触れて、「よく頑張ったわね」と微笑んで。
どうかそれまで、天国から見守っていてください。あなたの愛する弟子は、今日も変わらず元気でやっています。
五部はこれで終わりにします。
読んでくださった方、ありがとうございました。




