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魔女の弟子

“他に聞きたいことはありますか。私が知ることなら、なんでも。“


“そうですね……。では、もうひとつだけ。この街で、瞳の色を変える薬を売っている店はありますか。“


 考えてみればおかしなことだった。

 バラの香りがついた手紙。この土地に由来するクロエという名前の多さ。この町にレイチェルさんの弟子がいることはほぼ間違いないだろう。それなのに、宿の店主も、教会に行くまでに声をかけた町の人たちも、神父様も、クロエという名前の魔女を知っているどころか噂の一つも聞いたことがなかった。


 最初は人間のふりをしているのかと考えた。だけどこの町の伝説を聞いて、それに対する町の人々の反応を見て、魔女であることを隠す必要が見当たらなかった。少なくとも、生まれてから今までに一度も正体がバレなかったとは考えづらい。

 ──では魔女のクロエはどこに隠れているのだろう。答えは簡単だ。そもそも“魔女のクロエ“は存在しない。


「昔話をしましょう。魔女の弟子になった、人間の話です」





 バラが美しく咲き誇るとある町で、ひとりぼっちになってしまった少女の物語です。


 少女の名前はクロエ。

 ありふれた田舎町の、ありふれた名前の、ありふれた少女です。クロエは仲のいい両親と慎ましく、ささやかな幸福に包まれながらしあわせに暮らしていました。

 ですが不幸とは誰の上にも降り注ぐものです。

 ある日のこと、クロエの両親を乗せた馬車は不運に見舞われ、家で待つたった一人の娘をおいて二人は天国へと旅立ちました。


 クロエは深く深く悲しみました。悲しんで、疲れて、眠って、目が覚めてはまた現実に打ちのめされ……やがて数日が過ぎました。けれど悲しみに暮れる時ですら、クロエのお腹はぐーぐーと鳴ります。

 食べなくてはいけません。生きていかねばなりません。

 クロエは一大決心をします。


『この名前である限り、あなたは魔女に守られているのよ』


 母の言葉を思い出します。そうです。“クロエ“は魔女に守られているのです。

 少女は魔女に会うことにしました。けれどクロエだって愚かな娘ではありません。本当は魔女が人間を好ましく思わないことくらい、ちゃんと分かっています。クロエは町で一番、奇妙で、不思議で、恐ろしいものが売っている店に向かいました。その店に瞳の色を変える不思議な薬が置いてあることを、クロエは知っていたのです。


 そしてクロエは瞳の色を変え、噂話をもとに魔女の家へ辿り着きました。暗い森の中です。泣いてしまいそうな気持ちをグッとこらえて、クロエは扉を叩きました。


『……何のご用かしら』


 出てきた魔女はお婆さんではありませんでした。仏頂面で笑顔はなく、怒っているような気さえします。

 ですがクロエだって逃げるわけにはいきません。


『私をあなたの弟子にして!』


 言ってやりました。両親がいなくなってから、こんなに大きな声が出たのは初めてで、自分でも驚いたほどです。

 魔女はあからさまに嫌な顔をしています。そして、


『嫌よ。帰ってちょうだい』


 それだけ言ってさっさと家の中へ戻ってしまいます。クロエはショックでした。


『(“クロエ“は魔女が守ってくれるって言ってたのに!ママの嘘つき……!)』


 そんなことを思っていたって仕方がありません。クロエは魔女の跡を追って家の中に入りました。魔女はとても嫌な顔をしましたが、結局何も言いませんでした。


 それから二人の生活は始まりました。最初はクロエを厄介者にしていた魔女も、少しずつ少しずつクロエに色々なことを教えてくれるようになりました。


『薬の材料を、煮込む時はゆっくりかき混ぜるの……あなたのは早すぎるわ。もう少しゆっくり………あぁっ、溢してしまったら意味がないでしょう』

『占いは、占いたいことを明確に思い浮かべるの。……そうそう。……あなた、またおやつのことを考えていたでしょう』

『魔女たるもの、威厳がなくてはいけないわ。あらゆることを完璧にこなしてこそ……いいえ。あなたはまず、字を綺麗に書けるようになりなさい。それじゃあ古代文字だと思われるわよ』


 生きる(すべ)を魔女に教わろうと思っていただけでした。一人で生きていけるだけの力を身につけたらすぐに逃げるつもりで……。

 だけど今は違います。魔女に自分の正体がバレてしまうのが何より恐ろしいのです。


 嫌われてしまったらどうしよう。

 拒絶されてしまったらどうしよう。


 そんなことばかり考えてしまうのです。いつ打ち明けようか、それともこのまま秘密にしてしまおうか、そうやって迷っているうちに、不思議なお店で買った薬は残りわずかとなりました。

 クロエはその薬があと一つになった日、ついに魔女の家から去りました。正直さよりも、自分の心を守ることを選んだのです。


 クロエは家に戻り、あの不思議な薬を買ったお店で働き始めました。薬を作る知識は魔女からもらいました。もう十分、一人でだって生きてゆけます。

 やがて年月が過ぎ、少女は大人になりました。愛する人と結ばれ、子供に恵まれ、苦難に見舞われたり、幸運に助けられたりしながら、クロエは再び幸せを取り戻したのです。


 めでたし、めでたし。





「……物語はこれでおしまい。だけど人生は、生きている限り続いていきます」


 淡い光を帯びるムーンライトローズ。これにはもう少し秘密があった。

 町を救った魔女が少女に渡した種は、花が咲き、そして散って、また新しく種ができては町の人々に配り、そうやって町中に広まった。その過程で光は少しずつ弱くなっていったが、変わらないものもあった。


 魔女から受け取ったバラの種を植えた場所。そこに咲くバラだけは、ふしぎと昔と変わらない輝きを保っている。

 ……そう、これはいくつもの偶然が重なった奇跡。


 クロエさんの家はもともと領主の家だった。彼女の両親がこの世を去り、クロエさん自身も行方不明になったことにより領主は別の人が代わりを務めることになったが、家は変わらなかった。おかげで彼女の家の庭は、夜になると月が落ちているのかと思うほどに眩い光を放っている。

 ──そう、こんなふうに。


「さぁ、レイチェルさん。ハッピーエンドのつづきです」


 私は彼女の背中をそっと押す。彼女の視線の先には一人の女性が立っていた。

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