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不思議な出会い

 それは店の看板を下げた夜の出来事だった。


 星が優しく瞬いて、あちこちから夕ごはんのなめらかな香りが(ただよ)ってくる。昼の喧騒が嘘のように静かになった夜の店先で、私は小さくちぎったパンと水を、すっかり店の前に居着いてしまった野良猫へ与えていた。


「もう。ご飯をあげるのは今日が最後だからね」


 言葉が分かっているのか分かっていないのか、猫は呑気に「にゃー」と鳴き、それからまたパンをむちゃむしゃと頬張った。


(さて、私も夕ご飯にしようかしら)


 私は立ち上がって、ぐっと背を伸ばした。

 病が蔓延していた寒い冬を越したとはいえ、春だろうと夏だろうと人は風邪をひくし怪我だってする。風邪薬やら塗り薬やらを作る隙間を縫って、リロイさんにかけられた呪いの手がかりを探す日々は、大変ではあるものの苦ではなかった。


 友人の力になること。


 それは小さな頃に思い描いていた、宝石よりも魅力的な夢のかけらのひとつだ。


「こんばんは。かわいい魔女さん」


 急に声をかけられて、私は驚いた。慌てて姿勢を正すと、そこには美しい一人の女性が立っていた。


 ふわふわと夜風に揺れる豊かな金髪。おっとりとした優しいまなざし。女性らしい柔らかな曲線は、美しい黒のドレスが包み込んでいる。そして何より、特徴的な先の曲がったとんがり帽子から覗く、目が覚めるようなかがやきの緑の瞳。

 彼女は魔女だった。

 春の夜のように、うっすらとした肌寒さと、頬を撫でるなまぬい風が人の形をしたような、不思議な雰囲気の魔女だった。


「こ、こんばんは。今夜はよい月夜ですね」


 返事をする代わりに、魔女はうっとりするような美しい微笑みを見せてくれた。つられて私もぎこちなく微笑むと、彼女はぐっと距離を縮めて、そのまま私の耳にぶら下がっているイヤリングに手を伸ばした。

 それは私がこの家の前でおばあさんに出会ってから、ちょうど七年目の日におばあさんから贈られたものだった。彼女はイヤリングについている小ぶりのグリーンの石を指先でそっと掬って、愛のこもったまなざしでそれを見つめた。


「あぁ、やっぱり。ここにあったのね」


 私は慌てて彼女から体を離した。それからイヤリングに触れて、私の耳にまだそれがついていることにホッと胸を撫で下ろす。

 けれど落ち着いたところで、今の自分の行動があまり礼儀正しいとは言えないことに気がついて、すぐに彼女に謝った。


「す、すみません。驚いてしまって、つい……」

「あら、気にしないで。急に近づいて驚かせてしまった私が悪いの。あなたって、魔女なのに真面目なのね」


 口に手を当ててくすくすと肩を揺らす仕草でさえも、彼女からは嫌な雰囲気がまったく伝わらなかった。むしろ少女のような可憐さに、うっかり心を奪われてしまうような気さえした。


 そんな彼女に絆されそうになっているところに、ぐぅ、と小さな音が響いた。私のお腹から鳴った音ではない。魔女と目が合うと、彼女は少し恥ずかしそうに笑いながら、「今日はこれでお暇しようかしら」と言った。


「……よければ、一緒に夕食はどうですか?クリームシチューを作ったんです」


 深い意味はなかった。

 ただ、お腹を空かせた帰り道の何ともいえない心細さは、ひとの心を簡単に淋しくさせる。できることなら、そんな淋しさとは誰もが無縁であればいいのにと思うのだ。


「まぁ。いいの?」


 花が咲いたように笑う彼女に、私は頷いて家へ招いた。





「今日はなんていい日なのかしら。こんなに美味しいシチューが食べられるなんて。それに誰かと一緒に食事をするのも久しぶり」


 大げさに喜んでくれる彼女に、私も満更でもない気分になった。少し照れながらも「お口にあってよかったです」と返事をして、照れくさい気持ちを誤魔化すように私もシチューに口をつけた。

 よく煮込んだ豚肉や野菜は程よくやわらかく、ほんのり甘い。スープの滑らかな舌ざわりも相まって、私の中でも結構よい出来になったと思う。


「そういえば、名前を言っていなかったわ。私はフィオナ。あなたのお名前は?」

「エマです。普段はここで人のための店を開いていますが、もちろん魔女も歓迎ですので困ったことがあれば、ぜひ」


 私がそう言うと、フィオナさんはシチューを食べる手を一度やめて、少し驚いたような表情を見せた。


「人のためのお店?人間を相手に、占いや呪いをするお商売とは違うの?」

「呪いや占いは苦手ですが、必要ならそれもします。あとは依頼に応じて薬を作ったり、魔女の力を使わない場合もありますね」

「まぁ。あなたって魔女の中でもとび抜けて、変わりものの魔女なのね」


 手を口の前へ持ってきて目を丸くするフィオナさんに、私は「あはは」とから笑いをした。言われてみれば、確かに私は変わりものだ。


「だから本がたくさんあるのかしら」

「あぁ、いえ。これは以前、一緒に暮らしていた魔女のおばさんのものです」

「おばあさまは、もう?」

「はい。今はひとりで暮らしています」

「そうなのね。ひとり暮らしには慣れた?」


 フィオナさんの言葉に、私は黙って微笑んだ。彼女もそれ以上、追求することはなかった。


「私もひとりで暮らしているの。子どもの頃は孤児院で暮らしていたこともあったのだけど、抜け出して、それからずっとひとりよ」

「え?孤児院を抜け出したのですか?」

「えぇ。かくれんぼみたいで楽しかったわ。かくれんぼなんてしたことないからよく分からないけれど」


 おっとりしているように見えて意外とやんちゃな性格に、私は「へぇ」と返事をしつつ、心の内ではかなり驚いていた。彼女のような魔女に『変わりもの』と呼ばれたことが、今になって複雑になってきた。


「私はね、ひとりが好きなの。気のままに繰り出す夜の散歩も、誰にも邪魔されない静かな朝も、何の予定もない日の朝とも昼とも言えるような時間に食べるご飯も」


 まるで詩を読むように、歌をうたうように、フィオナさんは言葉を綴った。私は彼女の言葉をひとつひとつ想像しながら、そのどれもにうっとりするような気持ちだった。


「だけど、不思議なの。みんな私を、孤独でかわいそうな魔女だというの。私は孤独を愛しているのに、おかしいわね。まるで、みんな私を『かわいそう』だと思いたいみたい。私を『哀れな魔女』にしているのは、人間なのにね」


 『今日は雨だった』くらいの口ぶりで、彼女はつまらなさそうにそう言った。

 それからパッと表情を変えて、春のように笑う。ころころ変わる表情に、私はついていくのがやっとだった。


「つまらない話をしちゃったわ。ねぇ、今度はあなたのお話を聞かせて?面白い話でも、怖い話でもいいわ。どんなお話も私は好きよ」


 急に話を振られて、私は慌てた。私がおもしろ話をぱっと閃けるような口上手な魔女だったなら、今頃このお店はもっと繁盛していたことだろう。


「えぇっと。……あー。その……質問とかでもいいですか?」

「質問?えぇ、もちろんいいわ。どんなことを聞かれるのかしら。楽しみね」

「大したことではないのですが、フィオナさんは呪いについて詳しいでしょうか?」


 思ってもみない質問だったらしいフィオナさんは、目をぱちくりとさせた。


「呪い?うーん、そうね。私は呪いをかけたことも、解いたこともないから、おそらく詳しくはないわ。どうしてそんなことを聞くの?」

「実は友人が魔女に呪われてしまい、他の魔女からも助言をいただけたらいいなと思いまして」

「まぁ、それは大変ね。あなたの友人は、どこかで魔女の恨みでも買ったのかしら」

「いえ、そんな人ではないのですが……」


 とはいえ、恨みなんてどこで買うか分からない。そうでなくても魔女は気まぐれだ。悪戯のつもりで呪うことだってあるかもしれない。

 そうやってあれこれと頭を悩ませていると、フィオナさんの細くて長い指先が私の視界に映り込んだ。人差し指をピンと伸ばして、にこりと笑っている。


「では、自分で自分を呪ったのかしら?」

「自分で、呪う?」


 まさか。

 私は冗談だと聞き流そうとするけれど、フィオナさんは微笑みを浮かべたまま話を続けた。


「ありえない?本当に?あなただって、自分を呪うのに?」

「私がですか?」

「えぇ、そう。たとえば、『私なんか』なんて思ったことはない?『自分は魔女なんだから嫌われて当然』『好かれたいだなんて思ったって無駄』。そうなふうに思ったことは一度もない?」

「……それは、」


 言葉を詰まらせる私に、フィオナさんは慌てる素振りをみせた。


「あぁ、ごめんなさい。意地悪をするつもりはなかったの。……でもね、どうか分かって。自分で自分を呪っても、いいことなんて一つもないわ。あなたも、あなたの周りの人も不幸になるだけ。大丈夫。人の役に立とうと頑張るあなたは、ちゃんと愛されるべき魔女だわ」


 フィオナさんの滑らかな手が、私の頬をさらりと撫でた。

 それから彼女は席を立って、


「ごちそうさま。今日はもう帰るわ」


 と言った。

 見送りに立とうとする私をフィオナさんは手で静止をして、彼女はゆっくりと扉へ向かい、振り返った。


「また会いましょう。エマ」


 そうして不思議な出会いは、一度、幕を閉じた。

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