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顔の見えない支援者

「失礼。私も話に加わってもいいかな?」


 いつの間に戻ってきたのか、玄関にはノアが立っていた。

 優雅な微笑みを浮かべながらゆっくりと私たちに近づいて、足音が静かなアトリエによく響いていた。その後ろからリロイさんも歩いてくる。心なしか表情は明るく見えた。


「エマは何か分かったかな」


 ノアが言った。

 私が頷くと、ノアは満足そうに目を細めた。


「よかった。僕も面白いことを見つけたよ。きっと君の役に立つ」


 ノアの言葉の真意は分からなかった。けれど私は知っている。彼は信じてもいい人だということを。だから彼が「役に立つ」と言うのなら、きっと本当に役に立つことなのだ。


 私はノアには何も聞かず、そのままテオさんの方へ体を向けた。テオさんは少し緊張したような表情を浮かべて、黙って私を見つめていた。


「──結論から言うと、テオさんの身に起きたことは呪いではないと思います」


 私がそう言うと、テオさんは胡散臭い探偵の話しでも聞くように表情を(しか)めた。それも無理はない。テオさんの中にはすでに『呪い』という答えがある。それを覆すには正しい知識が必要だ。

 私は彼の手の中にある器を指さして「呪いの正体は、たぶん、それです」と言葉を続けた。黒くて、どろりとした液体。甘い匂いが際立つのが少し引っかかるけれど、おそらくそれは私が知るものだった。


「それは東の国のものですね。黒くなっていますが、もとは飴色をしていたはずです」


 私の言葉に先に反応したのはノアだった。彼は首を傾げながら、


「飴色?」


 と聞いたので、私は頷いた。


「それは植物の樹液に少し手を加えたもので、東のほうでは美術品に使われるそうです。その植物には薬効もあるようなので本で見たことがあるのですが、問題点が二つありました。一つ目は、その植物は東のほうにある国にしかないこと。二つ目は、()()()()()()()()()ことでした」


 テオさんの肌が赤く腫れ上がったように。

 そう言われてテオさんはハッと目を開いたけれど、すぐに何かを考える様子を見せたあと、小さく首を左右に振った。


「実のところ、俺はこの塗料についてはよく知らない。だけどそれが本当だとしても、俺はまだ一度もこれを使ったことはないし、触れたことさえないんだぞ?せいぜい粘度や色を確かめるためにペインティングナイフでつついたり、混ぜたりした程度だ。肌には触れてない」


 暴論だとでも言うように、テオさんは非難の目で私を見つめる。

 それでも私にはまだ考えがあった。子どもの時からずっと植物の図鑑が唯一の友人だったことが、いま活かされるのは正直なところ複雑ではあるのだけど。


「この植物の厄介なところは、においを嗅いだだけでもかぶれてしまう人がいることです。つまりテオさんは、この植物とかなり相性の悪い体質をしていることになります」


 発疹が三日で治まったのは、直接肌に触れたのではなく、軽くにおいを嗅いだだけだったからだろう。そうでなければ、完全に治りきるまでに一週間以上は経ったはずだ。


「じゃあこれを贈ってくれた人は、かぶれることを知って贈ったのか?だとしたら呪いじゃなくても、人の悪意であることには変わりないじゃないか」

「たぶん、相手は知らなかったと思いますよ」

「なんでそんなことが言えるんだよ」


 少しずつ真実が見えてきたにも関わらず、テオさんの顔は浮かなかった。信じていた相手に裏切られたのかもしれないという恐怖は計り知れない。せめてその誤解を、私は解きたかった。


「さっきも言ったとおり、この樹液は東の国にある植物から採れます。少量しか採れないので貴重なうえ、輸入するとなれば多くのお金が必要になるでしょう。嫌がらせをするためだとしたら、割りに合いません」


 テオさんは何も言わなかった。悪意とも、善意とも言えない宙ぶらりんの状態で、気持ちの整理がつけられないようだった。


「気になるのでしたら、アトリエを貸してくれている人に聞いてみてはどうでしょう。聞きにくければ私の方から……」

「いや、分からないんだ」

「分からない?」

「そう。アトリエの持ち主に会ったことがない。月に1、2回手紙のやりとりをしていて、会わなきゃいけない用事の時は代わりの人を寄越してくる。だから顔も知らないし、名前も知らない。調べようかと思ったこともあるけど、こうまでするってことは知られたくない理由があるんだろうなと思って、やめた」


 それはとても奇妙なやりとりに思えた。

 もし私がテオさんの支援者だったなら、きっと会いたくなると思う。会って、あなたの作品のこんなところが好きなんですとたくさん伝えたい。それなのに、そんなに回りくどいことをしてまで会わない理由とは一体なんだろう。

 そんなことを考えながら何となくノアに視線を向けると、彼は私の視線に気づくなり、にっこりと笑った。これは何か知っている顔だ。


「支援者のことは置いておくとして、この近所で面白い話を聞いたよ。なんでも、この辺りに魔女が店を開いたらしい」

「あぁ、それなら俺も知ってる。確か、そっくりな複製品を作るのが上手いらしい。行ったことはないが、噂は聞いたよ」


 この会話に何の意味があるのかは分からないけれど、ノアの話は私にとって興味深いものだった。


 魔女はふつう、森や山でひっそりと暮らしている。

 商売をするにしても森や山でお客が訪ねてくるのを待つか、人間だと偽って街で商売をするのが基本だ。だから魔女だと公表しながらお店を開くなんて変わり者は私くらいだと思っていた。というより、私が知っているかぎり、私以外でそんな変わり者はいなかったのだ。


 変わっている。

 この国は少しずつ変わろうとしている。

 冬のおわりに春を待つときのように、私の胸は静かな期待で膨らんでいた。


「じゃあこれは知ってるかな?その魔女が最近作った複製品は、【東の国にある夜のように黒い塗料】だそうだよ」

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