表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
73/73

FILE No.073 大境城の夜

 天守を仰ぐ大境オオサカ城の巨大なイラカの波。


 夜風に煽られた篝火カガリビが爆ぜるたび、赤髪黒装束の影が瓦の上を一直線に奔る。


 それを追う馬廻衆ウママワリシュウの目は、獣じみた金色、血の如く赤、或いは毒々しい燐光に染まっていた。


 瓦を掴む指先にも、人ならざる鉤爪が鈍く光っていた。


 だが、影が闇を縫うたび、異形どもは一人、また一人と夜に呑まれていく。


 刀を抜く暇も、声を上げる猶予もなく、ただ、息を呑むほどの速さで……。

 

 城内を巡る一人の武者が、違和に氣付き振り返る。


 さっきまで隣で歩いていた同輩が、膝を突いたまま微動だにしない。

 

 その身体は魂氣コンキを抜かれ、抜け殻となって月下へ崩れた。


 その刹那、武者の頬に湿った風が吹き抜けた。


 その目に、赤い残像が焼き付く。


 時、既に遅し……。


 また一人、自らの異形を誇示する間もなく、闇の中へと消えていく。


 影もまた、天守へ連なる入母屋イリモヤの闇に、音もなく消えていった。


 -----


 高欄コウランを越え、板張りの廊へと舞い降りる影。


 そこには生き物の吐息すら拒む、禍々しい邪氣がヨドんでいた。


 常人ならば、一息ごとに瘴氣が胸の奥を軋ませる。


 だが、赤髪黒装束は羽虫でも払うかのように歩を進め、天守最奥に設けられた、天下人の御座所•萬耀御対マンヨウオツイへと辿り着いた。


 その前では、刀を抜いた御側衆オソバシュウが待ち構える。


 赤髪黒装束は一瞥し、彼等の意識を音もなく絶っていき、廊は瞬く間に静寂に包まれていた。


 最早、行く手を遮る障りは、一枚のフスマのみ。


 赤髪黒装束は僅かに間を置き、迷いなく開け放った。


 その途端、生命の熱を拒むような、底冷えした粘氣が押し寄せる。


「……来おったか。」


 奥の段に座す影が陽炎のように揺れ、低い掠れ声が重苦しく空氣を擦る。


 対峙する相手は、天下人•照羽テルワ徳臣トクオミ


 赤髪黒装束は、名乗らず一歩踏み込む。


 無駄を削ぎ落とした最短の軌道で、徳臣の首を斬り落とす。


 確かな手応え……の、はずであった。


 斬り落とされた頭部は、断面から鮮血ではなく、黒い煤のような霧を噴き上げ、畳の上に転げ落ちた。


「……ほう。見事な太刀筋じゃ。」


 無造作に転がる生首が、事もなげに言葉を発する。

 

「これほどの手練れ、そうはおるまい。お主は、あの"戒喰カイバミ"であろう?」


 戒喰とは……。


 妖幻アヤカシがその姿を見たが最後、確実に祓魔すると畏怖された破妖導師であった。


 だがこの時、戒喰の刀には黒い瘴氣が絡み付き、冷たい鋼の芯をも侵食し始めていた。


 その僅かな動揺を突き、徳臣の傍らの影が襲い掛かってくる。


 懐刀•磐岐イワキ継成ツグナリ


 繰り出す刺突は、一直線に戒喰の喉元へと迫った。


 戒喰は紙一重で、その切先を躱す。


 だが、継成にとっては、徳臣の前へ立ち塞がるための布石に過ぎなかった。


 双方、睨み合う最中…。


 静寂を裂く衣擦れと共に、紗々シャシャが前へと歩み出た時、畳を転がる徳臣の首は、細い指先にそっとスクい上げられていた。


「殿下、おいたわしや…。」


「……紗々よ。些か、景色が逆さまじゃぞ!」


 苦笑いする生首は、内側から崩れるように黒霧へと変わり、紗々の指をすり抜け、胴体へと奔流していった。


「グフフ…。これじゃ!これじゃ〜!!」


 悠然と笑う徳臣を前に、戒喰は侵食されゆく刀を見つめ、その正体を低く呟いた。


「……黒羅霧コクラボウ。」


--●恐閤キョウコウ 黒羅霧●------------------------------------------------


 煙の妖幻アヤカシ、或いは煙に宿る精霊の類。

 その身を自在に変え、大気を漂う。

 古くはカマドや風呂場から立ち上る煙の中に、不気味なカオを浮かび上がらせる怪異として恐れられた。

 斬撃も打撃も意味を成さず、並の鋼では空を切るばかりで、霊的な裏付けを持つ力でなければ、触れる事すら叶わない。

 黒羅霧は、周囲の空気すら己と同化させ、触れたモノを内側から侵し、喰らい、溶かす。

 また、本質が煙であるがゆえ、強風下では形を保てず、その力を存分に振るう事ができない。

 だが、四方を壁に囲われた密室では、絶対的な優位性を保てる。


 [※妖文堂ヨウブンドウ書院刊《妖幻アヤカシ大全シュウ 第二篇》より抜粋]


------------------------------------------------------------------------


「ほう。その名を知っておるか……。」


 徳臣の目が愉悦に細まる。


「戒喰は悉く、妖幻アヤカシを虚空へ還すというが……お主に余を討てるか?」


 戒喰は揺るぎない覚悟を宿し、その双眸で徳臣を射抜くように見据えていた。


 だが、その視線を割るように、継成の斬撃が迫る。


 最短距離で急所を穿つ冷徹な太刀筋。


 戒喰がそれを受け流すたび、瘴氣に侵食された刀は軋みを上げ、火花が散り、煤が舞い、乾いた破砕音が静寂を斬り裂く。


 継成の一撃が、甲高い破砕音と共に戒喰の刀を粉砕した。


 だが、折れた刀身は継成の脇腹を深く斬り裂き、蒼い畳へ鮮血を撒き散らしていた。


「くっ……。」


 戒喰は迷わず折れた刀を捨て、この機を逃さず、指に挟んだ三条の銀閃を奔らせた。


 しかしそれらは、板のように伸びた紗々の帯に悉く弾かれた。


「これ以上の狼藉、妾が許しませぬ!」


 艶やかな絹の帯は逆巻きながら壁と化し、徳臣の身を幾重にも包み込んだ。


 戒喰は一瞬で仕留め損ねたと悟ると、無言のまま身を翻し、御簾ミスの裏へと滑り込んでいく。


 その内側には、侍女が膳を運ぶための細い通路が隠れていた。


佑助ウスケ!逃がすでない!手足を引き千切っても構わん!生かしたまま、余の前へ引き据えよ!!」


 徳臣の怒氣が迸り、剥き出しの殺意だけが膨れ上がる。


 継成は滴る血も厭わず、その場に深く平伏すると、黙したまま主君の命を拝受したのであった。


「……御意。」


 -----


 灯りも届かぬ、柱と壁に挟まれた息苦しい暗がり。


 その狭い通路を、戒喰は足を止めずに駆け抜けて行く。


 そこは正面の廊とは繋がらず、脇へ脇へと折れ曲がる裏導線であった。


 奥まった角を抜けた先には、外へ通じる黒漆塗りの板戸が有り、手を掛けて引き開けると、冷たい夜気が流れ込み、視界が開けた。


 戒喰は高欄コウランを踏み越え、袖口から鉤縄を放つと、軒下の梁へ絡み付き、弧を描きながら下方へと降っていった。


 辺りは既に、鋭い呼子の音が響き渡り、提灯の灯りが次々と闇を押し返していく。


「曲者ぞ〜ッ!」

「逃すな〜ッ!」 


 静寂を塗り潰す怒号が幾重にも重なり、闇夜を震わせる中、戒喰が目指すのは本丸北端…。


 そこには深い空堀を跨ぎ、二の丸へと通じる唯一の架け橋『無常橋ムジョウバシ』があった。


 その橋を渡りきれば、石垣が複雑に重なり合う"腰曲輪コシクルワ"の闇に紛れる事ができる。


 だが、橋の袂に辿り着いた時、不自然なほど凪いだ空氣が肌を刺してきた。


 月光を背にした橋の入り口には、数十名の精鋭が半円の陣を敷き、静かに待ち構えていたのだ。


「やはり、この道を選んだな。」


 陣の中央に立っている継成は、装束の脇腹を赤黒く染めながらも、呼吸一つ乱さず戒喰を見据えていた。


「……殿下の御意である。手足を引き千切っても、殺さず生け取りに致す!」


 その声には肉体的な苦悶も感情の起伏もなく、ただ事実を吐き出すだけの無機質な響きでしかなかった。

 

 左右は、深く切り立った空堀…。


 前には、生氣を感じさせない継成と数十名の精鋭達…。


 最早、退路は断たれ、逃げ道はなかった。


 覚悟を決めた戒喰は、緩やかに手を広げ、重心を深く落とすと、両手に手裏剣を構える。


 継成の目が、禍々しい月光の如き黄光に包まれ、異変を告げる激しい警鐘が打ち鳴らされていた。


「覚悟いたせ。」


 継成の鋭い踏み込みに石畳が砕け、人外を思わせる一閃を、戒喰は手裏剣の刃を冷徹に滑らせながら退けた。


 キィィンッ!!


 火花が散り、耳を劈く金属音が二人のカオを照らす。


 魂氣コンキを両腕に流し込む戒喰の目には、死地に抗う人の光が宿っていた。


 だが、精鋭達の刃が容赦なく迫る中、それを既の所で躱す戒喰の頭上へ、夜の底を這い上がるような嘲笑が降り注いだ。


「……無常橋とは、よう言うたものよ。」


 誰も、そこへ至る氣配すら感じていない。


 気付けば橋の欄干に、一人の男が腰掛けていた。


 黒衣を纏い、夜風に銀の髪を棚引かせ、月を背負うその姿は…。


 大妖幻オオアヤカシ 銀妖辯仙ギンヨウベンセン 朧沙門オボロシャモン掬之丞キクノジョウ


 その存在が降り立った刹那、精鋭達は金縛りにあったかのように釘付けとなった。


 彼等の湛える殺氣など、朧沙門の纏う底知れぬ"格"の前では、稚拙な羽虫の羽音に等しかった。


 継成だけが、焦燥に満ちた怒号を絞り出していた。


「……えぇい!者ども!邪魔立て致す者は排除せよ!!」


 だが、朧沙門が欄干から音もなく降り立っただけで、橋の上の空氣が爆ぜた。


 衝撃波が石床を舐め、精鋭達は木の葉のように宙を舞い、次々と空堀の闇へ吹き飛ばされていく。


「が……ッ!?」

「あああぁっ!!」


 それでも継成だけは刀を杖に踏み止まったが、無理な負荷に耐えかねた肉体から、傷口の血が激しく噴き散った。


 朧沙門は、そんな壊れかけた器に一瞥もくれず、煙管を燻らせた。


「興が削げるわ。底の割れてた器で、これ以上、泥を晒すでない。」


 不敵な笑みと共に吐き出された白煙は、夜氣を這うように広がり、橋上の篝火を蝋燭の火のように掻き消していった。


 -----


「!!?」


 戒喰の視界を覆っていた闇が、ふっと霧のように晴れた。


 目の前の石畳は夜氣に濡れ、『藤門』手前の"枡形"が広がっている。


 しかも周囲には武者達が詰め、櫓の上にも石垣の縁にも見張りの影が並んでいた。


「何を惚けておる。」


 傍らから響いた声に、戒喰は我に返って身構えた。


「なんで、お前がココに…?それにココは……?」


「勘違いするな。未だ敵陣の只中じゃ。まだ、()()橋を渡っただけにすぎん。」


 朧沙門は煙を輪状に吐き出すと、愉しげに口端を歪めた。


「お主を助ける義理など、ワシにはないが、あの算盤侍を揶揄カラカうのは、面白いからのう(嗤)。」


 嗤う朧沙門を尻目に、戒喰は黙したまま、周囲への視線を鋭く走らせる。


 武者達は槍を構え、闇へ目を凝らしている。


 だが、誰一人としてコチラを見ようとはしていない。


「それにしても、お主、中々に無鉄砲じゃのう。単身、大境城に乗り込み、猩々ヒヒオヤジの首級クビまで狙うとはのう。」


 あっけらかんと話し掛ける朧沙門に、戒喰は声を潜めて答えた。


「………。」


「は!?何じゃ!?聞こえんぞ!!もっと、ハッキリと話さんか!!」


 朧沙門の声が鋭く上がったが、周りの武者達は依然として無反応だった。


 戒喰は、その不自然さを試すかのように、声を張って答えた。


妖幻アヤカシに、天下の大権を握らせたままの方が禍根やろ。」


 それでも周囲の武者達は、眉一つ動かさない。


 戒喰は無言のまま、一人の武者に歩み寄り、その脇を抜けてみた。


 肩が触れそうな間合いですれ違っても、その視線は微塵も揺らがない。


 そこで漸く、違和感の正体が腑に落ちた。


 コチラが見えていないのではない。


 認識していないのだ。


「……して、それは“廻者衆カイジャシュウ"の総意か?」


「総意ではある。せやが…。」


「何じゃ、その言いようは?お主等、一党も、中では割れておるようじゃのう。クワハハハハッ!!」


 朧沙門は腹の底から哄笑した。


 だが、その大声にすら誰も反応しない。


 櫓の上の武者も、石垣際の武者も、ただ持ち場を見据えたまま微動だにしなかった。


「クククククッ。呆れるのう。ワシはこのまま帰るが、お主はどうする?ついて来るなら、出口まで送ってやるぞ。」


「……。」


 戒喰は、その挑発とも取れる言葉に一瞬足を止める。


 朧沙門は振り返り、牙を覗かせて嗤った。


「おい!戒喰という異名は、無謀な上に無能な輩の事ではあるまい?のう、焔橋ホバシ琥慈郎コジロウ……。」


「……せやな。」


 朧沙門は何事もなかったように歩みを進め、戒喰も静かにその背を追った。


 二人が藤門を潜っても、咎める者は誰一人としていない。


 二つの影はやがて、夜の底へと溶けていった。


 大境城は今、一人の刺客と、一柱の大妖幻オオアヤカシを、余りにも無防備に解き放っていた。


 -----

 

 萬耀御対の中は、空氣を圧し潰したかのような、重苦しい沈黙に支配されていた。


 額を畳に擦り付け平伏する継成の脇腹からは、ドス黒い血が絶え間なく流れ、御対の畳をジワリジワリと穢し続けている。


 上座に座す徳臣の目には、煮え滾る怒りが宿り、その視線は抜き身の刃の如く、ただ継成に向かって突き立てられていた。


 鉄壁を誇る大境城が、易々と賊の侵入を許し、あまつさえ取り逃している。


 その事実こそが、徳臣の胸底で怒りを静かに沸き返らせていた。


「……とことん、してやられたのう。」


 低く落ちたその一言に、継成の背は、さらに畳へ沈み込む。


佑助ウスケ、戒喰の素性を洗え。ヤツが何者で、どこより出で、誰と繋がっておるのか……その全てをじゃ。」


 その声に、感情の起伏は感じられない。


 だが、却って底知れぬ凄味を帯びていた。


「この件に関わる輩は、例外なく皆殺しにしてくれるわ!」


 徳臣は静かに立ち上がり、継成の傍らへ歩み寄ると、襟元をむんずと掴み、顔を引き上げながら告げた。


「分かったのう。」


 継成の顔は恐怖に強張り、唇は細かく震えている。


 徳臣は僅かに嗤いながら、継成の鼻先に顔を寄せ、口奥からドロリとした黒い息を吐き掛けると、不氣味な黄色に発光した。


 継成は拳を固く握り締め、弾かれたバネのように、額を再び、畳に擦り付けて言った。


「御意!!」


 -----


 戒喰こと焔橋琥慈郎は、朧沙門に導かれるまま、大境城の外れへと抜けていた。


 背後には尚、大境城内の喧騒が微かに燻っている。


 されど、追手が迫る氣配は微塵も感じない。


「ククク……。ココまで来ても、まだ聞こえるのう。」


 朧沙門は愉しげに嗤い、闇へ溶け込むように歩を進めていた。


 琥慈郎は黙したまま朧沙門の後を追うが、胸中に残るのは寧ろ、鋭い違和感だけであった。


 それは何故、この大妖幻オオアヤカシは自分に手を貸しているのか……。


 だが、その沈黙を見透かしたかのように、朧沙門が肩越しに口を開く。


「お主は、まだ捨てるには惜しい駒というだけじゃ。」


「一体、誰の差し金や?」


 琥慈郎の問いを背中で受け流し、朧沙門は愉悦を隠しきれぬ様子で口角を吊り上げた。


「ククク……世にはのう。表で天下人を支え、裏で天下の行く末を量る者もおるんじゃ。」


 琥慈郎の眉が僅かに動く。


「……それ、何者や?まさか、帝…? いや、考え難いか…。」


「当然じゃ。帝室にも、そんな輩はおらぬ。じゃが、ワシが唯一認める"人間"ではあるのう。」


 歩みを止めぬ朧沙門の背後では、大境城が闇の中で黒々と聳えている。


 その威容は尚も揺るがず、己が不落である事を誇るかのようであった。


 だが今宵、その"妖城"にて初めて刃が突き立てられた。


「クククククッ。猩々ヒヒオヤジには、過ぎたるモノよ。」


 徳臣の胸底に煮え滾る怒り。


 何者かの底の見えぬ思惑。


 そして、朧沙門の歪んだ愉悦。


 これらは、琥慈郎の放った一撃を契機に、重なり合う事すら無かった巨大な闇の歯車となって、噛み合い回り始めていた。


 この狂った連動は、次に誰が、何を、どこまで蹂躙していくのか。

 

 大境の夜は、まだ、明ける氣配すら見せてはいない…。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ