公開卓の空席
父の店では、「直った」と「使える」は少し違う。
カイ・ルーダは、作業台の上に置かれた小型魔道具を見ながら、依頼票を裏返した。
「これ、動作確認済みって書いてあるけど」
工具を片づけていた父が顔を上げる。
「ん?」
「何をもって確認済みにしてる?」
父は少し考えた。
「普通に使って、一通り動けばだな」
「一通りって?」
「……朝から細かいな、お前」
カイは小さく笑った。責めたいわけではない。依頼票に書かれている言葉と、実際に保証されている範囲が同じなのか気になっただけだった。
「別に。気になっただけ」
「学校、遅れるぞ」
「分かってる」
依頼票を元の場所へ戻し、鞄を肩に掛ける。
玄関を出る直前、父が思い出したように声を掛けた。
「帰りに中央市場へ寄れるか?」
「何買うの?」
「三番規格の接続環。二つ」
「分かった」
交易都市ラゼンの朝は早い。
荷車が石畳を走り、商人たちは店先へ商品を並べている。学院へ向かう学生、荷物を運ぶ獣人、浮遊観測体へ向かって朝の商品を紹介している商人。
いつもと変わらない街だった。
カイも、いつも通り学院へ向かった。
◇
放課後。
父に頼まれた部品を買うため、カイは中央市場を歩いていた。
目当ての店までは、あと少し。
その途中で、人だかりが目に入った。
十数人ほど。
何かを売っているようには見えない。全員が中央にある一つの卓を見ていた。
カイは通り過ぎようとして、少しだけ足を緩めた。
卓の横には、小さな紋章板が立っている。
賭約院。
十五歳から十七歳までが参加できる、青年向けの公開賭約だった。
「またリグが勝ってるぞ」
観客の一人が言った。
卓に座っていたのは、カイより少し年上に見える少年だった。周囲の話を聞く限り、名前はリグ・ハーヴェ。何度もこの公開卓へ参加しているらしい。
「読みが強いんだよ、あいつ」
「初参加じゃまず無理だろ」
カイはリグの顔を見た。
それから、すぐに視線を外した。
札を配っているのは誰か。
使い終わった札を回収しているのは誰か。
立会人はどこにいるか。
観客から卓上がどこまで見えるか。
卓の横に掲示された規則には、何が禁止と書かれ、何が単なる推奨として書かれているか。
そちらの方が気になった。
しばらく見ていると、一つ分かる。
リグは常連だ。過去の公開対戦記録も残っている。参加者は、それを事前に見ることができる。
ならばリグは、過去に何度も対戦している相手について、多くの情報を持てる。
ただし。
初参加者には、過去の記録そのものがない。
観客たちは新規参加者を不利だと思っているようだった。
カイには、それだけには見えなかった。
その時、次の参加予定者が受付でもめ始めた。
「だから、俺の金だって!」
「家族共有資産として登録されています。今回の賭けには使用できません」
「少しくらいいいだろ」
「できません」
受付の回答は変わらなかった。
やがて、その参加は不成立となった。
立会人が周囲へ告げる。
「空席が出ました。参加希望者がいれば受け付けます」
観客が少しざわついた。
条件も読み上げられる。
十五歳以上。
本人所有の資産のみ。
青年枠の小口上限以内。
開始前にルール全文へ同意すること。
カイは自分の財布を確認した。
父の店を手伝って受け取った報酬が入っている。部品代とは別だ。
条件上は使える。
ただ、それだけで参加する理由にはならない。
カイは受付へ近づいた。
「質問してもいいですか?」
「どうぞ」
「開始してから、立会人がルールの意味を補足することはありますか?」
受付の女性が答える。
「曖昧な箇所が見つかった場合は中断して確認できます。ただし、勝敗へ影響する新しい条件を後から追加することはできません」
カイは頷いた。
「札を管理する人と、裁定する人は同じですか?」
「今日は同じ担当者です。ただし処理はすべて記録されます」
「途中で棄権した場合は?」
「今回賭けた資産を失うだけです。追加請求はありません」
そこでカイは少し考えた。
損失の上限は分かった。
途中でルールが増えることもない。
相手は常連だが、自分についての過去記録は持っていない。
負けても生活には影響しない。
カイは受付へ、自分の報酬の一部を差し出した。
「じゃあ、参加します」
近くにいた観客が振り向いた。
「おい、あいつ初参加だぞ」
「リグ相手に?」
リグもカイを見る。
「本当にやるのか?」
「うん」
「俺の記録、見た?」
「少し」
「少し?」
「全部読む時間なかったから」
リグは笑った。
「変な奴だな」
カイも椅子へ座った。
卓上へ、五枚の札が並べられる。
一から五。
双方が同じ札を一枚ずつ持つ。
一度使った札は、もう使えない。
公開前には、自分が出した札について一度だけ宣言できる。
本当のことを言ってもいい。
嘘をついてもいい。
相手は、それを信じるか疑うか選ぶ。
札そのものの勝敗。
宣言に対する判定。
二つを組み合わせて点を取り合うゲームだった。
開始直前。
カイは卓の向こう側にある、磨かれた金属装飾を見た。
角度によっては札が映りそうだった。
「一ついいですか?」
立会人が見る。
「どうぞ」
「反射で相手の札が見えた場合、それを使ってもいいんですか?」
立会人は少しだけ考えた。
「故意に反射させる行為は禁止されています。偶然見えた場合について、明確な規定はありません」
リグが肩をすくめる。
「見えるなら使えばいいだろ」
カイは首を振った。
「見えたかどうかで後から揉める方が面倒だから、卓の向きを変えてください」
一瞬、立会人がカイを見る。
やがて、卓の位置が少し動かされた。
「これでいいですか?」
「はい」
勝負が始まった。
◇
第一ラウンド。
カイは負けた。
リグは迷いがない。
札を出す速度も、宣言する間も慣れている。
第二ラウンド。
ほぼ互角。
第三ラウンド。
カイが取った。
観客が少しざわめく。
ただ、カイが見ていたのは点数ではなかった。
リグが、どの点差で強い宣言をするか。
疑われても困らない状況はどこか。
使った札から、次に何が残るか。
リグは札そのものだけを見ているわけではない。
相手がどう考えるかを見ている。
第四ラウンド。
リグが笑った。
「初めての奴って、最後に強い札を残したがるんだよな」
カイは何も答えなかった。
札を伏せる。
宣言する。
リグが疑う。
札が開く。
カイが出したのは弱い札だった。
通常の点は失った。
だが、宣言判定ではカイが取る。
そこで、カイの中の仮説が少し変わった。
リグは札を読んでいるわけじゃない。
新規参加者がどう考えるか。
その「型」を読んでいる。
最後。
カイは残った札を見た。
考える。
考えて。
一番分かりやすい札を、そのまま出した。
リグの表情がわずかに動く。
「……それはないだろ」
カイは何も言わない。
リグは逆を読んだ。
札が開かれる。
しばらく、卓の周囲が静かになった。
立会人が結果を確認する。
「勝者、カイ・ルーダ」
観客がざわめいた。
「初参加で勝ったぞ」
「リグに?」
カイは椅子へ座ったまま、開かれた札を見ていた。
勝った。
嬉しくないわけではない。心臓も少し速い。
でも。
「この記録って、あとで全部見られますか?」
立会人が少し意外そうな顔をする。
「参加者本人なら閲覧できます」
「じゃあ見たいです」
リグが呆れたように笑った。
「勝った直後にそれかよ」
「俺、二回くらい読み外してるから」
「……分かってたのか?」
「今のところは、たぶん」
カイ自身にも、まだ分からなかった。
自分が強かったのか。
リグが一度読み違えただけなのか。
ただ一つ分かったのは。
面白かった。
それだけだった。
◇
帰宅前に、カイは忘れず接続環を二つ買った。
店へ戻ると、父が受け取った袋を確認する。
「ちゃんと二つあるな」
「うん」
カイは鞄を下ろした。
少し迷ってから言う。
「あと、今日、賭約院の公開卓に出た」
父の手が止まった。
「……は?」
「青年枠の小口。自分の報酬だけ使った」
「勝ったのか?」
「勝った」
父は眉間を押さえた。
「勝ったからって続けるなよ」
「まだ分からない」
「何がだ」
カイは少し考える。
「今日のは、面白かった」
父は大きく息を吐いた。
「その顔が一番心配なんだよ」
夜。
カイは自室で、昼の対戦記録を開いていた。
自分が相手の考えを読めたと思った場面。
実際の札。
リグの宣言。
順番に照らし合わせていく。
「……違うな」
一つ。
さらに一つ。
自分の予想は外れていた。
全部読めていたわけではない。
勝てた理由は、もっと小さい。
最初に損失の上限を確認したこと。
リグが自分の過去記録を持っていなかったこと。
そして最後。
たった一度、リグの逆読みが外れたこと。
カイは記録を最初からもう一度開いた。
勝ったことより。
どこで自分が間違えたのか。
そちらの方が気になった。
画面の中で、昼の卓がもう一度動き始めた。
【今回の賭博ルール|五札宣言】
■ 参加人数
2人
■ 使用する札
各参加者が「1・2・3・4・5」の札を1枚ずつ持つ。
同じ札は一度しか使用できない。
■ 基本進行
各ラウンドで、双方が手元から札を1枚選び、伏せて卓へ出す。
札を公開する前に、各参加者は自分が出した札について一度だけ「宣言」を行える。
宣言は真実でも虚偽でもよい。
相手はその宣言について、
「信じる」
「疑う」
のどちらかを選択する。
その後、双方の札を公開する。
■ 得点
札そのものの大小による通常勝敗と、
宣言が真実だったか、虚偽だったかに対する判定結果を組み合わせて得点する。
規定点へ先に到達した参加者が勝者となる。
■ 重要な特徴
一度使った札は再使用できないため、ラウンドが進むほど残り札を推測しやすくなる。
一方で、宣言では真実も嘘も使えるため、
「どの札を出したか」
だけでなく、
「相手が自分をどう読むと思っているか」
も勝負の材料になる。
■ 今回の賭け
カイ、リグともに本人所有の小額資産を同額相当で賭けた。
生活費、家族共有資産、借入金などは使用できない。
■ 棄権
途中棄権した場合の損失は、その勝負で最初に賭けた資産まで。
追加請求は発生しない。
■ 裁定
開始後に曖昧な規定が発見された場合、立会人は勝負を中断して確認できる。
ただし、勝敗に影響する新しい条件を途中から追加することはできない。




