前編
《何で『いいね』しなかったの!?》
夜中の8時くらいだった。僕が風呂から上がると、いつの間にか通知がすごい数になっていた。一体何事かと思ったら、どうやらグループチャット内でちょっとした炎上騒ぎが起きていたらしい。大学のサークル仲間が集った、数十人程度のグループだったけど。
《先輩が『休日のカフェ動画』をアップしたんだから、ちゃんと『いいね』しなさいよ!》
震源地をたどると、飲みサーの一年上の、真面目で仕切り屋の先輩が怒りを爆発させていた。その後で後輩たちの「ごめんなさい」とか「すみません」とか、謝ってんだかボケてんだか良く分からないスタンプやら、ネタ画像が並ぶ。
僕も慌てて『いいね』を押し、この先輩が前から推しだと言っていたアニメキャラ・ヘッドホンペンギンくんが謝っているスタンプを送った。それでもしばらく、先輩の怒りは収まらなかった。
《あなたたちが『いいね』しなかったら、私の休日の過ごし方が良くないみたいじゃん!》
《そんなことは……》
《それとも、裏では『あの先輩、休日の過ごし方最悪だよね』なんて言ってるわけ!?》
《言ってないです》
それからしばらく言ってる・言ってないの水掛け論、悪魔の証明が始まってしまった。どうやら相当酷い酔い方をしているみたいだ。
そのうち酩酊先輩と同学年のサークルリーダーがチャットに登場して、その場を何とか鎮火させた。僕はスマホを放り出し、早々にベッドに潜り込んだ。僕自身も、実は『今日観た映画の感想』や『休日のラーメン屋巡り(神回)』動画を作っていたのだが、さすがにアップするのはヤメにしておいた。
次の日。
一限をサボってふらふらとキャンパス内の食堂に行ってみると、リーダーが一人朝ご飯を食べていた。就活なのだろうか、今日は珍しくスーツ姿だ。リーダーが僕に気づいて笑顔で手招きした。
「お疲れっす」
「うぃーっす。どしたん慎二、昨日は俺がおすすめしたラーメン屋、行かなかったん?」
「や、行ったんスけど……」
僕はリーダーの前に座りながら頭を掻いた。僕がラーメン好きで、毎週動画をアップしてることはサークルメンバーなら知っている。再生回数も低くて、世間的に見ても何の影響力もない動画だけれど。僕はモゴモゴ言い訳した。
「ちょっと空気読みました」
「いや、読まんで良いのに」
リーダーはパンを齧りながら苦笑した。彼は僕のどんなにつまらない動画でも、たとえば今や第263回になった僕の『公園を散歩してみた』シリーズでも、いつも先陣を切って『いいね』を押してくれる、そんな優しい人だった。
「頼むから『いいね』を押させてくれよ。慎二の動画に『いいね』を押す、それが俺の生きがいなんだからさ」
「あざっす」
「そいや、あの映画はもう観た? 『共感主義者』」
「あ、サブスクで配信されてた奴っスよね? 観ました! めっちゃオモロかったっス! 全然面白くない映画を、ネットのブランディングで絶賛一色にするシーンとか」
「どうしてそんな大事なこと『共有』しなかったんだ?」
リーダーが少し険しい顔になった。
「俺たち仲間だろ? 仲間ってのはみんな同じ考え方をするもんだぜ。同じ映画を観たら、一言一句同じ感想を持つ、それをみんなで共有するのが『仲間』なんだ」
「すみません……」
「動画、楽しみにしてっから。サボんなよな」
「……あざっす!」
リーダーは立ち上がり、僕の肩を叩いて食堂を出て行った。
嬉しい。
僕は朝からちょっとあたたかなやる気に包まれていた。やっぱり自分の動画を待ってくれている人がいる、褒めてくれる人がいるというのは嬉しいものだ。今日は必修があったから、午後からは真面目に講義に出ようと思っていたが、やっぱり映画観てラーメンキメよう。そうだ、久しぶりに散歩もしようかな。いつも同じコースだけど。
などと思っていると、向こうから同じ英文学部の……名前は確か吉岡? ……が大きなギターケースを背負ってやってきた。真っ黒なフリフリの、ゴスロリっていうのか、アングラバンドのヴォーカルみたいな服装で、質素な食堂の中では正直少し浮いていた。
吉岡? 吉住? がこっちに気がついて、何故か近づいてきた。
「ねぇ。アンタ……」
「……俺?」
彼女に気怠そうに話しかけられ、僕は戸惑った。僕と同じ二年だが、実はまだ喋ったことはない。同じ学部だから、講義は被っていることが多く、顔を知っているくらいだ。
「ここら辺で美味しいラーメン屋、知らない?」
「え……」
僕は少し色目気だった。もしかして、僕の動画を観ているんじゃないかと思ったから。結論から言うと、そんなことは1ミリもなかった。彼女は単に、美味しいラーメン屋が知りたいだけだった。
それが僕と彼女、吉上陽華の最初の出会いだった。
吉上は変わった人だった。
毎日、ゴスロリファッションに身を包んでいる。
毎日、ギターを背負っている。
毎日、朝からラーメンをキメている。
それ以外のことを僕は知らない。彼女の生息はほとんど謎に包まれていた。キャンパス内で彼女の姿を見ることは滅多にない。たまに大学に来ているかと思うと、彼女はいつも一番前の席にいて、いつも一人で講義を受けていた。そういえばキャンパス内ですれ違っても、友達と一緒にいる姿を見たことがなかった。いつも一人だ。
おそらくバンド活動に精を出しているのだろう。きっと夜な夜などっかの地下で演奏して、昼は寝てるんだろう。僕は勝手にそう思っていた。吉上は自分のことを喋らない。それどころか、ほとんど無口だ。いつも朝8時、一緒にラーメンを食べる時。彼女は不機嫌そうな、低血圧そうな目で、僕を黙って睨め付けていた。
「慎二ってさぁ」
ある日のこと。
いつものように朝二人でラーメンをキメていると、吉上が珍しく口を聞いた。ちょうど僕が、286回目となった『散歩』シリーズの面白さについて、熱く語っているところだった。彼女は目の下に大きなクマを作り、二日酔いの顔で僕に管を巻いた。
「本当にそう思ってるん?」
「え?」
「さっきから『楽しい』、『面白い』って、自分に言い聞かせてるみたい。キミさ……何かはみ出しちゃってるんだよね」
「…………」
彼女はそういって、青紫色に塗った唇を動かし、可笑しそうに笑った。僕は麺を啜るのを止め、ギクリと体を強張らせた。そんなはずはない。僕はちゃんと、僕の動画を『楽しい』、『面白い』と思っている。その証拠にホラ、『いいね』の数だって、『仲間』からこんなにたくさんもらえたんだから……。
「キミの人生って、『いいねの数選手権』なの?」
吉上は僕を見透かすような眼で、僕をジッと見つめてきた。
「あのね。たとえ有名人が絶賛してたって、全米が泣いたって、親が仲間がAIが、尊敬してる人が『そういったから』って、自分の感覚は自分で決めないとダメだよ。じゃないと……」
「……じゃないと?」
「そのうち食べられちゃうわよ」
……何に?
吉上はいたずらっぽく笑うだけで、結局それ以上何も言わなかった。朝ラーメンを完飲して、そのまま僕らは別れた。店の外に出ると、やたらと陽光が目に眩しかった。




