先輩の“深い記憶の断片”に触れる
その夜。
私はまた、あの森にいた。
夕方の光が木々の間からこぼれて、
落ち葉が静かに揺れている。
「来たんだね」
声がして振り向くと、きのこちゃんがいた。
赤い帽子が、風に合わせて小さく揺れる。
「うん……今日も来れた」
「よかった」
きのこちゃんは、少しだけ眉を動かした。
照れたときの先輩の癖と同じで、胸が少し熱くなる。
私は、言うべきか迷った。
でも、胸の奥がざわざわして、黙っていられなかった。
「……今日ね、先輩が見てたの」
「見てた?」
「うん。仕事中に、ふと。
それで……夢の話もしてくれたの」
きのこちゃんは歩くのを止め、
ほんの少しだけ後ろに重心をかけた。
先輩が考えるときにする、あの姿勢。
「どんな話?」
「森の中で、女の子を案内してる夢を見たって。
その女の子が……一瞬だけ、私に似て見えたんだって」
きのこちゃんの眉が、ふわっと動いた。
驚いたような、でもどこか嬉しそうな動き。
「……そっか」
「ねえ……」
私は勇気を出して言った。
「もしかして……同じ夢、見てるのかな?」
きのこちゃんはすぐには答えなかった。
落ち葉を一枚拾って、指先でそっと払う。
その仕草が、先輩が資料を整えるときの癖と同じで、
胸がぎゅっとなる。
そして、きのこちゃんはゆっくり顔を上げた。
考えるときに目を上げる、あの癖。
「……どうだろうね」
否定でも肯定でもない。
でも、その声はどこか柔らかかった。
「でもね」
きのこちゃんは、落ち葉をそっと地面に戻した。
「君がそう思ったなら……たぶん、近いところにいるよ」
「近いところ……?」
「うん。夢の中でも、現実でも」
その言い方が、
先輩が仕事を教えるときの“急がせない優しさ”と同じで、
私は胸の奥がじんわり熱くなった。
「行こっか。今日は、もう少し奥まで」
きのこちゃんは前を向き、
また少しだけ後ろに重心をかけてから歩き出した。
私はその背中を追いながら、
夢と現実が静かに重なっていくのを感じていた。
きのこちゃんの後ろ姿を追いながら、
私は森の奥へ進んでいった。
さっきまで柔らかかった光が、
少しずつ静かに沈んでいく。
「もう少しだけ行けるよ」
きのこちゃんはそう言って、
言葉の前に眉をふわっと動かした。
先輩が大事なことを言う前にする癖。
胸がまたざわつく。
やがて、木々が途切れた。
そこには、薄い霧が漂う小さな空間があった。
苔の上に、光の粒がいくつも浮かんでいる。
「ここ……前にも来た場所?」
「ううん。もっと奥だよ」
きのこちゃんは、
少し後ろに重心をかける立ち方で私の方を向いた。
その姿勢は、先輩が誰かを待つときの癖と同じだった。
「触ってみて」
私はそっと手を伸ばし、
一番近くの光の粒に触れた。
──景色が変わる。
そこは、会社の休憩スペースだった。
でも、誰もいない。
ただ、ひとりだけ。
先輩が立っていた。
資料を片手に、
考えるときの癖で目を上に向けて、
何かを思い出そうとしている。
その横顔は、
いつもより少しだけ寂しそうだった。
光が揺れ、別の記憶が流れ込む。
──先輩が、誰かの名前を呼ぼうとしてやめる。
眉が小さく動く。
言えなかった言葉が胸に残っているような表情。
その“言えなさ”が、
夢の中のきのこちゃんの沈黙と重なる。
光がまた揺れる。
──先輩が、誰かの背中を見送っている。
立ち方は、
少し後ろに重心をかけた、あの癖のまま。
その背中は、
どこかで見たことがある気がした。
光が消える。
私は息を呑んだまま、動けなかった。
「……これ、全部……先輩の……?」
きのこちゃんは答えない。
ただ、私の隣に座った。
そして、
考えるときの癖で、ほんの一瞬だけ目を上に向けた。
それだけで十分だった。
「どうして……私に見せるの?」
きのこちゃんは、落ち葉を一枚拾って、
指先でそっと払った。
先輩が資料を整えるときの癖と同じ。
「君が、近いところに来たからだよ」
「近いところ……?」
「うん。夢の中でも、現実でも」
その言い方は、
先輩が仕事を教えるときの“急がせない優しさ”と同じだった。
胸がじんわり熱くなる。
「……先輩、寂しそうだった」
「そうだね」
「どうして?」
きのこちゃんは、少しだけ笑った。
喉の奥で息が混じる、先輩の照れ笑いと同じ。
「それは、君が知ることになるよ」
そう言って、
きのこちゃんは立ち上がり、
また少し後ろに重心をかけてから歩き出した。
「行こっか。まだ続きがあるから」
私はその背中を追いながら、
夢と現実が静かに重なっていくのを感じていた。
──気づくと、森の中にいた。
夕方の光が木々の間からこぼれて、
落ち葉が静かに揺れている。
(また、この夢か……)
純はゆっくり息を吐いた。
夢だと分かっているのに、
足元の感触や風の温度が妙にリアルだった。
そして、いつものように、
自分が“きのこ”の姿になっていることに気づく。
(なんで、きのこなんだろう……)
苦笑しながら歩き出す。
そのとき──
後ろから、誰かの足音がした。
振り返ると、
そこに立っていたのは、
“女の子”だった。
顔はぼやけている。
でも──
(……森野さんに、似てる)
純は思わず眉を動かした。
現実で森野姫子を見るときと同じ癖。
女の子は何も言わず、
ただ純を見つめていた。
純は喉が少しだけ詰まるのを感じた。
「……こっちだよ」
名前は呼ばない。
呼べない。
夢の中でも、距離がある。
でも、
“連れていかなきゃいけない”
そんな感覚だけが胸にあった。
歩きながら、
純はふと目を上に向けた。
考えるときの癖。
(なんで……森野さんなんだろう)
夢の中なのに、
胸が少しだけ痛くなる。
女の子は静かに純の後ろをついてくる。
その距離感が、現実と同じで、
純は胸の奥がざわついた。
「……ここまで来たら、大丈夫だから」
そう言って振り返ったとき、
女の子の輪郭が一瞬だけはっきりした。
(……森野さん……?)
名前を呼びそうになった。
でも、声にはならなかった。
風が吹いて、
森が揺れた。
次の瞬間──
夢はふっと途切れた。
純は目を覚まし、
天井を見つめながら小さく息を吐いた。
(……なんなんだよ、この夢)
でも胸の奥に残った感覚だけは、
どうしても消えなかった。
(あの子に……森野さんに、似てた)




