第1話 見上げた景色はいつしか
――――我が孫娘ミクリ=クルエットに、
冒険者ギルド『トネリコの灰枝』の全権を委譲する。
机の書類棚に突き刺さっていた手紙には意味不明なことが書かれていた。
底冷えする小さな執務室。
右へ傾いても左に傾いても頭がぶつかるような……言ってしまえば物置を無理矢理改造しただけの小部屋で働いていた私は、とりあえず手紙を折りたたんで同じ場所へ突き刺す。
受け取った時にもそうした気がするけど、それ以上の何かをする気になれなかった。
うん、今はちょっと、むり。
三日徹夜している。
仕えている主、貴族議員の先生がうっかり敵対派閥に不祥事をすっぱ抜かれたおかげで、連休明けの答弁に向けて火消しへ奔走していたから。
どうにか各所との調整も終わり、答弁書も作成し終えた。
あとは先生のところへ持っていって内容を確認して貰えれば私の仕事はおおむね終了する。
本当に、下手をすれば議員生命に関わるような問題を丸投げしてきた時はどうすればと思ったけど、案外先方も話には応じてくれて、なんとかなった。
多少の我慢と雌伏の期間は必要になる。
それでも、議会を追われることは避けられる筈だ。
隣の部屋では他の秘書達が先生と一緒に笑っている。
彼らは貴族で、私は平民。
それでも改革派として知られる先生は今日まで私を秘書筆頭として指名し、仕事を任せてくれていた。
大丈夫。
今日を乗り越えられれば、きっと大丈夫だから。
先のことを何一つ考えられないまま無理矢理納得し、私は席を立つ。
部屋を出る前に鏡を確認した。
「……………………」
半年くらい前に体調不良で議席を返上し故郷へ帰っていった、私と同じ平民出身の議員が同じ顔をしていた気がしたけど。
「うん。今日だけ。今日だけ。今夜はゆっくり休める」
呟いて、扉をノックして入室許可を待つ。
笑い声が聞こえた。
もう一度ノックした。
返事は無い。
許可も無しに貴族の部屋へ入ることは許されないので、私はじっと待ってから、またノックする。
待っている間にふと周囲を見回すと……狭い物置に無理矢理机と椅子が押し込まれた場所があって、小さな窓から分厚い雲が見えた。
扉は一つしかない。
ずっと分かっていたことなのに、そういえば入室を許可されなければ私はここから出ることも出来ないなと、当たり前のことを考える。
それからあまりにも反応がないのでもう一度さっきの手紙を手に取って、眺めた。
理解出来ないまま、ぼんやりと見詰め続ける。
冒険者ってなに?
「ちょっと!! 準備にいつまで掛かってるの!! 早くしなさいよ無能!!」
驚いた私は手紙を服へしまい込んで、慌てて同僚の秘書へ謝罪しに向かった。
そうして、
※ ※ ※
「すべては秘書がやりました」
議場で先生が告げた内容を、私はつい答弁書を確認して首を捻った。
……あれ?
内容と違う。
いや、そうじゃなくて。
違うでしょ。
拙くない?
別方向へ走り出す思考を追えない内に、彼は小太りなお腹を揺らして言葉を重ねる。
「彼女、ミクリ=クルエットは、普段より仲間内の交流を拒む傾向がありまして……生まれのせいもあるのでしょうなぁ、殊更に仕事ぶりを誇ると言いますか、成果を上げることで己の威を示そうとするところがありました。だからでしょうか、今回のような間違いを犯してしまったのは」
吊るし上げられている。
身に覚えのない罪を着せられている。
だって、不祥事は先生が他秘書と出かけていった先で、勝手にやりとりしてきたもので、私は報告さえ受けていなかった。だから、最初から私が会計して提出するなんて不可能なのに。
「私は栄光あるルーイーン王国、貴族院議員の一員として、自らに落ち度があったことを認めましょう。私は常からッ、民が国政へ参加することが国の発展に寄与するのだと主張してきました。彼女の筆頭秘書という立場も、それを期待してのことです。ですが……生まれの卑しさというのは救い難いものだったのだと、今回の不祥事が証明してしまったのでしょう」
隣から薄笑いが聞こえてきた。
同僚である筈の、私とは違う、貴族の三女四女である同僚の秘書達は。
「あっははー、ざまーみろ」
「仕事出来ますって顔が鬱陶しかったのよねぇ」
「でも見てよ、あの顔。あーすっきりしたあ。ねえ?」
「え? うんうんっ、そーだよねー?」
どうして?
どうして私が罪を着せられなくちゃいけないの?
なんにもやってないんだよ?
ぐるぐると空転した思考に、頭蓋の内側を切りつけられたような痛みと熱が奔る。
寝不足と疲労があまりにも理解力を奪っていた。
断片的な理解があっても、行動へ移るまでが致命的に遅い。
まずい……そう思っているのに身体が動かなかった。
「売られたな」
周囲からひそめた声があがった。
それは私が気付いていて、けれど言葉に出来ないまま空転していた理解そのものだ。
「元より改革派の立場を取ることで公共事業の利権を啜っていただけの男、今度は純貴族派に貸しを作っての方向転換かな」
「コウモリ男が。恥を知らんのだ」
あるいは別方向からも聞こえてくる。
純貴族派……貴族のみが国政に携わるべきだという、彼らの席からも。
「見てみろあの下民を。酷い顔だ。あのように優雅さの無いサルが議事堂に居るなど許されん」
「なにが改革だ。他国の圧力に屈し、議席の五分の一を民から選出するなど間違いだったのだと、王室もようやく気付かれる」
そうではない、この件でも中立を保っている者達でさえ、感心は議会場での勢力図についてのこと。
「最近、改革派には煮え湯を飲まされていましたからな。良い反撃の口実となるでしょう」
「つまり彼女は取引材料にされたと」
「それだけならマシだがね」
抗弁は、不可能だった。
最初から筋書きが完成している。
そもそも平民出身の私が発言の場に立つことは許されていない。
誰も私個人の扱いになんて興味が無い。
一方的な決定をただ災害のように押し付けてくる。
司法の公平性なんてこの国には無いのだと、私はよく知っている。
それが平民と貴族の関係だった。
唯一の助けになりそうな、平民出身の議員達を見るけれど、すっかり貴族色に染まった者達が無言で座っているだけ。
異なる目をしていた人は議会を去っている。
議長がやる気のない顔で渡された紙を読み上げた。
「これを以って、ルーイーン王国議会はミクリ=クルエットを国外追放処分として可決する。これは法務局の承認を得た議決でもある。対象者は現時刻より二日以内に出国を完了せよ。従わない場合、いかなる法も対象者を保護することは無い」
三年前、私は希望を持ってこの議事堂を訪れた。
これから時代は変わる。
民の声が政治に影響を与え、貴族らとも手を携えて歩んでいくことが出来る。
先生もそう言ってくれていた。
まだ偏見の多い今、少しの我慢と、貴族達の領分を冒す訳ではないと主張するだけの恰好が必要だと、そうも、言われ……。
働いて、働いて、働いて。
押し付けられる理不尽も、他の秘書と比べて圧倒的に多い仕事量も、キミの立場を守る為だと言われるまま励み続けて。
三年間が経過して。
ずっと、あの小さな倉庫に繋がれたまま。
優しく私の手を取ってくれた、先生は。
今、私の答弁書を無視して、私の罪を語り、心の底からそう思っているみたいに、吐息を落とした。
「はぁ……悲しいことです。信じて尚、裏切られるというのは」
純貴族派の議席から、悪しき平民に裏切られた、理想に敗れた議員へ拍手が贈られる。
そこまで見て。
そこに至って、ようやく。
最初から彼に理想は無かったのだと。
ただ私を都合よく使い潰していたのだと。
気付いた。
私のしてきたことは無駄だったんだ。
※ ※ ※
鞄一つにすべてが収まった。
与えられていた共同部屋から荷物を撤収し、じめじめとした裏庭へ出たところで腕の軽さに笑ってしまう。
この宮殿へ入った時の方が、まだ荷物も身体も重かっただろう。
費やした三年間も、何もかもを吸い取られて、出がらしになった私は捨てられた。
国外追放だ。
どうすればいいのかも分からない。
せめて、一日。
そう。
二日あるのだから、今日は寝て、明日になったら考えよう。
寝たいんだ。
本当に、一度すべてを忘れて眠ってしまいたかった。
踏み出した裏庭は静まり返っている。
普段はもう少し人が集まっていた筈なのに。
ここは、平民出身者だけが通る出入り口だから。
急な崖際を、長い階段を伝って降りていく道。
ひらひらした服を着た貴族達では、到底通れないだろう場所。
裏庭だって一日を通してほとんど陽が当たらない。
だから壁は苔むして、どこかから常に汚水の臭いが漂ってくる。
それなりに仲良くしていた人達は居たけれど、見送りに来れる人は居ないだろう。
それでいい。
この国がもうとっくに限界を迎えているのだとしても、皆にも生活があるし、万が一にでも国外追放者を助けたとして罰せられでもしたら私が嫌だ。
したたかで、我慢強い。
そうでなければとっくに宮殿を出ている。
唯一、隠れている訳にはいかない門兵が、錆の浮いた鉄格子を開けてくれた。
声は掛けない方がいいだろう。
軽い鞄を片手に私は一歩を踏み出す……その直前に。
――――ガィン!! と、門兵のおじさんが手にしていた槍を鎧に打ち付けた。
弾かれたように顔を上げた私に、いつも無口に立っていた彼は、厳めしい目をくいっと中庭へ向けた。
釣られて、そちらを見る。
ぁ……………………。
居た。
皆だ。
今日までこの宮殿で共に働き、共に戦い続けてきた、平民出身の仲間達。
手に仕事道具を持ったまま、さぞ仕事中に通りがかりましたよって顔をしているけど。
耳の奥に、門兵のおじさんがくれた力強い音が残っている。
顔は上がった。
振り向いた先に仲間が居た。
それぞれ戦場は異なるけど、一緒に頑張ってきたんだ。
「っっっっ……!!」
息を吸った。
あんまり目立てない。
躊躇もあった。
けど、そう……いつか。三年前。後ろにある階段を登り切って、この庭を初めて見上げた時みたいな気持ちが湧き上がってきた。
夢を見ろ!!
「悪いね皆っ! 私、ミクリ=クルエットはちょいとお先に失礼します!!」
二階の窓から女中姿の中年女性が、毛布を叩いて音を立てる。
すると中庭の角向こうから生意気そうな顔をした少年が、鍋を鳴らして掲げてきた。
あるいは箒とチリ取りを持った老婆が二つを打ち合わせ。
庭師の青年が木の槌ではしごを叩く。
更になにかと思えば、いつもこっそり裏庭で練習していた楽士の少女がリュートを弾き鳴らした。
普段静まり返っていた中庭に音が溢れる。
くすんで見えていた景色はまだ、褪せていないのだと教えてくれる。
とても小さな反逆に過ぎなかったけれど。
ああ……っ!!
出口の前で私は振り返った。
そのまま一歩を下がり、足が階段を踏む。
こんな応援を受けて、落ち込んでいるなんて出来ないじゃない!!
まだ片脚を残したまま、貴族議員の秘書官としてはありえない恰好で、だけど幼い頃に下町では当たり前にしてきた、いつかの私で。
逸って前のめりになった小娘として、言ってやる。
「ありがとうございました……!! さようなら!!!!」
そうだ、俯くな。
三年前の私はここへ挑みに来た。
挑んで、敗れて、じゃあそれで終わりなの?
奪われて、失って、笑われたまま終わりなの?
違う。
違うよね。
三年前の私へ問いかける。
例えその結末が望まないものだったとしても、挑まない理由にはならないんだと、きっとあの頃の私なら答えただろう。
この国の未来は暗いのかもしれない。
けれど、その日陰で生きる私達の表情まで暗くしている必要なんてない。
さあ行こう。
次の場所へ。
私は、挑戦者だ。
「長い長い、旅になるかもね。でも、人生は旅をするようでなくっちゃ」
腕を振り上げ、階段を踏んで、降りていく。
気付けば雲間から光が差して、行く先を照らしてくれていた。
壁の外はとても広くて、軽くなった分だけ身体は弾む。
潮風を感じるのは海が近いから。
下町を抜ければ港がある。
幼い頃は友達と一緒に飛び込んで遊んでいたのを思い出す。
さあ行こうか、なんて思うと楽しくなって笑っちゃう。
こんな気持ちどれだけぶりだろう。
そうして、すっかり忘れていたけれど。
弾む私の胸元で、小さな手紙がカサリと音を立てた。
約4万文字ほどの中編です。
今日中にあげ終わる予定(1時間おき)。
ブクマしといて、夜にでもまた読んでみて。




