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偽り咲く花神さまの後宮  作者: 淡雪みさ


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神格



 栗萌は恐ろしい術を持っているが、体は澄珠よりも小柄で、制しにくいということはない。

 気を失いそうになるたびに、澄珠は己の腕に残る力のすべてを込めて締め上げる。

 ぼたぼたと垂れた血が栗萌の顔に落ち、白い頬を赤く染め、着物へと染み込んでいく。


 薄れゆく意識の中で思い出すのは、やはりまた、過去の優しい記憶だった。



 澄珠は弱い。取り柄も、自信もない。花神の花嫁候補なんて、最初から恐れ多いと思っていた。

 家を離れて後宮に来たばかりの頃は、とにかく不安でいっぱいだった。帰りたくて仕方がなかった。

 でも、千夜は慣れないこの場所で、寂しい澄珠にとって初めての、新しい家族のような存在になってくれた。

 怨霊に狙われた時も、一人で部屋の隅に座り込んで泣いている澄珠を、すぐに見つけて助け出しにきてくれた。

 「ごめんね」と言ってくれた。自分の力がまだ安定していないから、次期花神として神格を使いこなせていないから、結界が弱まってこんなことになる、と。

 手を繋いでくれた。腰が抜けて立ち上がれない澄珠を、抱きかかえて屋敷まで送ってくれた。神と巫女という関係でありながら、澄珠を対等に扱って、自分の弱みを見せてくれた。だから澄珠はその時、抱きしめてくれる千夜の体に泣きながらしがみつき、強く感じたのだ。この人の傍にいたいと。この人が好きだと。


 千夜は澄珠の、たった一柱の神さまだった。

 花神が好きなんじゃない。澄珠は、千夜が好きなのだ。

 狂おしいほどの強い気持ちは、恋と呼ぶにはおこがましいほどに取り憑いている。

 何故なら澄珠は、千夜が消えなくて済むのなら、自分の命が失われたって一向に構わないのだから。



 澄珠の術が切れるのと、栗萌の術が消えるのは、ほぼ同時だった。


 澄珠の手が力を失い、栗萌の首から離れる。

 大きく咳き込みながら空気を求める栗萌の喉元は赤く痕を残している。

 澄珠は力尽きて床へと崩れ落ちた。流れ出した澄珠の血が石畳に広がり、赤黒い池のようになっている。


「あ、なたっ、何なんですか! 本当にみっともない! 力尽くで殺しにかかってくるなんて! っは、やはり、野蛮なあなたなんかお姫様じゃないわ!」


 栗萌は血走った目で叫び、荒い呼吸のまま澄珠の頭を踏みつける。

 鈍い痛みが響いたが、澄珠にはもう、抵抗できる力がなかった。


「醜い、醜い、醜い! わたしの物語の中にあなたは不必要! あなたも、あなたの妹も、もういらないわ! ずっと邪魔だと思っていたの! 何の取り柄もないくせに、一番最初に後宮に入れたからって、たまたまわたしの花神様の興味を引いて、お姫様のような顔をして隣に居座って! 何の努力もせずにお姫様になれるなんて許せない! わたしの方が、あなたよりも可哀想なのに! あなたさえいなければ、花神様の横で笑っていたのは、きっとわたしだったのに!」


 罵りと共に、何度も顔を蹴られる。視界が揺れる。世界が滲む。

 ああ、もう駄目だと、澄珠の意識が闇に落ちかけた、その時。


 栗萌の足が、ふと止まった。


 青ざめた顔で、何かを凝視している。

 澄珠もその視線を追い、霞む目を無理に開いた。


 そこに立っていたのは、菖蒲色の髪をした花影ではなかった。

 淡く朝焼けを思わせる髪に、琥珀色の瞳を持つ青年――千夜だった。


 その背後で、偽りの花がざわめき、まるで本物に呼応するかのように蠢いていた。


 栗萌の術が解けたことで、偽りの花の認識が、元に戻ったのだ。

 つまり今、花神の神格が、千夜のものになった。


「君はたった三ヶ月神格を乗っ取ったくらいの付け焼き刃で、偽りの花の力を使いこなせていると思い込んでいたようだけれど」


 静かに響いた千夜の声で、周囲の空気が震えた。

 初めて見る千夜の怒った顔。微笑を浮かべているのに、その目には一片の温もりもない。張り詰めた威圧感が肌を刺す。


「俺はこの地に生まれ落ちたその瞬間から神格と共に生きてきた。君とは歴が違う」


 栗萌が必死に印を結ぼうと指を動かす。もう一度幻術を発動させ、偽りの花の認識をすり替えようとしているのだ。

 しかし、千夜の方が速かった。


「この力は、こう使うんだ」


 無数のつるが空を裂くように飛び出し、栗萌の手足を絡め取って壁へと叩きつける。神格を持つ花神は、偽りの花すら自在に操れるらしい。

 鋭い音を立てて張り付けにされ、全身を押さえ込まれた栗萌は、口元まで絡め取られ声を奪われる。「んーっ! んんーっ!」と必死に呻いているようだが、その呻きすらもやがてつるの締め付けに掻き消された。


 千夜はゆっくりと歩を進め、張り付けられた栗萌の前に立つ。

 そして、冷え切った声が告げる。


「人でありながら神の力を奪った代償は大きい。君は、偽りの花の怒りを買った」


 一歩、一歩と近付き、その瞳が鋭く細められる。


「それに、〝可哀想〟なことに、俺の怒りも買った」


 氷の刃よりも冷たい眼差しが、栗萌を射抜いた。



「――俺の花嫁を傷付けたな?」



 血に濡れた床に伏したまま、霞む意識の奥で、千夜が本気で怒っていることだけが伝わってくる。

 拘束された栗萌の身体が、びくりと跳ねた。

 その顔から血の気が引き、涙がつうっと頬を伝って落ちる。喉を塞がれて声も出せず、がくがくと震えるばかりの彼女の足元から、液体が伝っていった。恐怖で失禁してしまったのだろう。


 澄珠は、声を出そうとした。でも、うまく言葉を発せない。

 すると千夜が澄珠を振り返り、今度はこちらに近付いてきた。


「……今、何か言おうとした?」


 栗萌に向けていた低い声とは一変、愛しいものにかけるような、柔らかい声だった。

 声を出せていないのに、こちらの意思に気付いてくれる。澄珠は、はくはくと何度も口を動かし、弱々しい手を千夜へ伸ばした。





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