第三話 追憶
今から10年前、新太が5歳の時、新太の実の両親は離婚し、母親は失踪してしまった。そのため新太は父親に引き取られることとなった。離婚から間もなくして、約半年後、父親は再婚をした。その再婚相手となるのが香織の母である。
新太と香織は年齢が比較的離れており、正直新太にとってみれば、姉というより親に近しい認識であった。香織もまた弟というより親戚の子供のようにかわいがった。
最初のうちは幸せな家庭だったと言えるかもしれない。しかし悲劇は突然やって来た。
「ただいま」
香織はいつも通り学校から帰って来た。
香織より少し帰りの早い新太はいつも通り香織を出迎える。
「おかえり! お姉ちゃん」
「うん。ただいまー」
香織はペットかのように新太の頭を撫でる。
「そういえば新太、お母さんは?」
「お母さんなら買い物に出かけたよ」
「言ってくれれば、私が行ったのになぁー」
「どうしたの? お姉ちゃん」
「ううん。なんでもない。わかったよー、ありがとねー」
香織はリビングで宿題を済ませ、本を読みながら母親の帰りを待っていた。
しかし一向に帰ってこない。時間は既に夜の7時をまわっていた。
「おっそいなぁー」
香織がそう呟くと、タイミングよく家の電話が鳴った。
『もしもし』
『もしもし、香織か?』
電話越しに聞こえる声は間違いなく新太の父親であった。
『うん。そうだけど』
『今から俺が言う話を落ち着いて聞いてくれ』
焦った父親の声から事態の大きさがうかがい知れた。香織は電話越しで唾をゴクリと飲み込む。
『お母さんが…… お母さんが―――交通事故で死んだ』
その台詞を聞いた後の数秒間、沈黙が続いていた。香織は頭の中で整理しようともがいていた。しかし整理できるはずもない。
『…………』
『詳しいことは後で警察の人から―――』
その後も電話越しに響いている父親の言葉は香織の頭の中に一切入ってこなかった。
翌日になっても香織の中で事態の整理がつかなかった。学校は当分の間、体調不良でしばらく休むことにした。
まだ幼い新太にはあまり理解が及んでいなかった。酷く塞ぎ込む香織の姿を見て励ましていた。
「お姉ちゃん! お母さんがいなくなっても僕がいるよ」
「……うん。ありがとう」
「お姉ちゃん?」
「大丈夫だから。そっとしといてもらえる?」
「わかった」
香織はこの気持ちをどうすればいいのか、模索した。吐き出したい、どうにかして乗り越えたい。交通事故を起こした犯人にぶつけるべきなのか。様々な考えが、日々頭の中を駆け巡っていた。
そして最終的に行きついた答え、それは―――自殺行為であった。
「私が死ねば…… また天国でお母さんに会える……」
香織は自分の手で自分の首を絞め始めた。
「くっ…… くっ……」
でもやっぱり香織は怖かった。なによりも死ぬということが。
死にたいと思っていても、無意識的に拒絶しているのだろう。限界の所で躊躇する。
「うっ…… うっ……」
静かに涙をこぼす。
今日も死ねなかった、そう思いながら香織は眠りについた。
あっという間に月日が経ち、母親の死から約2年が経とうとしていた。
2年という時間を経て、香織はようやく母親の死を受け入れることが出来つつあった。
母が天国からそっと見守ってくれている。香織はそう信じ続け、ようやく学校にも行けるようになっていた。
季節は4月、香織は高校に入学していた。高校では徐々に友達も増え、前を向いて歩いて行こうとしていた。部活は吹奏楽部に入り、夏には甲子園の予選大会の応援にも力を入れていた。
また香織はその美貌から高校1年生の夏までには既に5人の生徒から告白されるなどそれなりに充実した青春が始まろうとしていた。
しかしその充実も長くは続かなかった。
香織が高校1年生の冬、急激な株価の大暴落により、世の中では世界的な不景気が起きた。新太の父親が勤めていた会社もまた大打撃を受けていた。
新太の父親はそこそこ長い間その企業に勤めており、中の上の立場であった。
会社側はその立場故に割と大きな賃金を与えている新太の父親をリストラの対象とした。
それからというもの父親がクビを切られるのはあっという間のことであった。
間もなくして父親は、おかしくなった。
毎晩のように酔っ払った状態で家に帰って来る。当時小学2年生だった新太も父親の異変に気がついた。
父親は帰宅するや否や、大きな声を張り上げる。
「おいっ! 飯はまだかぁ!」
「ちょっと待ってて……」
父親の逆鱗に触れないように香織はすぐに即席麺を作り上げる。
「またそれかぁ! もうちょっとマシなものは作れないのかぁ!」
「……ごめんなさい」
いつものように香織は怒鳴りつけられる。そして出来たてで、まだ熱いはずの即席麺を父親から投げつけられる。
結局、香織は高校1年の学期末に中退し、バイトに専念して家庭を支えることとなった。
香織の青春は1年で幕を下ろすこととなった。
しかし父親の暴行は留まりを知らず、事件が起こるまでの約2年間続いた。
その2年の間に父親が新しい職を探そうとすることは決してなかった。
新太は毎晩暴力、暴言を浴びせられている香織を見るに堪えられなかった。なかなか勇気をもって父親に立ち向かうことができない、と自分の情けなさに毎晩嘆いた。
そして父親がリストラされてから2年後、その時がやって来る。
香織は18歳に、新太は小学5年生になっていた。
香織はバイトにもかなり慣れ、シフトリーダーの地位まで押し上げていた。その反面、その店の社畜となっていた。店では店長、客から文句を言われ、家に帰ってはニートの親父から暴行を受けと散々な日々だった。
新太はそれなりの事情、空気を読むようになっており、物事の思慮分別もそれなりにつけることができていた。その上でこう思うのだった。
あいつを―――殺すしかない、と。
新太はそこで殺人を計画することにした。自殺に見せかけた死、事故に見せかけた死などインターネットで調べた。そこである方法に辿り着いた。
「……これだ」
それはたとえ殺してしまったとしても、その状況次第では無罪となる行為―――それは“正当防衛”という行為であった。
決行の日、2月の中旬は一段と冷え込んでいた。
いつものように酔っ払った状態の父は家に帰って来る。
「……おいっ! 中に入れろぉ!」
父親は外で怒鳴りながら、ドンドンと扉をたたく。
ただ家の中には入れない。何故なら鍵を閉めておいたからだ。
扉をたたく音が近所迷惑にもなりかねないので新太は鍵を開けた。
ガチャっという鍵が開いた音と共に物凄い勢いで扉が開いた。
「いい度胸じゃねえか、てめぇ!」
思いっきり新太の顔面に平手打ちを放った。
新太はとっさの平手打ちに反応できず、その場に倒れた。
「ちょっと! 何やってるの!」
大きな声を聞きつけた香織が玄関に出てくる。
「こいつが舐めた真似したから、指導してやったんだよぉ!」
そう言うと、父親はずかずかと室内に入っていく。
それを見た新太は自らの足で父親の足を引っかけた。
「…………っ!」
ドタンという鈍い音と一緒に父親は正面から倒れた。
「お前っ!」
「……お、お返しだ」
少々怯えながらも声を振り絞って抗う。
すぐさま新太は父親の上に馬乗りになった。そして首元に手をまわし、絞めあげる。
「…………!」
数秒後、父親が地面をタップするのが見えていたが、それを無視して絞め続ける。
香織はその光景を茫然と見ていた。複雑な気持ちでしかなかった。
そして数分後、父親の反応は無くなった。
このままではまずいと思い、香織は警察に通報した。
警察が到着後、新太は身柄を連行された。
審判の結果、新太の行為は“正当防衛”ではなく、“過剰防衛”にあたるとされた。まだ未熟な年齢であったため、罪には問われなかったが、今後も観察する必要があると判断され、少年院への入院が決定された。
そう、平新太と言う人間は―――人殺しであった。