第十話 開花
『次は、酒折ー酒折ー。お出口は左側です』
電車内に車掌のアナウンスが響き渡る。30分以上揺られていた天音はうとうとしていた。
「おい。着くぞ。起きろ」
「はっ! 寝てた」
天音は正気に戻り、新太を見る。
「……み、見た。わ、私の寝顔」
「うん。可愛いな。お前」
「か、かわっ!」
天音は一瞬にして顔を赤らめたが、新太は見向きもしなかった。
「そろそろ時間だから、行こう」
酒折駅構内から外に出て、タクシーのロータリーを抜けたのち、路上に停まっているピンク色の軽自動車。新太は迷いなく近づいていく。
運転席の窓ガラスをコンコンと叩くと、ドアのロックが開いた。
「ありがとう。姉さん」
「お疲れー。それでそちらの子が」
「初めまして……!」
「そう、この子が城ヶ崎天音。姉さんに会ってほしくて」
「天音さん、初めましてー。新太の姉の香織ですー」
「も、も、もしかして、女優の香織さんですか!?」
「あらー、知っていただけてるなんて、嬉しいわー」
「それはもう! テレビでいつも観ています!」
「ところで姉さん。今から向かう場所は?」
「もちろん、ロケ地よー。新太が言ったんじゃないー」
「ありがとう。それでいいよ」
不思議そうな目で天音が新太を見つめる。
「ロケ地?」
「ああ、そうだ。言ってなかったな。今から向かうのは姉さんの仕事現場。お前に一度見せてやりたくてな。まあ俺も見たことないけど」
「え、ええええええっーーー!」
天音の熱気で車内が温かくなったようだった。
「香織さん入りまーす!」
「「「お疲れ様でーす!」」」
素人にもわかる現場の緊張感がひしひしと伝わって来る。
新太は天音の背中をポンと叩いた。
「お前が出るわけじゃないんだから。少しは力抜けよ」
「う、うん」
「それでは本番いきまーす! よーい、ハイ!」
『私はそんなの嫌だわ―――』
「はい、カット! チェックします」
天音にとっては香織の一つ一つの表情、仕草、台詞の抑揚、表現力、何もかもが新鮮であった。テレビで見るのと、生では全然違う。天音は改めて女優というものに憧れを持った。
「オッケーです!」
「天音さん。あなたも出てみないー?」
香織からの突然の提案に天音はタジタジだった。
「わ、私ですか!?」
「次のシーンなんだけど、エキストラがもう少し欲しくて、画の後ろで歩いている通行人を演じてくれればいいからー。お願いできるかなー?」
「良かったじゃん。やってみれば、城ヶ崎」
「何他人ごとなのー? 新太、あんたも出るのよー」
「えっ! 俺も出るの?」
「新太はそこに座っているホームレスをやってー」
「マジかよ……」
「先生。やろう!」
「あ、ああ」
「それじゃ、いきまーす! よーい、ハイ!」
見よう見まね、そう自分に言い聞かせて天音は頭の中でモデルを思い浮かべながら、通行人を必死に演じた。
新太はともかく、天音の演技は演技ではなかった。それは背景の街並みに溶け込んでいて、本物の通行人のように思われた。それほど自然な表情、所作であった。
監督のカットがかかり、無事一発でオッケーが出た。
「君、良かったよ! エキストラ」
「あ、ありがとうございます!」
「うん。監督の言う通りで、本当に良かったよー。天音さんー」
新太には天音の何が良かったのか、よく分からなかった。
撮影後、3人は近くのファミレスで夕食をとることにした。
「天音さん。今晩はうちに泊まってったらどうー?」
「そ、そんな……」
「帰る家、ないんだろ。泊ってけば?」
「うん、そうだけど……」
「あっ、プライバシーなら大丈夫だよー。家、広いからー」
「そうですか」
天音は心底ホッとしたようだった。
「そういうことだったのか……」
「だって、先生、何するか分からないんだもん」
「別に何もしねーよ!」
「新太はいつ谷原中に戻るの?」
「えっ、大丈夫そうだったら、もう明日から学校に戻ろうと思うけど」
「天音さんは姉さんに任せてー。大丈夫だよー」
「それじゃあ、明日戻るわ」
注文していたハンバーグが目の前にやって来る。香織はおろしが乗っていて、天音は中にチーズが入っている。
「天音さんの将来の夢はやっぱり女優さんなのー?」
「はい。でも現実的にはちょっと……」
「んー。諦めちゃうのー? もったいないなぁー。中学生はまだ夢を見ているべきだと私は思うなー」
「香織さんは、どうして女優に?」
「生活のためだよー。大切な人が自分の傍からいなくなった時、目の前が何も見えなくなった時が私にもあってねー」
「そんなことが」
なんだか天音は今の自分と重なるところを感じた。
「うん。その時にねー、運よく今の会社の社長さんに出会ったのー。あの時出会わなかったら、今の私はないと思うなー。やっぱり出会いって運だなぁってつくづく思うんだよねー」
「運ですか。わ、私は今日こうやって香織さんと出会えてホント嬉しいですし、貴重な経験をさせていただきました。これも運なんですか?」
「さあー、私には分からないなー。だって運を運にするのは結局自分だと思うからさー。たとえ私が今の会社の社長さんに会えたとしても、会っただけだと何にもならない。そこからその運を幸運にするかは自分の行動にかかっていると思うんだよねー。私は自分なりに必死に女優になるための努力をしたよー。運はあくまでもその機会ってだけで、実を結ぶかはまた別だと思うのー。ほら、運も実力の内っていうじゃん。運は運だけでは成り立っていないんだと思うなーって何言ってるんだろ私ー。疲れてるのかなぁー。あはは」
「じゃ、じゃあ私に女優についてのノウハウを教えてください!」
「え、ええー。ちょっと落ち着いて、天音さん」
「姉さん。責任取りなよ」
「責任って何よー」
これにて城ヶ崎天音の監視課題は無事終了した。
新太は翌日の朝、谷原中のある甲斐大和へと戻った。
一方の香織と天音は次の日もドラマの撮影現場へと赴く。
ドラマの監督が2人の存在に気づく。
「お疲れ様でーす。監督」
「お疲れ様。香織ちゃん、あっちでメイクしてきて」
「はーい」
香織は本番前のメイクをしに、別室へと行った。
監督と一時的に2人きりとなった天音は少し気まずいように感じられた。
「あれ? 昨日のエキストラの子じゃないか!? また来たの? 学校とか大丈夫?」
「あ、はい。学校は一時的に休ませてもらっているので」
「あ、そう。まあ世の中色々あるもんね。はい、これ」
そう言うと監督は自販機で買ったお茶を天音に手渡した。
恐れ多いと思った天音は少し遠慮がちになる。
「あ、もしかして、こっちのミルクティーの方が良かった?」
「あ、いえいえ」
「じゃあこれ、どうぞ」
「すみません! ありがとうございます!」
「ところでなんだけど…… 今日脇を固める子役さんが来られなくなったみたいで、君、やってみない?」
「えっ…… わ、私ですか!?」
「まだ一回もその役出てないから、ドラマへの影響もないし、僕、君の昨日のエキストラに惚れちゃったなぁ。やってみない?」
「や、や、やってみたいです!」
普通の会話とは場違いなほどの声量で天音は答えた。
「お、おお! 本当!? 是非頼むよ。君、名前は?」
「城ヶ崎天音です」
「天音ちゃんか。よろしく。肩の力抜いてね」
「は、はい!」
初めてのメイク。小学校での演劇以来の衣装。憧れがふと現実に、自分の手の届くところに来ると人と言うもの、よっぽどの人じゃない限り委縮してしまう。
うまく笑えない。私なんかで大丈夫かな? 突如として巨大な不安が心の周りを覆いつくす。
天音の引き受けた役柄は香織の妹役、ドラマ本編にはまだ一度も出ていなかったため、急遽の変更にも対応できた。
舞台は実家。久しぶりに帰って来た主人公が妹と再会するシーン。
ここで演じる妹は想像以上に天真爛漫で帰宅と同時に主人公に抱きつく。
しかし間もなく仕事の電話が来てしまい、また実家を離れなければならない。そこのシーンでは妹は静かに泣きながら、主人公を見送る。
素人中学生からしてみるとかなり難易度の高いお芝居であると言える、そんな内容だった。
『ただいま!』
『おかえり、お姉ちゃん!』
「はい、カット! もうちょっと大きな声で、そして無邪気な感じでしてもらえるかな?」
『ただいま!』
『おかえりー! おねぇちゃーん!!』
『おうおう。よしよし、久しぶりに会えて嬉しいかー!』
「はい、カット! いいねー! 今の感じで。飲み込み早いねー!」
「ありがとうございます!」
しばらく主人公と母親との会話が続いた後、仕事の上司から突然の電話がかかってくる。
『もしもし、はい、はい。わかりました、すぐに向かいます』
『えっ…… おねぇちゃん、もう行っちゃうの?』
『うん。もう行かないといけないみたい。またすぐ帰って来るから』
少しずつ、少しずつ、涙をこぼしていこうとする。
『この前も、同じこと言って、全然、帰ってこなかったじゃん……』
『ごめんね…… 今度は絶対に近いうちに帰って来るから』
『約束、だよ』
『うん。約束』
主人公と妹はお互いの小指で約束を交わし、そのあと静かに抱擁を交わした。
しかし天音の目から涙はこぼれなかった。
「はい、カット! オッケー、オッケー!」
「いいんですか? 監督?」
「え、どうかした?」
「私、涙出せなかったです……」
その時、天音の目から初めて涙がこぼれた。
「天音ちゃん。今、どういう感情?」
「悔しいです……」
「その悔しさ、忘れちゃだめだよ。ていうか、急遽の代役でこんなに悔しくなるなんて、天音ちゃんすごいと思うよ。ていうかね、僕、テキトーだから、見ている人が感動してくれさえすれば、満足なんだよ。実際、今の天音ちゃんのお芝居で僕感動したもん。天音ちゃんの演技は伝わった。極論、僕が良いと思えば、良いしね。あはは」
「天音さーん。お疲れー。良かったよー」
「香織さん。でも私……」
「実際に涙は出てなくても、心が、声が泣いてたよー。素晴らしかったねー」
その日の天音の出演シーンはこれで終わり、残りの時間、天音は香織の演技に見入っていた。
3週間後、ドラマは無事放送され、城ヶ崎天音は一躍ネット上で話題の人となった。
ある日、天音は東京都内の事務所に呼び出されていた。
「君が城ヶ崎君かね? 話は香織から聞いているよ。どうだねウチの事務所に来ないか?」
「社長さん。ありがとうございます」
「それじゃあ……」
「折角ですが、今回はお断りさせていただきます」
「どうしてか、聞いても良いかね?」
「私はもっともっと自分を磨きたいです。どこかの事務所に所属し、仕事が約束されているのも、魅力的だと思いますが、私は一度専門学校に行って、一からこの世界のことを学びたいと思いました」
「そうかい。それじゃあ、専門学校を卒業して、一回り大きくなったその時には、是非ご一緒にお仕事しましょう」
「はい!」
それからというもの4年の月日が経ち、城ヶ崎天音は無事専門学校を卒業して、女優デビューを果たした。
ある日、天音はある人物に手紙を書いていた。
『あの時、私にきっかけを、希望を、チャンスをもたらしてくれてありがとうございます。今の私がいるのは平先生のおかげです。平新太先生、あなたの恩を私は決して忘れません。天国に行ってもお元気で―――城ヶ崎天音』




