星海の錨
サーゴンが機関核へ注ぎ込んだ純粋な宇宙の星光によって駆動された砂船《アル=スタリア》の白き鉄木の船体は、自らの凄まじい加速による圧力に震えていた。
その砂船は、まるで天から墜ちた彗星のようにアエセルガルドの砂漠を切り裂いて疾走する。黄金色の砂丘はただ揺れるのではなく、轟音とともに左右へ裂け、黄昏の闇の中で淡い紫色に輝くガラス化した砂塵を巨大な飛沫のように巻き上げた。
操舵輪の前にはカエレンが彫像のように直立し、両手を固く握り締めていた。凡人の傭兵を支配していたはずの恐怖は、【究極属性:権威の支配者】の絶対命令によって完全に封じ込められている。その瞳から恐れは消えていたが、意識は鋭く冴え渡り、羅針盤の上空に投影された古代バビロニア様式の星図を正確に追っていた。
「ソブリン。」
カエレンの落ち着いた声が甲板の静寂を破る。
「アレクサンドリア領を越えました。砂感知器が前方で極めて強大な時間エネルギーの反応を検知しています。三百マイル地点まで間もなく到達します。」
サーゴンは振り返らなかった。
彼は船首の最前端に立ち、ぼろぼろの奴隷服を超高速の風になびかせていた。その姿は、まるで王者のマントをまとった支配者そのものだった。
紫色の双子の太陽――ソルとルミスは完全に地平線の彼方へ沈み、アエセルガルドは宇宙の夜に包まれる。
頭上に広がる空は、もはや単なる大気ではない。それは渦巻く紫の星雲と、幾重にも連なる星団が漂う《エーテル海》を映し出す透明な窓となっていた。
(システム――。)
サーゴンの思念が、〈原初意識〉の絶対的な静寂の中に響く。
〈船の錨の正確な位置を特定しろ。〉
【通知:空間走査完了。】
【対象を特定:次元間虚空船の休眠中の錨は、『ゴルゴンの大口峡谷』地下二千フィートに埋没しています。】
【警告:峡谷の底部一帯には高位境界結界が展開されています。エネルギー反応は《天頂天》の高位魔導師たちのものと一致しています。】
【通知:あなたの記録における公開済み総文字数は増加を続けています。現地時間軸は〈ユーザーの存在〉を中心として安定化しています。】
サーゴンの漆黒の虚無の瞳が細められる。その瞳孔の奥で、小さな星河がゆっくりと計算するように回転していた。
高位魔導師か。
虚無の所有物を封じ込められると、本気で思っているのか。
砂船《アル=スタリア》は巨大な砂丘の頂を越えると、突如として鋭く横滑りしながら停止した。
彼らの前方で、平坦だった砂漠の大地は突如として砕け散り、何マイルにもわたって続く巨大で鋸歯状の大峡谷へと姿を変えていた。
――《ゴルゴンの大口峡谷》。
峡谷の岩壁は漆黒の黒曜石で形成され、果てしなく続く漆黒の奈落へとねじれながら落ち込んでいる。
だが、その峡谷の底は闇ではなかった。
そこ一帯は、純白にして絶対的な神聖エネルギーで構成された巨大な光のドームに覆われていた。その結界はあまりにも濃密で、まるで液体の大理石で満たされた湖のように見えるほどだった。
その聖なる結界の真上には、三つの人影が静かに浮遊している。
彼らは黄金の太陽紋が刺繍された純白の法衣をまとい、高位元素流によって支えられ、何の苦もなく空中へと身を浮かせていた。
彼らこそ、《天頂天》の高位魔導師――アエセルガルドにおいて、《三天》の利益を守る最高位の人間の守護者たちであった。
《アル=スタリア》が峡谷の断崖へ到達した瞬間、三人の高位魔導師は同時に目を開き、その視線を白き砂船へと向けた。
「何者だ――天の宝庫の立入禁止区域へ近づく者は!」
中央に立つ魔導師が雷鳴のような声を響かせた。その声は風魔法によって増幅され、峡谷全体へと轟き渡る。
彼は豪奢な黄金の杖を掲げる。
その杖の先端には、圧縮された聖なるプラズマの火球が眩い閃光とともに出現した。
「この地は《天頂天》の直命により封印されている! 名を名乗れ。さもなくば、灰すら残さず焼き尽くす!」
サーゴンは《アル=スタリア》の船首から静かに一歩踏み出した。
彼は何もない峡谷の空中を、そのまま歩き始める。
裸足が一歩踏み出されるたび、その足元の空間は淡い紫色の光を帯びて波紋を広げ、絶対なる権威によって形成された一時的な足場へと変わっていった。
その光景を見た三人の高位魔導師は、一斉に身体を強張らせる。
傲慢に満ちていた表情は、一瞬で崩れ去った。
彼らは何世紀にもわたり現実法則を研究してきた《昇華者》である。
それにもかかわらず、サーゴンの身体からは魔力炉も、霊脈も、さらには魂の反応すら一切感知できなかった。
彼らの魔法感知に映るサーゴンは――
宇宙そのものに穿たれた歩く空白。
「違法な船……魂を持たぬ異常存在だ。」
二人目の魔導師が震える声で呟き、杖を握る手が微かに震えた。
「待て……あの瞳を見ろ。あれは人間の目ではない。十分前に天上の裁定者たちから下された予言と一致する……!」
「――あいつだ! 《ジャスティシア》を消し去った存在だ!」
「攻撃しろ! 結界へ近づけるな!」
中央の魔導師は完全に冷静さを失い、悲鳴にも似た叫び声を上げた。
次の瞬間、三人の高位魔導師は究極の連携魔法を解き放つ。
峡谷の上空が裂ける。
裂け目から現れたのは、聖なるプラズマで構成された三つの巨大な流星。
その一つ一つは、オアシス都市を丸ごと焼き尽くせるほどの破壊力を秘めていた。
《ゴルゴンの大口峡谷》を満たしていた空気は、一瞬にして超高温へと変貌した。
黒曜石でできた峡谷の岩壁は、降り注ごうとする圧倒的な熱量に耐えきれず、次々と亀裂を走らせ、溶解して灼熱の鉱滓へと変わっていく。
「【術式:《三位一体・天界の審判》】!」
三人の高位魔導師は声を揃えて咆哮した。
次の瞬間、三つの燃え盛る太陽が轟音を響かせながら、一直線にサーゴンの頭上へと降り注ぐ。
サーゴンは歩みを止めた。
純白の大理石のような結界の上空に静かに浮かび、そのまま滅びを告げる流星群を見上げる。
その顔には、眩い閃光を前にしても一切の動揺はなかった。
ゆっくりと――
彼は左手を持ち上げる。
そして、青白い一本の指を静かに天へと向けた。
「【究極属性:《主権虚無》】」
サーゴンは静かに呟く。
その指先に、深く絶対的な紫黒の**「無」**が、顕微鏡でしか捉えられないほど微小な一点として生まれた。
しかし今回は、以前のようにゆっくりと広がることはなかった。
サーゴンはその法則に命じる。
局所的な断裂として顕現せよ。
一ミリ秒にも満たない刹那――
静寂のまま、巨大な純粋なる虚無の裂け目が天空を切り裂いた。
その裂け目は、落下する三つの流星の中心を寸分違わず貫き、何の抵抗もなく通り過ぎていった。
衝突は起こらなかった。
天地を揺るがすような爆発も存在しなかった。
三つの惑星を焼き尽くすほどの聖なるプラズマの太陽が、虚無の裂け目に触れたその瞬間――
それらの存在概念そのものが、瞬時に「無かったこと」にされた。
熱は消えた。
光は死んだ。
落下を支えていた運動エネルギーさえ、この世界から存在を失う。
虚無は、世界を滅ぼすはずだったその一撃を静かに呑み込み、アエセルガルドの時間軸から完全に消去した。
まるで、高位魔導師たちが最初からその魔法を発動していなかったかのように。
やがて空は瞬く間に澄み渡り、再び《エーテル海》を漂う静かな紫の星雲だけが広がっていた。
三人の高位魔導師は、その場で膝をついたまま空中に崩れ落ちる。
握っていた杖は指先から滑り落ち、深い奈落へと吸い込まれていった。
彼らの瞳は大きく見開かれ、充血し、底知れぬ精神的恐怖によって虚ろに染まっている。
宇宙の元素と接続されていた彼らの魔術回路は、魔法という概念そのものが現実から削除されたことで完全に崩壊していた。
「わ……我らの……究極魔法が……消えた……」
中央の魔導師は血を口元から流しながら、かすれた声で絞り出す。
「お前は……何者だ……? 一体……どんな化け物なのだ……!」
「私は化け物ではない。」
サーゴンは静かに答えた。
その穏やかな声には、第二の法則が持つ絶対に抗えぬ支配の威圧が宿っていた。
彼はゆっくりと視線を足元の純白の結界へ向ける。
「【支配者の権威】――砕け。」
そのたった一言の勅命は、白き大理石の結界を構成する防御術式を完全に無視して貫いた。
《三天》最高位の法則によって築かれた神聖結界は――
抵抗しなかった。
いや、
抵抗できなかった。
創造の真なる継承者の声の前では、あらゆる法則は従うしかない。
次の瞬間、純白のエネルギードームは激しく亀裂を走らせる。
そして数百万もの淡い星光の粒となって砕け散り、害なき流星雨のように峡谷の底へ静かに降り注いでいった。
結界が完全に消え去ると――
ついに峡谷の真の姿が姿を現した。
《ゴルゴンの大口峡谷》の最深部。
そこには、一隻の巨大な船が静かに眠っていた。
その船体は、継ぎ目すら存在しない一枚の漆黒の星鋼から鍛え上げられている。
その姿は神々しいほど壮麗だった。
流麗なアラビア様式の曲線を描く船体。
天空へと伸びる巨大な帆柱。
そして、純粋に圧縮された暗黒物質で織り上げられた漆黒の帆。
船体全域には、数え切れないほどの宇宙文字が刻まれ、その一つ一つがサーゴンの原初意識と完全に同期するように淡い輝きを脈打たせていた。
それこそが――
伝説の《次元間虚空船》。
無限に広がる多元宇宙を航海するために造られた唯一無二の船。
サーゴンは静かに、自らの真なる継承物を見下ろした。
その漆黒の瞳に宿る小さな銀河が、太古から続く満足を映すように深く輝きを増していく。
やがて彼は視線を上げる。
空中で震えながら浮かぶだけとなった三人の高位魔導師。
すでに力を失い、ただ裁きを待つしかない哀れな存在。
サーゴンは冷ややかに告げた。
「お前たちの役目は終わった。」
その右手には、静寂のまま緩やかに渦を巻く紫黒の虚無の渦が生まれ始める。
「主権者は、自らの船を取り戻した。」
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