153.これからも
雪が降りつつある中――フィルメアは白い息を吐き出すと、小さく笑みを浮かべた。
「やはりこの辺りは寒いですね。戻ってくると実感します」
「歩く必要はなかったでしょう」
「たまにはいいでしょう? 外を歩くくらい」
ロランの言葉に、フィルメアは呑気な口調で答えた。
「――ノル・テルナットが死んだようです。キリク・ライファも」
「……そうですか。残念です――と言っても、二人とも、私を裏切るつもりだったようですが」
「いかが致しますか? またシュリネ・ハザクラに邪魔をされたようですが」
「構いません。むしろ、始末をつけてくれたと感謝しましょう。ルーテシアさんには――できればこちら側についてほしかったんですけどね」
フィルメアは憂いを帯びたような表情で続ける。
「私は――仲間が欲しいだけだったのに」
そう呟いてから、くるりと振り返って――ロランに向かって言う。
「なんて、冗談です」
「やはり、今日は冷えるようです。馬車を手配しますから、ここでお待ちを」
「それは私の冗談が笑えないってことですか?」
「どう解釈してもらっても構いませんが」
「ふふっ、そう? まあ――なるようになるでしょう」
その場を去っていくロランを見送って、フィルメアは空を見上げた。
「いつまでも、幸せな時間が続くといいですね」
――それが誰に向けての言葉であるのか、彼女の真意は誰にも分からない。
だが、『ヴァーメリア帝国』は『サヴァンズ要塞都市』との同盟を断念し、『魔究同盟』はこの一件から完全に手を引いた。
それだけが――唯一分かる事実である。
***
揺れる『魔導列車』の中――ルーテシアは最後尾から『要塞都市』の方を眺めていた。
――とはいえ、もうすでに都市は見えなくなっており、今は森が続いている。
あれからさらに滞在期間は伸びてしまったが――ルーテシア達の市長暗殺未遂については、容疑が晴れることになった。
戦いの最中におけるノルの自供と――生還したゲルドの証言によるものだ。
都市内に流れた音声では、ゲルドは亡くなった――はずだったのだが、どうやらゲルドが仕掛けていたものは数日以上、ゲルドが行方不明になった場合に流れるように設定していたものらしい。
本人曰く、「私が数日戻れないようなことがあれば、それはおそらく死んだ時だろう」とのことだった。
当然、生還したゲルドとリネイは再会して――何だか気まずい雰囲気にはなっていた。
二人の確執についても簡単に解決するようなものではないのだろうが、リネイはルーテシアに同行して『リンヴルム王国』へやってくることになった。
技術指導者という立場であり、『サヴァンズ要塞都市』と同盟関係を結ぶ上で今度は彼女が使者としての役目を果たすようだ。
共に列車に乗った彼女は、ずっと緊張しっぱなしであるが。
「ボ、ボクにできるかな……」
『ガフッ』
「あっ、ヌーペ……! 隠れてないと!」
――リネイだけでなく、ヌーペも共に要塞都市を出ることになった。
ただし、魔導列車に子供とはいえ『竜種』を乗せるのは表沙汰にできるようなことではないために、リネイはヌーペと共に貨物室で移動することになっている。
こればかりは仕方のないことだ。
要塞都市の本質は、言うなればリネイを守るために作られた揺り籠だった。
彼女を外に出さないようにするためではなく、彼女を守るために――強固な要塞へと進化していったのだ。
けれど、リネイが外に出られるようになったことで――都市もまた、重く閉ざされた扉を解放することになった。
これからは、外に向けて魔導技術を多く世に広めていく方針に変わっていくらしい。
リネイが『リンヴルム王国』に送られるのも、その一環だろう。
――『魔究同盟』という呪縛が、どれほどまでに大きかったのかよく分かる一件だった。
「……本当、色々あったわね」
「ここにいたんだ」
ルーテシアの下にやってきたのはシュリネだった。
あれから魔導義手の方も動かすのには随分と慣れたようで――今では普通に腕のように扱っている。
シュリネに才能があったのか――常人ならここまで早く扱えることはないらしい。
そもそもシュリネは――調整前の魔導義手をもらって戦いに臨んでいたのだが。
「シュリネ、あの二人は?」
「今はハインのところにいるよ。ハインはほら、キリクって奴を倒してるから」
カーラとミリィ――護衛の騎士をまとめる二人は、すっかりシュリネとハインを尊敬するようになっていた。
シュリネは『竜種』と戦って勝ち、ハインはあの二人を軽々と打ち破った相手と戦って勝利した。
その実力を明確に示した形になったわけだ。
もっとも、シュリネはヌーペがいなければ空を飛ぶ相手と戦うのは難しかったし、ハインについてもクーリが勝利の決め手となった――つまり、一人の力で勝ったわけではない、とシュリネとハインは答えたのだが、それでもカーラとミリィは謙遜と取っているらしく、甲斐甲斐しく世話をしようとしてくるのだ。
ミリィに至っては、本人が病み上がりだというのに無理をしようとして――結局カーラに面倒を見られているようだが。
ハインについても、キリクとの戦いで負った傷は軽いものではなく――戦いで受けた毒は、クーリが解毒する形で事なきを得たようだ。
シュリネも以前受けたことがある――吸血鬼としての力の一つであり、吸血をするように毒だけを吸い出すことができるのだ。
クーリ曰く、「それができるっていう記憶が流れ込んできたみたいな」とのこと。
戦闘面でも役に立ったというのなら、クーリがいずれ――ルーテシアの護衛として表に立つこともあるのかもしれない。
それを、ハインが許すかどうかは別の話だが。
「……とにかく、みんなで戻れて安心したわ」
「まだ戻ってる途中だよ。同盟の件についても、これからまとめないといけないんでしょ」
「そうね。『要塞都市』はまず内部の復興からでしょうし」
「技術者の多い都市だから大丈夫、とは言ってたけどね」
「どちらにせよ、支援は必要になるでしょう。そういうことも含めて、帰ったらまた忙しくなるわね」
「そっか。ま、わたしのやることは一つだけどね」
「もちろん、あなたにだって働いてもらわないと」
「それってルーテシアの命がまた狙われるってこと?」
「さすがにそうはならないことを祈りたいけど――って、別にわたしが狙われなくったってあなたの仕事はあるでしょう!」
ルーテシアが怒ったように言うと、シュリネは楽しそうに笑う。
――けれど、彼女に笑顔が戻ってよかったと、ルーテシアは心底思っていた。
一時は塞ぎ込んでしまうようなことがあったけれど、今のシュリネならもう大丈夫そうだ。
実際――リネイの作ってくれた魔導義手は完璧で、シュリネも納得しているようだった。
ハインが治ったら、もう一度手合わせをする約束もしている。
「……」
わずかな沈黙の後――不意にルーテシアとシュリネの目が合った。
シュリネは何か言おうとして、けれど視線を逸らしてしまう。
「どうかした?」
「いや、ちょっと聞こうと思ったことがあったんだけど、やめとく」
「何よ、気になるじゃない」
「大した話じゃないよ」
「なら話してくれたっていいじゃない」
「ん……まあ、こういう話ってあんまりわたしがすることでもないなって思うから」
やけに煮え切らない態度に、ルーテシアは眉を顰める。
ただ、ルーテシアとしては余計に気になってしまい、
「いいじゃない。ここには二人しかいないんだから。それとも、私には話せないことなの?」
「むしろ、ルーテシアに聞きたいことかな」
「だったらなおさら、今聞いてちょうだい。何でも答えるわよ」
「ふぅん……じゃあ聞くけど。ルーテシアって――人を好きになったこと、ある?」
「それはもちろんあるわよ。ハインやクーリ、フレアだってそうだし、それにあなたも――」
そこまで言ったところで、ルーテシアはハッとした表情を浮かべた。
シュリネはどこか呆れた表情をしていて、ルーテシアは頬を朱色に染めながらも聞き返す。
「えっと、その好きっていうのは、恋愛感情的な?」
「……まあ、そうだね。そういう意味なのかな。わたしにはよく分からないものだけど――ううん、分からないものだった、というのが正しいのかな」
シュリネにしては、随分と回りくどい言い方をすると感じた。
何やら髪をいじったり、首元の辺りを撫でるような仕草をした後に――シュリネは意を決したような表情を浮かべて、ルーテシアに言う。
「わたしはたぶん、あなたのことが好きなんだと思う。こういう感情を人に抱いたことがないから、断定はできないんだけどさ。でも、わたしのために動いてくれるあなたのこと、諦めずにいるあなたのこと――きっとそれが、人を好きになるっていう感情なんだなって」
「――」
ルーテシアは面を食らったような表情を浮かべた。
――先ほどは見事に鈍感さを見せてしまったルーテシアだったが、ここまで言われたら分かる。
シュリネはそういう感情は分からないと言っているが――つまりは、ルーテシアに対する告白のようなもので。
思えば――ここに来る前に、ルーテシアからシュリネに対して告白に近いことをしていたような記憶が蘇ってくる。
ルーテシアが動揺したままでいると、シュリネはくるりと背を向けて言う。
「だから、わたしらしくないって言ったでしょ? そもそも、わたしはあなたの護衛だから。それ以上の感情を持つ必要なんてないわけだし。だから、今の話は――」
ルーテシアはシュリネの服の袖を引いて、振り返った彼女の――その先の言葉を言わせなかった。
確かに動揺はしたし、今の行為だって勢いではなかったと言えば嘘になるかもしれない。
けれど――シュリネの気持ちに応えるのなら、これしかないのだと思ったから。
不意を突かれたシュリネは驚きに目を見開いて――再び静寂。
ルーテシアが唇を離して、問いかける。
「……これで、答えになる?」
「……ルーテシアってさ、結構大胆だよね」
「っ、な、わ、悪かったわね! 嫌だったのなら謝るけど!?」
「嫌ってことはないよ。その、今までは治療目的っていうのがあったから……普通にキスされるのは、わたしも慣れないというか」
珍しく――シュリネが恥ずかしそうな表情を浮かべているのを見て、ルーテシアもまた心臓の鼓動が高鳴った。
そうして、どう続けるべきか迷った末にルーテシアは言葉を絞り出す。
「……えっと、これからもよろしく、ね?」
「それはどういう意味で言ってる?」
「どういう意味って、その……」
「――まあ、どういう意味でもいいか。これからもよろしく」
シュリネはそう言うと、ルーテシアの隣に残り、そのまま二人で景色をしばらく眺めていた。
――気付けば互いに手を握り合って、ただの護衛と雇い主だった関係は、より深いものに変わっていた。