149.無責任
――リネイは未だに、その戦いを遠くから見守ることしかできていなかった。
兵士達は慌ただしい様子で、住民の保護に回っている。
この都市の地下にはシェルターがある――だが、そこに避難させたとしても、『竜種』の暴走を止めない限りは安全とは言えないだろう。
ノルは悪人だ――そんなことは分かり切っている。
ヌーペが明確な敵意を感じ取って、シュリネに協力する道を選んだのだから。
そして――空を飛んで見せた。
初めて出会った時からずっと、ヌーペには翼がなかった。
『竜種』は自由に空を飛ぶことができるはずなのに、こんな薄暗い地下で生涯を生きるのは、あまりに可哀そうだと思った。
――リネイと同じような運命を生きる必要はない。
だから、外の世界に連れ出してあげたかった。
「ボクは……」
けれど、ノルがいなければリネイは生きていくことができない。
――それはきっと事実で、リネイの身体検査も定期的に行われていた。
幼い頃に手術を受けたことも、記憶にはないがゲルドから聞いている。
ノルの施した手術によるものであるのなら、その技術がなければいずれ――ノルはまた命を落とす可能性があるということなのだろう。
死ぬのが怖くないかと言えば――きっと嘘になる。
ただ、ヌーペが空を飛んだ――それだけで、リネイは満足して逝くことができる。
だって、ずっとそれだけが心残りだったのだから。
(……でも、ボクにできることなんて)
何もない――リネイはあくまで一人の技術者に過ぎないのだから。
市長の娘という立場だけでは、何もできることはないのだ。
声を掛けようにも、上手く言葉が出てこない――どこまでも自分が無能であると理解させられてしまう。
きっと、それがノルの狙いの一つでもあったのだ。
絶対に逆らえないという状況に陥ってしまっては結局、リネイは動くことすらできないのだ、と。
『――サヴァンズに暮らす皆、聞こえているだろうか』
「!」
不意に聞こえてきたのは、ゲルドの声であった。
「市長……!? 怪我は大丈夫なのか!?」
「静かに! 都市全体に声を流しているようだが、この辺りでは聞き取りづらい!」
暗殺未遂事件があってから、その姿を見ることはなく、声を聞くこともなかった。
病院で処置を受けているのか――そういった情報も全て、ノルによって遮断されていたからだ。
リネイはゲルドの声に耳を傾ける。
『この音声は私が死亡した場合に流れるようになっている。事前に録音しておいたものだ』
「――え?」
思わず、リネイは間の抜けた声を漏らした。
死亡した場合――つまり、父はもうこの世にはいないということ。
その言葉を聞いた瞬間、胸の辺りが締め付けられるような感覚があった。
別に、ゲルドのことが好きだったわけじゃない。
むしろ嫌いだったはずなのに――そんなリネイの気持ちを無視して、音声は流れ続ける。
『私の死後、市長代理には娘であるリネイ・エイジスを任命する。正式な後任については、改めて協議を以て決定としてもらいたい』
「!」
その音声によって、ノルには市長代理としての権限はなく、全てリネイにあることが決定づけられる。
当然、その場にいた兵士達の視線はリネイに向けられた。
だが、この場において指揮権を与えられたとして――リネイは何をすればいいのかも分からない。
ゲルドはどこまで勝手なのかと、怒りすら覚えるほどだった。
『このような音声が流れ、戸惑う者も多いことだろう。だが、都市の運営においては――』
ノルの激しい攻撃によって都市全体が危機に陥っている。
そんな中でも、あくまで録音の音声だからだろう――淡々とした口調でゲルドは説明を続けていた。
暗殺未遂などという事件に巻き込まれたゲルドは被害者だ。
だが、いきなりいなくなったかと思えば、無理やり閉じ込めていた娘に全て任せるなどと、どこまで無責任なのかと言いたくもなる。
――その言葉を直接、伝えることもできないというのに。
『――最後に、これは個人的な話になる。リネイ、お前に向けて、だ』
「――」
リネイは思わず、驚きに目を見開いた。
自分向けた言葉など、流れてくるはずもないと思っていたから。
だって、これは都市全体に流す連絡事項――それも、緊急事態を見越したものだろう。
その中に、リネイに対する個人的な話を入れてくるはずがない。
ましてや、ゲルドは――リネイに対してどこまでも冷徹な父親だったのだから。
『私はいい父親ではない。自分でもよく分かっている。お前の母親に、お前を託された。だから、私はお前を守ることだけを考えていた。もし、無理だと思うのなら私の指名は破棄してもらっても構わない。お前はお前のことだけを考えろ――音声は以上だ』
「……何、それ」
いなくなってから、『守ることだけを考えていた』だとか、『お前はお前のことだけを考えろ』だとか、やっぱり無責任だとしか思えない。
けれど、ゲルドはリネイが思っているような人間ではなかった――最後の言葉を聞けば分かる。
「……この状況で破棄するなんて、できるわけない……!」
拳を握りしめて、リネイは前を向く。
――市長代理として任命された以上、もはや傍観しているだけではいられない。
胸の痛みは治まらないが、リネイは近くにいた兵士に向かって声を上げた。
「ボ、ボクに――力を貸してください! あの『竜種』を……ノル・テルナットを止めます!」
リネイの言葉を受けて、その場にいた兵士達も頷く。
――都市の戦いは、佳境へと向かっていった。