145.挨拶代わり
「……さすがに予想してなかったな」
シュリネは小さく溜め息を吐く。
ノル・テルナット――人の姿を捨て、『竜種』との融合を果たした者。
『竜種』は多くが空を飛翔する大型の魔物であり、シュリネもさすがに斬ったことはない。
そもそも『竜種』を目にする機会など滅多にあることではないからだ。
――とはいえ、このまま黙って見てるわけにもいかない。
シュリネが行動をしようとすると、
「ど、どこに行くんですか……!?」
そう、リネイが問いかけてきた。
「どこって、決まってるでしょ。あいつを斬る」
「斬るって……あの竜を!? そんなの無理に決まってます!」
「無理かどうかじゃなくて、やるんだよ。でも、あいつを斬るってことはつまり――あなたの命もそこまでってこと」
「……っ」
シュリネの言葉を受けて、リネイは押し黙った。
ノルの言っていることが全て真実なら――リネイはノルに生かされている。
そして、反応を見る限りは思い当たる節もあるのだろう。
「わたしを止めたいなら、止めればいい。今はもう、この都市を出るとか言ってる場合でもなさそうだからね」
「ボク、は……」
――リネイは選べない。
この重要な局面おいても、彼女はまだ迷っている。
無理もないことだ――シュリネならば、仮にノルを斬ることで自らの命を失ったとしても斬る。
これは、シュリネがそういう人間であることに他ならないからだ。
だが、普通ならば選べるはずもない。
むしろ、リネイから見ればシュリネの方が敵になるのだから。
シュリネもこのまま待っているわけにはいかない――周囲の兵士達も、『竜種』の姿に呆気に取られている。
動くのなら今――シュリネが駆け出そうとした瞬間、建物の窓が割れる音が響いた。
「!」
そこから姿を見せたのは、リネイが都市の外に出したがっていた子竜――ヌーペだった。
随分と高いところから落下してきたが、翼をわずかに羽ばたかせるとそのまま着地して、ヌーペは真っすぐノルのことを見据えた。そして、
『グルゥ……』
そう、唸るような声を上げた。
「ヌーペ……?」
リネイはその様子を見て、少し驚いたような表情を見せる。
威嚇している――同じ『竜種』だからこそ、危険性を理解しているのか。
リネイはヌーペが首に下げた物を見て、目を見開いた。
「それ、持ってきてくれたの……?」
シュリネには分からないが、何か大事なものなのだろうか。
ヌーペはリネイを守るように、ノルを見て威嚇をし続ける。
「さて、シュリネ・ハザクラ――約束通り戻ってきたから、続きをしようじゃないか」
それに気付いているのか分からないが、ノルは動きを見せた。
こちらに向かって何か仕掛けようとしている。
シュリネはすぐに気付いたが、ここにいるリネイやヌーペ、さらには兵士も含めて逃がせる状況にはない。
「……ちっ」
小さく舌打ちをすると、シュリネはすぐに走り出す。
おそらく、狙いはシュリネだ――ならば、できるだけ距離を取る。
だが、ここはまだ都市内であり、逃げ遅れた人間もいる。
そこまで踏まえて逃げる場所を選ぶことは、さすがのシュリネにもできることではない。
ちらりと視線を向けるのは、一本の刀。
あらゆる魔力を吸収するこの刀ならば――あるいは、受け切れるか。
だが、そんな希望的観測を打ち砕くほどに、ノルが使おうとしているのは膨大な魔力の塊であった。
もはや、狙っているのがシュリネだけとは思えない――周囲も巻き込むつもりなのだろう。
そこにはリネイまで含まれているのだ。
「まずは挨拶代わりに――」
ノルがシュリネに向かって、魔力の塊を打ち出そうとしたその時、彼女の頭に何かが当たった。
ここからではよく見えなかったが、ノルの頭が動くほどのもので――わずかに出血している。
シュリネを狙っていた魔力の塊が徐々に小さくなっていき、収束していく。
そして、ノルの視線は――物を投げた方へと向けられた。
「どうやら先に死にたいらしいね。ルーテシア・ハイレンヴェルク」
「っ!」
シュリネは驚きに目を見開く――今、ノルを狙って何か投げたのはルーテシアだ。
それが当たったことで、標的が変わった。
だが、シュリネにとってはもっとも最悪なパターンだ。
ここからどれだけ急いでも、ルーテシアのところに間に合うとは思えない。
それでも全力で駆ける――ある程度まで近づけば、シュリネもノルに狙って何か投擲することで注意を逸らすことができるかもしれない。
すぐに動き出そうとしたところで、
「あ、あの……!」
声を掛けてきたのはリネイだった。
「悪いけど、今は急いでるから」
「こ、これを……!」
リネイがそう言って差し出してきたのは魔導義手だった。
「ま、まだ、最後の調整ができてないですが、動かすことはできます。シュリネさんも、動かす訓練はずっとしてましたよね……!?」
どうやら、ヌーペが持ってきてくれたのはシュリネの義手だったようだ。
リネイが作っている物が大切なのだと理解しているのか。
「それをわたしに渡すってことは――」
「わ、分かってます。ボクは、自分では何も決められない、優柔不断でダメな奴、です。でも、ヌーペがこれを持ってきてくれた、から」
「……なら、ありがたく使わせてもらうよ。それともう一つ」
「も、もう一つ……?」
リネイが首を傾げた――シュリネの視線はヌーペに向けられている。
「あなた、空は飛べる?」
そう、問いかけた。