118.必要な確認
『竜種』――それは、人に懐くような生易しい生物ではない。
空、または地上において最強クラスの存在――それが『竜種』である。
もちろん、その種族も少なくはなく、また好んで人里に近づく種族は多くない。
彼らは高い知能を有しており、人と言葉を介すことはないが、その意味は理解すると言われている。
今、シュリネとルーテシアの前にいるのは、そんな『竜種』の幼体だ。
サイズ的には、成長すれば相当大きくなると思われるが、今でもシュリネやルーテシアよりは体格的に大きい。
ゆっくりとした足取りで、『竜種』はリネイに近づくと、
『ガアッ』
なんと、甘えた様子で鳴きながら、彼女に顔をこすりつけ始めた。
「おはよう、ヌーペ」
『ガウッ、グアッ』
ヌーペ――おそらく、この『竜種』の名前だろう。
大きな舌を出して、リネイの顔を舐め始める。
「ちょ、ちょっと……今はお客さんが来てるから……」
『ガア?』
リネイのその言葉に反応して、ちらりと視線がシュリネとルーテシアへと向いた。
瞬間、ヌーペの視線が鋭いモノになる。
『ガアアッ!』
大きい声で、翼を広げる――牙をむき出しにして、明らかな威嚇行為。
シュリネはルーテシアを庇う姿勢のまま、腰の刀に触れた。
今にもヌーペがシュリネに対し、襲い掛かろうとした瞬間、
「ス、ストップ! ストップだよ、ヌーペ! こ、この人は、えっと、怖い人だけど、敵じゃなくて……!」
怖い人――リネイにとってシュリネはそういう認識らしいが、果たして『竜種』にそんな説明が通用するのか。
だが、リネイの言葉を受けて、臨戦態勢になったヌーペは、徐々に表情を和らげていく。
『……ガフッ』
まるで溜め息でも吐くかのように声を漏らすと、シュリネへと敵対心はなくなったようだ。
「……まさか、本当に『竜種』を手懐けている……?」
ルーテシアはまだ驚きを隠せない表情をしていた。
一方、シュリネはヌーペに対し、少し不満を盛らす。
「……そいつ、わたしばかり敵視してない?」
――実のところ、ルーテシアに対して視線を向けた時、ヌーペは威嚇する様子を見せなかった。
ヌーペが声を上げたのは、シュリネと目が合った瞬間だ。
「え、えっと、な、何ででしょうね……? その、普段から、知らない人でもそんなに警戒することはなくて」
「たぶんだけど、貴女の殺気とか、そういうのに反応したんじゃないかしら」
リネイすら答えられない疑問に対し、ルーテシアはそう言い放った。
なるほど、確かにシュリネはヌーペの姿を見た瞬間から、明確に敵視していた。
魔物は特に、自分を害する存在には敏感であり、『竜種』もまた、そういった感覚は鋭いと聞く。
――本来、目の前に『竜種』が姿を見せて警戒するな、という方がおかしな話だが。
シュリネともなると、どんな相手でも斬ることを想定に考えるために、結果的に敵対状態になってしまった、という感じだ。
「それで、逃がしたい子って、まさかそれなの?」
「は、はい! この子は外の世界をほとんど知らないので。で、でも、やっぱり『竜種』なら、自由に空を飛んで生きるべきだと、思うんです。ボクが作ったこの義翼なら、きっと、飛べるようになるはずで」
「ルーテシア、戻ろう」
シュリネは早々に、ルーテシアにそう切り出した。
「え、ど、どうしてですか!?」
「どうしても何も、人間とか、小型の魔物とか、そういうのならまだしも、『竜種』はちょっと無理があるでしょ」
「そ、そこをどうにかできませんか……!? い、今までもずっと、ここに来た人達には断られてしまって……!」
「まあ、当たり前でしょ」
亡命希望――リネイ本人かと思えば、まさかの『竜種』を逃がしたいという願い。
そんなこと、受け入れる人間が果たして、この世界にどれだけいるだろうか。
「確かに、この子は子供でもサイズは大きいし……。それに、義翼ってあくまでこの子のサイズに合わせて作っているのよね? 飛べるにしたって、成長に合わせて変えないといけないと思うのだけれど」
「それは……はい。だから、ボクも一緒に外には、出ようかと。あ、だから、結局、ボクとこの子が一緒に亡命したい、っていうのが正解かもです」
「『竜種』……はさすがに予想外ね」
ルーテシアはそう言いながらも、考え込むような仕草を見せる。
すぐに無理だと断らないのは――彼女の人柄もあってのことかもしれないが、さすがに受けるべき話ではない。
そもそも、ここは下手をすれば敵地になる可能性がある。
そんな場所で、ルーテシアにこれ以上、危険な真似をさせられない――それが、シュリネの考えだった。
「ルーテシア――」
「リネイさん、一つ質問があるのだけれど」
だが、ルーテシアはまだ何か確認したいことがあるようで、話を続けた。
「は、はい! 何でしょうか……?」
「その義翼を作ったのは、貴女なのよね?」
「えっ、そ、そうです、けど」
「……翼を失った『竜種』がもう一度、空を飛べるようになる義翼……確かに、技術としてはリンヴルム王国よりも遥かに上ね。もっとも、試したことがある人間がいないっていうのもあるでしょうけど」
ぶつぶつと、ルーテシアは独り言を呟き始める。
やがて、本当に彼女が確認したかったことを口にした。
「たとえばの話なのだけれど、貴女なら――人が失った腕の、元に限りなく近い義手を作ることは可能かしら?」
「! それは……」
リネイは、ちらりとシュリネに視線を向けた。
――言わなくても分かることで、シュリネには左腕がない。
明らかに、彼女のためにしている質問なのだ。
「ルーテシア、そんなこと聞いてどうするのさ」
「これは必要な確認よ。義手を作れる技術者は捜すつもりだったでしょ」
「別にそれは後回しでも――いや、それ以前に。この子である必要はない」
「あ、あの……」
シュリネとルーテシアの会話を遮るように、リネイが小さく手を上げて、
「た、たぶんですけど、そ、そういう目的の義手なら、ボ、ボクが一番質のいい物を作れると、思います」
自信はなさげな態度とは裏腹に、リネイはそう言い切ったのだ。