117.『竜種』
「ど、どうぞ……」
リネイに案内されたのは、彼女が普段使っているという部屋だった。
本来なら会合の終わる時間は過ぎており、いつまでもこの建物にいる場合ではない。
だが、状況が状況だけに、まずはリネイの話を聞くことにした。
ただし、シュリネはまだリネイのことを警戒している――何せ、彼女は市長であるゲルドの娘。
ゲルドは、まだ確実ではないにしろ、『魔究同盟』と繋がりがある可能性の高いノルと共にいる。
もはや、ルーテシアを狙う理由があるのか分からないが――どうあれ、注意をすることに越したことはない。
「……」
リネイは、そんなシュリネに随分と怯えている様子だった。
鋭いシュリネの視線が気になるようで、落ち着かない。
見かねたルーテシアが、シュリネに声を掛ける。
「シュリネ、一先ず話を聞くだけだから」
「……そうだね」
ルーテシアに促され、シュリネも警戒を解くわけではないが、少なくともリネイに対して疑うような目を向けるのを止めた。
リネイがほっとした様子を見せたところで、ルーテシアが話の続きをする。
「それで……亡命希望っていうのは、どういうことかしら?」
「あ、はい。その、何から話せばいいのか……。えっと、ボクはここでずっと暮らしてて、それで……あの、ある子を逃がしてあげたくて」
「……ある子? 亡命を希望しているのは、あなたではないの?」
「ボ、ボクはついでというか、ま、まあ、外の世界を見てみたいっていう、気持ちもあるだけっていうか……」
どうやら、リネイの目的は自身がこの国から亡命することではなく――本質的には、別の誰かを逃がしたいらしい。
市長の娘、という立場から考えれば、確かに本人の亡命は大きな問題ではあるが。
「その亡命を希望している子には、会えるかしら?」
「ルーテシア」
シュリネが少し咎めるように、名を呼ぶ。
きな臭い、深入りすべきではないという警告の意味が込められていることは、ルーテシアもすぐに察しただろう。
だが、彼女は首を横に振る。
ルーテシアのいいところは、こういう困った人を放っておかないところにあるが――これは悪い面でも働くことだろう。
もし、相手に悪意があったらどうするのか。
だから、シュリネがより一層深く、相手を警戒する必要があるのだが。
「会えるかっていうと、会えるんですけど……」
リネイは煮え切らない様子で言う。
彼女がわざわざ代わりに伝えに来たところから察するに、自由に出入りできない身か――あるいは、身体を動かせないような人物か。
――とはいえ、ルーテシアもこの話だけでは何も判断ができない。
「本人に会ってみないことには、何とも言えないの。その、亡命を希望している人に会わせてもらえる?」
「……」
何故か、ルーテシアの問いかけにリネイは黙ってしまう。
さすがのシュリネも、彼女の態度に少し苛立ちを隠せず、
「あのさ、話があるならはっきりしなよ」
「うっ、ご、ごめんなさい……」
「謝ってばかりじゃなくてさ」
「シュリネ、気持ちは分かるけど、少し落ち着いて――!」
ルーテシアがシュリネを止めようとした時、不意に部屋の奥で物音がする。
ドンッ、と扉を揺らすような、随分と大きな音だった。
すぐに、シュリネがルーテシアを守るように前に立つ。
「……今のは?」
「あ、その、起きたみたいです」
「起きたって、何が?」
「ボクが、逃がしたい子なんですけど……その、人じゃなくて」
人じゃない――その言葉と共に、部屋の奥の扉が開いていく。
姿を見せたそれに、シュリネとルーテシアは驚きを隠せなかった。
白く、大人の人間と同じかそれよりも大きいくらいか――だが、大きな牙と爪を持ち、太い後ろ足でゆっくりと歩いてくる。
尻尾は床をこするようにしながら、背中には――翼がある。
ただし、翼の片方は何か加工して作り出された、義翼とも呼ぶべきか。
『ガフッ』
一言、声を漏らした正体は――『竜種』、すなわちドラゴンの幼体であった。