102.こっちも恥ずかしくなる
――しばらくして、シュリネとクーリは退院した。
クーリに関しては元々入院していた理由が病気を主としていたものであったが、すでに完治しているということ。
それは、彼女が『吸血鬼になった』と言っていたことに起因する。
クーリ自身、オルキスから聞かされていたことは吸血鬼になるための適性があるということと、そして適合させるための研究として身体に様々な薬を投入され続けていたということだ。
オルキスが管理していた地下室には多くの資料があり、今は王国側で管理している。
吸血鬼――もはや伝説上の存在と言えるが、クーリはその特性を得たということなのだろうか。
仮に事実であれば、クーリという存在を欲しがる国は少なからず出てくるだろう。
彼女は病に冒されて、かつほとんど視力を失い、歩けない状態にまでされていた――それが、治ったという事実。
ただし、オルキスの資料によれば吸血鬼の血液に適合できなければ高い確率で死ぬことになる――回避するために、オルキスは『魔物化』という研究に特化していたようだ。
人間が『人間という存在が外れる研究』である。
この国を統治するのがフレアでなければ、今頃クーリは王国の管理する研究室に閉じ込められて、一生を過ごすことになっていたかもしれない。
クーリが吸血鬼になった、という事実は秘匿されて関係者のみが一部知ることとなり、定期的に検査などを行うことで一先ずは落ち着いたようだ。
退院したクーリは、ハインと共にルーテシアの屋敷の世話になっているという。
そして、シュリネが戻ってくるのも久々であった。
「結局、一カ月近く入院する羽目になるとはね」
「貴女の怪我はそれだけ大きかったのよ。完治とも言い難いみたいじゃない」
馬車から降り立ったシュリネに対して、付き添ってくれたルーテシアが言う。
すでに歩き回れるくらいには回復しているが、シュリネには左腕はなく――左目は大きな眼帯で隠すようになっていた。
「一先ず、義眼は作りたいね。明確に見えてない風にするのは戦いにおいてはデメリットだから」
「もう大きな戦いはこりごりよ。義眼を作るのはいいけれど、しばらくは屋敷でも安静にね? お医者様にも言われたでしょう」
「身体が鈍ってしょうがないから、素振りくらいはしてもいいよね?」
「シュリネ、私の話を聞いていたわよね?」
ルーテシアは笑顔であったが、目は笑っていない。
まだ病室を抜け出して隠れて刀を振っていた事実を怒っているようだった。
彼女の護衛だというのに、刀も取り上げられる始末である。
「……分かったよ。しばらくは休む。でも、わたしはあなたの護衛だからね」
シュリネは改めて、自身の役割を強調する。
心配するのはいい――だが、その立場を奪うようなことは許さない。
ルーテシアも理解しているのだろう。
小さく溜め息を吐くと、静かに頷いてくれた。
「シュリネっ!」
少し離れたところから名前を呼ぶ声がして、振り返る――こちらに駆けてくる、メイド服姿のクーリであった。
彼女は勢いのままにシュリネへと抱き着いて、思わずバランスを崩しそうになる。
「――っと。随分元気そうだね。それに、メイド服もよく似合ってる」
「ありがとっ、あたしもお姉ちゃんと一緒にルーテシア様に仕えることになったんだよ」
「聞いてるよ」
「……それと、シュリネが元気になったら、言わないといけないことがあって」
クーリはそう言うと、シュリネの傍を離れて深々と頭を下げた。
「ごめんなさい、あたしはあなたを利用しようと――ううん、利用した」
――すでに、ハインから話は聞いている。
クーリがシュリネと病院で出会ったのは偶然ではない。
初めから、ハインがルーテシアのメイドをしていることを知っていたのだ。
クロードを打ち倒したというシュリネのことも、シュリネがルーテシアの護衛であるということも――病院でも一時期噂になっていたらしい。
もしかしたら、シュリネに接触できればハインを救うことができるかもしれない。
そんな一縷の望みにかけて、クーリはそれを掴み取ったのだ。
「許してほしい、なんて言わない。虫のいい話だから。でも、これからあたしもルーテシア様の傍にいるから、困った時があったら何でも言って」
「なら、わたしから一つだけ」
「! なに?」
「わたしはわたしがするべきことをした――あなたが何も負い目に感じることはない。わたしのことを利用した、なんて気にする必要はない」
「そ、それは、ダメだよ。だって――」
「何でも言って、でしょ。わたしが困るから言うこと聞きなよ」
「……っ、シュリネって、やっぱり優しいよね。何だかんだ、お見舞いにも来てくれたし」
「ついでだよ。別に優しくはない」
シュリネはクーリの言葉を否定する。
元より、ルーテシアが望んだこと――ハインを取り戻すためには、クーリを救う必要があった。
全てが繋がっているから、今があるのだ。
もしもルーテシアを救うためにハインを犠牲にする必要があったのなら――今頃どうなっていたか、それはシュリネにも分からない。
全てを救える道が奇跡的にあっただけで、引き寄せたのはクーリの行動もキッカケの一つなのだ。
だから、シュリネからすればクーリに感謝することはあれど、謝られることなどない。
「わたしとあなたは友達なんでしょ。わたしがいいって言ったらそれでおしまい」
「……! うん、ありがと」
「ところで、『お姉ちゃん』とは仲良くやってる?」
「あ、わざと強調するように言ってるよね……!?」
クーリは少し恥ずかしそうな表情をした。
大人ぶっていたのか、『姉さん』とハインのことを呼ぶようにしていたが――二人きりの時は『お姉ちゃん』と呼んでいるようだ。
実際、クーリはまだ十五歳の女の子で、シュリネとほとんど変わらない。
呼び方なんて気にする必要もないと思うが。
「――妹をあまりからかわないでくださいね」
いつの間にか背後にいたハインが、不意に声を掛けてきた。
彼女もメイド服姿だが、服の下にいくつか武器が仕込んであるのが分かる。
以前に比べると、随分と武装が増えているようだった。
「あなたも少しは護衛らしくなったんじゃない?」
「護衛はあなたの役目でしょう。早く復帰してくださいね」
「なら、リハビリには付き合ってよ。あなたの腕ならちょうどいい」
「もちろん、構いませんよ。ルーテシア様の護衛が務まるかどうか、しっかり見定めさせていただきますから」
「ふぅん、言うようになったね」
「元々、こういう性格ですから」
ハインは小さく笑みを浮かべると、荷物を持って屋敷の方へと歩いていく。
後を追いかけるのはクーリで――姉妹揃って仲睦まじい姿が見れた。
「あなたのおかげで、ハイレンヴェルクの屋敷も少し寂しくなくなったわね」
「少しって、まだ足りないものでもあった?」
「ううん、今日からは大丈夫よ」
「……?」
ルーテシアの言葉の意味がすぐに理解できなかったが、ご機嫌に歩く彼女の後ろ姿を見てから気付く。
「なんだ、わたしがいなくて寂しかったの?」
「! そういうことは分かっても口に出さないものでしょう……」
「ルーテシアも結構素直じゃないところあるよね」
「貴女よりはずっと素直だと思うわ」
「本当に? じゃあ、わたしとのキスはどうだった?」
「――」
シュリネの言葉にピタリと足を止めて、ルーテシアが振り返る。
怒ったような、恥ずかしがっているような、揺れ動く微妙な表情をしていて、
「あ、あれは必要だからしたの!」
「必要じゃないとしないってこと?」
「当たり前じゃない。大体、緊急時以外にどうして――」
ルーテシアが言葉を詰まらせたのは、シュリネが眼前に迫っていたからだ。
それこそ、キスのできる距離で――唇が触れ合う手前で。
身構えたルーテシアを見て、シュリネはくすりと笑う。
「あははっ、ルーテシアはからかい甲斐があるよ」
「……! あ、貴女っていう人は……! もう知らないっ。一人で帰ってきなさいよっ」
明らかにルーテシアを怒らせてしまったようで、彼女は先を歩いていく。
一人で帰れ、と言われてもここはもう屋敷の前で――怒っていても彼女らしさが出ているというところか。
「……あんまり恥ずかしがられると、こっちも恥ずかしくなるっていうか、ね」
一人取り残されて幸いだったと言うべきか、からかったつもりで――シュリネも少しだけ恥ずかしそうに頬を朱色に染めていた。
これにて二章完結です!
三章はまたちょこちょこ更新していきます~。