101.両腕
『ヴァ―メリア帝国』内にある、とある研究所。
キリクはそこで、一人の女性と顔を合わせていた。
「――なるほど、リンヴルム王国からは全面撤退……正しい選択をしましたね。十年間ほどでしたか、ご苦労様でした」
銀色の長い髪、真っ白な肌、赤色の瞳――黒を基調とした服装に身を包んだ女性は、キリクの報告を受けてそう答えた。
「『魔究同盟』に繋がる情報は一切残してはいないから、大きな問題にはならないだろう」
「大きな問題にならない? それは少し違うでしょうに、キリク・ライファさん」
名を呼ぶと同時に、圧倒的なまでの威圧感がキリクの身体を襲う――身体が勝手に震えるような感覚。
「ディグロスは優秀な男でした。彼の部下であった……ええと、名前はなんでしたっけ?」
「レイエルですよ、フィルメア様」
女性――フィルメアのすぐ傍に立つ、オールバックで目を閉じた男が口を開く。
フィルメアは『魔究同盟』の盟主であり、男はフィルメアの側近だ。
純粋な強さだけで言えばディグロスと近しい実力を持つキリクでさえ、この二人の底については計り知れない。
「私ったら、いけませんね。名前を覚えるのがついつい苦手で……」
「レイエルはフィルメア様と同じ吸血鬼の才能を持った子でした。ディグロスとレイエル――優秀な人物を二人欠いた、ということです」
「そうでした。あなたがどう計画を運用するか、については私も事細かく口を出すつもりはありませんよ? けれど、あなたが目を掛けていた子に結局裏切られて、逃げ帰ってきた――それでは示しがつきませんよね」
「……」
キリクには反論できなかった。
彼女の言う通り、あるいはハインを早々に切り捨てる選択をしていれば――ここまでの被害を受けることもなかったのかもしれない。
だが、重要なのはハインだけではない。
「でも……そうですね。クーリ・クレルダ――新しく吸血鬼になれたようで、私としては嬉しい限りです。あの子は才能があると思っていましたから」
レイエルの名前は覚えていなかったのに、クーリのことはきちんと把握している――だが、記憶力が低いというよりは、生きている期間が長いというのが根底にあるのだろう。
フィルメアこそ現存する唯一、本物の吸血鬼である。
「あ、それで言えば……オルキスも死んでしまいましたね。彼女は吸血鬼の研究に熱心で、彼女自身が私を超えることを目標にしていたのに……実に残念なことです」
「新たな吸血鬼の誕生――喜ばしいことですが、キリクの失態を帳消しにするにはいかがなものかと。どう致しますか?」
男が問いかけると、フィルメアは頬に指を当てて考え始める。
「そうですね……あ、でもそれ以上にいい発見もありました! 報告にあった、貴族の女の子……ルーテシア・ハイレンヴェルクでしたね。彼女も中々、才能のある子みたいじゃないですか。一回、会ってみたいですね。後は、ディグロスを倒した子――そっちは、まあ……どうでもいいですね」
「フィルメア様、今はキリクの処分についてです」
「あら、いけない……私ったら。つい、話の方向がズレてしまって。では――今回は両腕ということでいかがでしょうか」
フィルメアがそう口にした瞬間、キリクの腕が斬り飛ばされた。
キンッ、と男が刃を納める音だけが耳に届き、部屋中に鮮血が飛び散る。
フィルメアの顔にも血がかかって、それを舐め取りながら彼女は言う。
「その腕ではしばらく満足には動けないでしょう? しばしの休養をオススメします。今回の件については、これで終わりです」
「ぐ……わ、分かった。そうさせて、もらうよ」
キリクはそう答えると、そのまま部屋を後にする。
すると、すぐ近くに一人の女性が待ち構えていた。
「キヒヒッ、随分と派手にやられたなぁ、キリクちゃん?」
牙のように尖った歯を見せた笑い、子馬鹿にするような態度を見せる。
「……妹の仇でも討ちに来たかい? ノル・テルナット」
「面白いこと言うね! 確かに、今回の件でアタシの可愛い妹であるオルキスちゃんはあの世に行っちまったけどさ、別に気にしてないよ。それより、アンタの両腕の代わりが必要じゃない? オルキスの代わりにアタシが治してあげよっか?」
女性――ノルは怪しげな笑みを浮かべながら言う。
オルキスの姉であり、この組織の中においては、ディグロスやキリクとは同格とでも言うべきだろうか。
「……君はこんなところにいていいのか?」
「アンタに心配されることなんてないよ。アタシの計画は順調だし。盟主様の言う優れた人物の選定なんてのは、とっくの昔に終わってる。後は、アタシがやりたいことをやらせてもらうだけだからさ」
ひらひらと手を振ると、ノルはその場から去って行く。
なくなった両腕から流れ出る血を、キリクは魔力で止血した。
「……さて、僕の両腕の借りは、誰に返すべきだろうか」
小さく、無表情のままに一言だけ呟いて、歩き出す。
悪意はまだ、完全に消え去ったわけではなかった。