二つの伝説
広場に面した一軒の食堂の中、シュタルテは上半身裸になって、椅子に腰掛けていた。
シュタルテの胸に手をかざし呪文を唱えていたタウロンが、その手を下ろした。
「骨にも内蔵にも異常なしだ。ちょうど、胸当ての頑丈な所に当たったんだな」
シュタルテはほっとした顔をしてから、ふと口を開いた。
「タウロン様、ごめんね」
「何が?」
「つまんないでしょ、ぺったんこで」
「……尊敬すべきタフさだな」
タウロンは、シュタルテに服を着させてから、食堂の前で待っている者達に声をかけた。オーレス、ヘイズン、オレオンの三人が入ってきた。
シュタルテの怪我は心配いらないとタウロンが言うと、三人は揃って胸をなでおろした。
「この面々は良く休んでおくようにと、バスコフ先生から指示が出ています」オーレスが言った。「何かあった時は、主力になってもらうから、と」
「……まあ、休ませてもらいましょう」とタウロン。「現状、わたしは何もできませんからね。怪我を調べることはできても治す体力はないから、そちらの役にも立てないし」
そこへ、神妙な顔をしたヘイズンが口を開いた。
「タウロン様、すみませんでした」
タウロンは、シュタルテに謝られた時よりなお不思議そうな顔をする。
「何が?」
「シュタルテがタウロン様を守ろうとした時、ぼくはシュタルテに『よけろ』と言ってしまいました。しかし、もしシュタルテがよけていたら、あの弾はタウロン様に当たっていました」
「ああ……」
タウロンは納得したように呟いてから、ヘイズンに笑いかけた。
「あなたは充分にわたしのことを守ってくれた。最後の最後で、あなたにとってわたしよりシュタルテさんが大事ということが分かったところで、咎めるわけにはいかん。それに、そんなことは最初から分かっていたしね」
「……恐れ入ります」
タウロン一流のからかいの言葉に、ヘイズンは少し表情を緩めた。
と、それまで黙っていたオレオンが、タウロンに切り出した。
「神官殿。戦いはどうやら終わったようだし、あの話の続きをしてもらえないだろうか。例の、言葉の通じる魔族との争いを、避けることはできないのかという話を」
「ああ、ネスロに着いた時に話題になった、あれですね」
と応じて、しかしタウロンは、困ったような顔でしばし考え込んだ。
「……ですが、わたしに何か特別な考えがあるわけではないんですよ。ただ……そうですね、シュタルテさんの感じた疑問に意見を述べるとすれば……言葉が通じるから争いが避けられるとは、わたしは思っていません」
シュタルテは、何となく居住まいを正した。タウロンが話を続ける。
「遥かな昔から、人間と魔族は互いに言葉が通じていたことが知られています。しかし、歴史上、人間と魔族は延々争いを続けてきた。なぜなら、人間の勢力が弱まれば魔族が栄え、魔族の勢力が弱まれば人間が栄えるからです」
「利害の不一致、資源の奪い合いですか」とオーレス。
「そうです。そして、これは何も、人間と魔族の関係に限ったことではない。人間同士の争いも、連綿と続いてきたのです。利害がすれ違えば、あるいは正義や価値観がすれ違えば、人間同士でさえ争いは避けられないわけです」
タウロンはそこで、オレオンの複雑そうな顔を見やった。
「――というのは、あくまでわたしの見解です。オレオンさん――」タウロンはふと周囲に目をやった。ここには、オレオンの秘密を共有している者しかいない。「今度は、あなたの考えを聴かせてくださいませんか」
「おれの考えか。どうも、夢想家と笑われそうなものなんだが」
「風の神の教えによれば、見解は議論の中で育ちます」
「……では、聴いてもらうか」
オレオンは話し始めた。
「神官殿の言うように、人間は人間との間でさえ争いを繰り返してきた。しかしこのボンナー王国では、もう三百年近く、大きな戦争は起きていない。神官殿、それはなぜだろうか」
「周囲の国々と比べて力の強いボンナー王国が、どこへも戦争を仕掛けないからでしょうね」
「なぜ仕掛けない?」
「建前でなく本音のところを言うなら……国内が安定しており、かつ土地も資源も不足していないから、でしょうか」
「おれの考えもおおよそ同じだ。内部が安定し、土地も資源も足りていれば、冷静に他国と向き合うことができる。なんとなれば、多少の不足は補い合うこともできる、この国とハーザクやタープが貿易を行っているようにな。この平和な状態は、分け合うに充分な土地や資源があり、各国がそれらをうまく分け合っているから成立しているわけだが……分け合うに充分な土地や資源、という条件は、実は人間と魔族の間にも成立しているのではないかと、おれは思っている」
「うまく分け合えれば、争いはなくなるということですか」オーレスが口を挿んだ。「……ではなぜ、人間と魔族は、延々それらを奪い合っているんです?」
「人間と魔族は絶対に相容れない、という価値観だ。さっき神官殿は、利害、正義、価値観がすれ違うと言った。利害は折り合いがつく。正義とは、実は価値観に付随する問題なんだと思う。価値観なんだ。先入観と言い換えてもいいが、それが邪魔をしている。しかし、言葉が通じるのだから、その価値観を互いに見直して和解する道はある、もっと言えば和解する道を探るべきだと、おれは考えている」
そこでオレオンは、少し言葉を切ってから、続けた。
「ドルストンで辻斬りをしていた頃、おれは、どうせ悪党には何を言っても無駄、という先入観で動いていたように思う。しかし後になって、おこがましいかもしれないが、おれは力で優位にあったのだから、もっと言葉を尽くすべきだったのではないかと思うようになった。彼らの多くは、根っからの悪党ではなかった。ただ、不安定だったんだ。もっと、言葉の持つ可能性を試しても良かったかもしれない……そんなところから、こんなことを考えるようになった」
じっと聴き入っていたタウロンが、口を開いた。
「なるほど……理想主義的ではあるが、面白い。わたしよりよほど深く考えておられる」
それからタウロンは、シュタルテを振り返った。
「シュタルテさんはどう思ったね?」
「わたしは……オレオンさんの言う通りだったら良いなって、思った。言葉が通じるのに争いがどうしても避けられないなんて、やっぱり納得できないもの。でも、人間と魔族がお互いの価値観を見直すためには、人間と魔族の仲介をする人が必要だと思う。で、それはきっと、本当の思いやりを持った人……オレオンさんみたいな人なんじゃないかな」
「おれには、そんな大それたことはできないよ」オレオンが言う。「叶うなら、その手伝いができたらとは思うが。おれが思うに、それを成すのはむしろ、思慮深い神官殿ではないかな」
「それは恐れ入ります」とタウロン。「わたしは、そんなことができるのはシュタルテさんではないかと思いますけどね」
「賛成ですね」オーレスも言う。「そんな無茶をしでかしそうなのは、ぼくの知る限りシュタルテ君しかいません」
「ぼくもそれに賛成」
とヘイズンが言い、男達が笑いだしたので、さしものシュタルテも困り果ててしまった。
(今日、ぼく達は多くの魔物を斬った)
オーレスはふと笑いを止めて、思った。
(斬るしかなかった。しかし、斬ったことをぼく達は忘れるべきではない。……オレオンにとって辻斬りをした過去というのは、つまりこういうことなのかもしれない)
増援の歩兵部隊が到着し、また魔族の完全な撤退が確認されたことで、ネスロの町はひとまず落ち着きを取り戻した。そんな中、デンズの人々とネスロの人々の間で、こんな会話が交わされた。
「あの、夕焼け亭のフィーズさんってさあ……」
「ああ、左利きで、刀を使って、二刀流……」
「それであの強さだろ……」
「間違いない、シュタルテが騒いでた、〈腕斬りオレオン〉てのは……」
「何者なの、あのおばあさん……」
「ああ、あの人は、元軍人で……」
「呪文を唱えたと思ったら、塔が崩れてきて、魔物どもが生き埋めになったよ……」
「おれも埋まりかけたけどな……」
こうして、ネスロの町に、「〈腕斬りオレオン〉の再来」と「デンズの爆裂ばあさん」という二つの伝説が残った。
ウデナ「フック・カーン、お疲れ様!」
リガルノ「厳しい戦いだったな、フック・カーン」
ゲルーニャ「なかなかの統率力だったよ、フック・カーン」
副官「……もういいよ、その名前で」




