第七回
ああ、行ってしまった。
足早に店を出る彼女の背中を目で追いながら、僕は心中で呟いた。
僕の人生において初めてのデートは、あまりにも唐突に、かつ呆気なく終わりを告げられてしまった。
とはいえ、このまま帰るという気も起きない。堪えきれず飛び出した彼女と同じく、僕だってさっきの光景を見てしまったのだ。何も見なかったことにして知らんふりを決め込めるほど、僕とて図々しくはない。
彼女を追いかけるべきか、否か。
彼女の残していった、明らかにコーヒー代よりも多い千円札を手に取って眺める。
追いかけよう、と決断するのに、そう時間はかからなかった。
まだ伝えていないこともある。
それなのに、こんな終わり方でいい訳がない。
僕は席をたち、彼女の千円札は使わず、自腹で二人分の会計を済ませて店を出た。
雨はまだ降り続けている。
先に傘を買おう。
念の為にミカさんの分と妹の分、合わせて三本を近場のコンビニで手早く購入し、うち一本を広げて歩く。
とたんに決して軽いとは言い難い量の雨粒が広げた傘にあたる音が頭の中に響きだす。
僕は雨音が嫌いだ。
むしろ好きだという人間もいるが、僕にとってはどうも不快な雑音にしか聞こえない。雨の日には必然的に、絶えず鳴り響くこの音を聞き続けなければならないのだから、雨そのものまで嫌いになるのは道理である。
日光を遮る鉛色の空も、しつこくまとわりつく雨滴も、豊かな静寂を害するこの雨音も、全てが不快にしか感ぜられず、だから気を紛らわす為に色々な事を考える他ない。
しかしてそういうとき無理に楽しいことを考え気分を変えられるほどに僕は器用でもないから、思考を満たすのは大抵とりとめもなく取るに足らないような事柄だ。
それは時に未来への不安であったり、過去への後悔であったりもする。
そして今考えているのは、さっきまでのこと──今日のミカさんとのデートのことである。
自分の行動の一つ一つをかえりみては、ああすれば良かった、なぜこう言わなかったのだろうと自分を罵る。そして同時に思い出すのは、他でもなくその時々で彼女がみせた可憐な笑顔である。
もしかしたら自分に気を遣っていただけなのかもしれない。しかしそれでも構わない、と僕は思った。
男としてはそんな心持ちではいけないのだろう、きっと。現に僕はそういった姿勢が災いして、一度痛い目をみている。
だが、そうだとしても、あの場で彼女が笑っていたことや、そして僕の目を奪った愛らしい仕草や言葉の一つ一つは、少なくともそれがあったことに関していえば紛れもなく真実だ。内実が伴わなければ意味が無い、という考えも否定はしないが、例え表面に踊らされる馬鹿だと言われようとも、僕は確かにそれに救われたのだ。
恐らく僕は、彼女に惹かれている。
これは実の所、僕にとっては大変喜ばしいことである。このデートを企画した我が妹には感謝せねばなるまい。
何しろこの僕が、恋をできるかも知れないのだから。
だが同時に、少し違和感もある。
それは彼女の、見た目に反し女性にしては低い声や男っぽい趣味のこと、そして何より僕が女性に惹かれていることそのものである。
それは単に僕が変われた、ととるべきなのか、或いは別の理由があるのか。
まさかあの見た目で実は男でした、なんてことはないと信じたいが、しかしそうでない保証もないのだ。
なればこそ、僕はこれから確かめなければならない。彼女のこと、そして僕自身の心を。
そのために、何としても彼女にもう一度会わねば。
そこまで考えたところで、ふと視界に特異な光景が飛び込んできた。
それは女性であった。
その女性は、まるでどこかの誰かのようにこの雨の中傘もささず、まるで何かを探すかのように落ち着きなく視線をあちこちう動かしながら、小走り気味に歩いていた。
その余裕が無い様子は、ちょうどさっきレストランの窓から見えた周や、急に飛び出していった彼女に酷似していて、僕はつい無視できずに声をかけてしまった。
「あの」
女性がこちらを向いたとき、僕ははじめて彼女の顔を認識し、そしてあることに気がついた。
似ている。
さっき周と一緒にいた少女に。
「どうかされましたか?」
いきなり話しかけてきた僕に対し、女性は一瞬びくっとしたが、すぐに落ち着きを取り戻して答える。
「ええっと、娘とはぐれてしまって……白いワンピースの女の子なんですけど」
「あ、なんかきた」
駅前に向かう途中。
ふと湊元がスマホを眺めながらそう言った。
ぽちぽちと画面をタッチしながら眉を顰めて「うえぇー」と声を漏らすや、いきなり「はーいひなちゃん笑ってー」とカメラをひなちゃんに向ける。
一拍おいて、パシャリとシャッター音。
「どうしました?」
再びスマホの操作に戻る津本に対し、俺は声をかけた。
「兄貴から連絡がきた。なんかこの子の母親と今一緒にいるんだって」
「は?」
湊元がスマホを手渡す。
表示されているのは康太さんとのチャット画面で、ひなちゃんの母親らしき人と一緒にいる、確認したいから写真を送って欲しいという旨の康太さんのメッセージに対し、湊元が今撮った写真を送信したところであった。
なるほどと画面を眺めていると、ぶるっと端末が振動し、康太さんからの返信がくる。
『確認した』『やっぱりそうみたい。今どこにいる?』と。
スマホを湊元に返す。更に何度かメッセージのやり取りをした後、必要な連絡を終えたようで、湊元が電源を切ったスマホをポケットに戻しながら顔をこちらに向けた。
「こっちに向かってるって。駅の入り口のとこで合流する」
「わかりました」
ぶっきらぼうに告げる彼女に対して返事をすると、話を聞いていたひなちゃんが会話に入ってきた。
「ママ見つかったの?」
「うん。もうすぐ会えるから待っててね」
「やったー!」
喜ぶひなちゃんを眺めていると、雨のせいで沈んでいた気分も嘘のように晴れ渡る。やっぱり幼女はいいなぁ。
「何にやついてんの、きも」
「うるさいです」
きもいとは失敬な、俺はただ幼女を眺めて微笑んでいただけなのに。
「お姉ちゃんたち、ケンカはだめだよー! め!」
「あはは、ケンカじゃないよー」
「そうなの?」
「うん。このお姉ちゃんはちょっと口が悪いだけだから」
「ちょっと、変なこと言わないでよ」
うん。やはり幼女はいい。ちょっとそこ、せっかくひなちゃん(天使)が険悪なムードを和ませてくれたのにまた戻すんじゃない!
ともかく行き先は変わらないので、特にルートを帰ることも無く駅前まで真っ直ぐ続く道を歩く。
それにしても三人で一つの傘を共有するってめっちゃ歩きづらいな。普通に肩濡れるし、あとちょっと目立っている気もする。
なにより──近い。湊元の顔がすぐそばにあるというのはどうにも落ち着かない。俺が女装しているから周囲の視線は誤魔化せようものの、真実といえば年頃の男女が相合傘をしているのだ。これでひなちゃんが間に入っていなかったら、色々ともつ気がしない。
理性を保つためにときおりひなちゃんと会話を挟みつつ歩いているうちに、とうとう駅の建物が近づいてきた。
入り口にせり出した屋根の下に入ると、ようやく気まずい時間も終わりだとばかりに傘を閉じ、各々適度に距離をあける。
「康太さんたちはまだ来てませんね」
「あと少しで着くって」
「了解です」
あとは彼らの到着を待つばかり。疲労感から、俺はふぅと一つ息を吐き出した。それにしても、雨は若干勢いが弱まっている気がするが、未だ止む気配がない。
「飲み物でも買ってきましょうか?」
「お金ないんじゃないの?」
「ICカードなら使えるでしょう」
「そ。じゃよろしく」
さっき傘代を払わせてしまった罪悪感から、三人分の飲み物を自腹で購入する。ひなちゃんのために適当な甘い飲み物を一つと、あとは缶コーヒーを二つ。
駅構内の自販でピピっと購入し、それを持ってさっきの場所に戻ろうとして思い直し、もう一本缶コーヒーを買い足す。これでよしと、四本の飲み物をもって今度こそ俺は歩き出した。
駅の入り口に戻ると、そこには既に、康太さんと、もう一人──ひなちゃんにやや似た雰囲気の女性がいた。
これぞ感動の再会とばかりにひなちゃんとひしと抱き合い、ついでその小さな体を引き離して険しい顔つきで真っ直ぐ目を見て、一言。
「もう、勝手にどこかに行っちゃダメでしょ。──心配したんだから」と。
似たような叱責を、自分も昔受けたなぁなどと懐かしい思いに浸っていると、その言葉が引き金になったようで、ひなちゃんが思い切り泣き出す。
「マ゛マ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ア゛ア゛ア゛ア゛!!」
再びひなちゃんを抱き寄せる母親の目にも、よく見ると一滴ほどの雫が称えられている。
まぁ、色々あるけど、血の繋がりは尊いものだなぁと、自分の家族関係をほんの少しだけ顧みながら、俺はそう思った。
彼女らはひとしきり人情劇を繰り広げたあと、俺達のほうを向いて深々とお辞儀をする。
「あの、娘をみつけてくださり、ありがとうございました。本当に、なんとお礼を言ったらよいか……」
「いえ、お礼なんていいですよ。良かったです、無事みつかって」
無償の奉仕が必ずしも正義だという訳ではないが、しかしこうして無事再会できた彼らの姿を見て安心したのも事実だ。
なにより幼女の笑顔のための思えば、この程度の労力などなんてことない。やっぱり幼女最高。そこ、犯罪者とか言わない。
「もう、お母さんを困らせちゃだめだよ。はい、どうぞ」
言いながら、先程買った飲み物を手渡す。
「すみません、こんなものまで頂いてしまって。──あれ? ひな、その傘どうしたの?」
「さっきお姉ちゃんがお店で買ったの!」
「えぇ、それじゃあちゃんと返さないと」
「いや、いいですよ。お二人で使ってください」
「すみません、ありがとうございます。ほら、ひなもお姉ちゃんたちにありがとうって言いなさい」
「ありがとう、綺麗なお姉ちゃんと口が悪いお姉ちゃん!」
くわぁぁーーっ、眩しい、幼女の笑顔が眩しい! てか湊元、笑顔で俺の足を踏むのはやめれ。口が悪いのはお前のせいだろ。
「本当に、ありがとうございました」
「いえいえ。それじゃ、どうぞお気をつけて」
「ええ、そちらもお気をつけて」
「またねー、お姉ちゃん!」
手を振りながら去っていくひなちゃんを見届け、俺は思い出したようにさっき買ったコーヒーを隣の湊元に渡す。
「はい」
「ありがと。……てかあんた、意外に面倒見いいのね。普段は全然喋らない癖に、幼女相手には人見知りしないんだ」
「いや待て、それは誤解だ。──この格好のときだけは、普段の自分と別人として振る舞えるから、案外普通に喋れるんだ」
「別人って。素が出てるよ」
「え?──あ」
やっべ。うっかりしてた。今の聞かれてたかな、と康太さんの方を見る。
康太さんはこちらをみているが、幸い聞こえなかったのだろうか、あまり気にした様子はない。
「あの、これ──どうぞ」
俺はさっき買ったコーヒーを康太さんに渡す。
「ありがとうございます。──それとこれ、さっきのコーヒー代。明らかに多かったので」
康太さんが、さっき俺が置いていったなけなしの千円札を取り出す。今気づいたけど今日コーヒーばっか飲んでんな。
「いや、いいですよ。結局昼食代も払ってもらいましたし、それくらい」
「いやいや」
「ヘンな意地の張り合いしてるね、あんたら。ふたりともお金ないのに」
うぐっ。割り込んできた湊元に二人して図星をつかれる。
「じ、じゃあ、受け取っておきます。すいません、色々と」
結局折れたのは俺の方だった。
なんとなく気まずくなって、しばらく無言の時間が流れる。
「あの」
静寂を割ったのは、康太さんだった。
「実は僕、蓮実さんに、言っておきたいことがあるんです」
「は、はぁ」
突如として厳粛な面持ちに変わった康太さんが切り出す。
「あのさ」
そこに、何かを察した湊元が割り込んできた。
「私もしかして邪魔? 帰った方がいいかな」
「いや、お前にも聞いて欲しい。ここにいてくれ」
「私にも??」
告白──ではないよな、流石に。一体何を言うのだろうか。
俺と湊元の注目をたっぷりと引き付けた康太さんが、ゆっくりと口を開いた。
「実は僕──ゲイなんです」
「は?」
「え? 気づかれてないと思ってたの?」
「え?」
今なんつった? え? ゲイ?
ゲイって確かあのなんだっけ、同性愛者のことだよな。え、マジで?
「え、周、お前──知ってたのか」
「うん。十何年も一緒に暮らしてたら、流石に」
康太さんは頭を抱えるが、やがて気を取り直し、ゆっくりと自分のことを語り始めた。
「僕は今まで自分のことを、ずっと普通じゃないと思ってました。だから誰にも打ち明けなかった。形だけでも実際に女性と恋愛すれば、そのうち女性を好きになれるんじゃないかと思って、出会い系に手を出したりもしました。結果は、ご存知の通りですけど──まぁ、本心を偽ったまま他人と交際しようとした罰ですかね」
康太さんの語る内容は、俺の想像を超えて切実なものであった。加えて康太さんの深刻な表情は、決してそれが諧謔の類いではないと物語る。
だからその一見突飛な事実を、しかし事実であると思い知らされた俺は、その話に無言で聞き入っていた。
「だから、今日のデートも本当は乗り気じゃなかったんです。どうせ普通じゃない僕は、どんなに素晴らしい女性が来ても決して好意を抱くことはないのだろうと。その上、自分を偽ったまま、不誠実な態度で相手に向き合うことになると」
そうじゃないと、叫びたかった。自分を偽っていたのは自分も同じだと。しかしそうしてしまえば余計に話が拗れるだろうという冷静な分析の前に、不意に湧いた衝動的な罪悪感はすぐに鳴りをひそめる。結局卑怯な俺は、黙って話を聞き続けることを選択した。
「でも、それは半分違った。僕は今日ずっと、あなたに──蓮実ミカさんに、惹かれていたんです」
思いがけないその言葉に、俺の胸は限界近くまで締め付けられる。もう、耐えきれない。康太さんを傷つけてしまうことになろうが、それは全て俺の責任だ。全て言ってしまおう。
そう思って口を開こうとして──しかしその試みは、ついで康太さんが発した言葉によって打ち砕かれた。
「ミカさん。あなた、本当は男なんです……よね?」
絶句する。
気づかれていた。いつから? という問も、何故、もいう困惑も、全て康太さんの真摯な眼差しの前に吸い込まれる。
やがて、はい、そうです、と。
やっとの思いで、俺はその言葉を吐き出した。
「なぜ、分かったんですか」
「わかったって言うか、その──透けてますよ」
「え?」
自分の身体を見下ろして、俺はああと得心がいった。
遠目にはわからないだろうが、濡れたブラウスが肌に張り付き、よく見ると見える。
俺ののっぺりした胴体が。
ちなみに、ブラはつけていない。もちろんノーブラの女性だっているし、胸の豊かでない女性だって大勢いる訳だが、しかし体の線で男か女かは比較的容易に判断できてしまう。
「待って」
それまで静観していた湊元が口を開く。
「蓮実くんは悪くない。仕組んだのは全部、私……だから。だから彼女を、いや、彼を、責めないで」
罪悪感を抱いていたのは俺だけではなかった。いやむしろ、下手すれば俺以上に、この少女は鎮痛そうな面持ちであった。
「いや……責めたい訳じゃないんだ。むしろ、やっぱり僕はどうあがいても男しか愛せないんだと、むしろ腑に落ちた。ただ、聞かせて欲しい。蓮実さんは、なんで女装していたのかを。別に、僕のためにわざわざこんな大それた女装の準備をした訳ではないんでしょう?」
そこまで気付いていたのかと、俺は驚き目を見開いた。
ゆっくりと呼吸を整え、俺は康太さんの真摯な思いに応えるべく、言葉を紡ぐ。
「経緯を説明すると、長くなるんですが──つまるところ私は、いや、俺は──俺じゃない違う誰かになりたかったんだと思います。普段の冴えない俺と違う、理想の姿っていうんですかね。それがたまたま綺麗な女性の姿で、幸い俺には肉体的にその素質があった。あ、でも、変わりたいのは見た目だけで、心まで女性になりたいとは、あまり思いませんが」
もっと簡単に言ってしまえば、と。俺はさらに続ける。
「要は、ゲームのアバターを自分の好きな姿にするように、現実の肉体を変更したかった、みたいな感じです。これでいいですか?」
伝わっただろうか。不安に思うと同時に、本心を吐き出すというのは、こんなにも恥ずかしく、だが同時に心地よいものなのか、と思う。
「なるほど。よくわかりました。でも、その、女装を始めるとき、怖くなかったですか? ほら、家族や友人の目とか」
ぴく、と湊元が反応する。それと横目にみつつ、俺はあぁと理解した。康太さんは俺の事を聞いているようで、その実、自分はこれからどうすればいいのか、その答えを俺を通して探ろうとしているのだと。
でなければちゃんと答えねばなるまい。たとえ求められるものと違っても、俺自身が考えて出した、真摯な答えを。
「家族にはまぁ、特に何か言ったわけではないんですけど、気遣って何も聞かないでくれています。友達は──恥ずかしながらいないので。家族以外で知ってるのは湊元だけです。でも」
怖いですよ、と。俺はそう言った。
「今のところ家でそれ関して触れることはタブーみたいになってます。それ自体は有難いんですけど、たまにどう思われているのか気にはなります。あと、学校の知り合いなんかにも、隠してはいますけど、いずれバレるのではないかという不安は常にあります」
「そうですか」
「はい。──でも」
そこで一旦区切って、俺はさらに続けた。
「同時に楽しくもあります。化粧をし、うんとお洒落をして街を歩くのは。月並みですけど、欲求に素直であることに越したことはないと思いますよ」
そうですか。康太さんはそう言って瞑目し、しばし黙考する。やがて、うん、と、考えがまとまったようで、例の爽やかな笑顔と共に喋り出した。
「僕、やっぱりゲイだって隠すのやめます。例え普通じゃなくとも、偏見を持たれても、自分を押さえつけたまま生きるより、多分その方がいいですよね」
「はい。そうかもしれません」
価値観は人それぞれだ。同性愛だというだけで避けられたりとか、就職で不利になるとかいう話も聞いたことがある。それでも同性愛者だと公言することが、必ずしも幸せに繋がるなんて、口が裂けても言えない。
だが、同時にこれは、きっとそういうことを全て飲み込んだ上で出した結論なのだろう。であればそれを否定する権利は誰にもない。
「あの、兄貴」
ふいに湊元が康太さんに対して頭を下げる。
「騙してごめん。別に悪気があった訳じゃないの。ただ、その、兄貴を見てていたたまれなかったっていうか」
「いや、いいんだ。ありがとう、周。……元気づけようとしてくれたんだろ、俺の事」
「ちがっ」
そう。この湊元周がこのデートを企画した本当の目的。
それは恐らく、落ち込んだ康太さんを元気づけることだ。
ゲイ云々の話はさすがに俺も予想外だったが、しかしそれならばデート相手に俺を選んだ理由もなんとなくわかる。
「いや……まぁ、そんなところ」
観念したように、湊元が康太さんの言葉を肯定する。
「兄貴が落ち込んでた理由、薄々だけどわかってた。兄貴の悩みは解決してあげられないけど、でも蓮実くんなら、もしかしたら兄貴をときめかせられるかもって思ったから。そうしたら兄貴も、少しは元気になるんじゃないかって」
「ああ、ありがとう」
康太さんは少しも茶化すことなく、素直に礼を述べる。すると湊元はみるみる赤面し、顔を逸らした。
「や、やっぱり、兄貴のためなんかじゃないから。ただ……ただ、いつまでも辛気臭い顔で居られると迷惑だし」
おいバカやめろ、それじゃ逆の意味になるぞ。無意識にツンデレの常套句を吐きやがって。……ていうかこいつ、普通にツンデレなのでは?
ともかく、紆余曲折を経て、こうして俺達三人の本心は白日のもととなった。
「あっそういえば」
雰囲気を変えるように、康太さんが言う。
「蓮実さんって、本名はなんて言うんですか?」
「ええっと、千里です。蓮実千里」
「へぇ、本名も割と女性っぽいんですね。じゃあ、ええと、千里くん、その、ちなみに、なんですけど」
ごほん、と咳をひとつして、康太さんは言い放った。
「恋愛対象は男女どちらですか?」
……え? もしかして俺口説かれてんの?
だとしたらここは、傷つけないよう丁重に断らねば。
「えっと、お、おおお女ですよ、はい」
「はは、別にそんなに怖い顔しなくても、ゲイじゃない人に無理に言いよったりしませんよ」
それはつまり、ゲイだったら言いよるのか?
「兄貴」
「うん?」
「開き直りすぎ」
「ぐはっ」
康太さんがわざとおどけてみせる。それをみた湊元がふふっと笑い、つられて俺と康太さんも笑った。
「いやー、しかし二度も振られると辛いですね 」
まるで冗談のように康太さんはそう言うが、爽やかな笑みは妙に空々しく、その言葉きっと本当なのだと俺は思った。だが、それを指摘するのも、気遣ってみせるのも無粋な気がしたので、努めて気づかない振りをする。
その後俺と康太さんは、改めて嘘偽りのない、本当の自己紹介を交わし、ついでに連絡先を交換した後、それぞれの帰路についた。
年も違うし、間違っても俺が彼に恋愛感情を抱くことはないのだろうが、それでも知り合いとしてなら、彼との繋がりを継続させることに問題はない。
このとき何故だか俺は、自分の信条も忘れてそう思ってしまった。
まぁ一人くらい例外がいてもいいだろう、なんて軽く考えていたこともある。しかしこの後これが前触れであるかのように俺の周りの人間模様は激変し、誰とも関わらないという俺のスタンスは大いに揺さぶられることとなるのだが、この時の俺はまだ知る由もない。
ともあれ、肉食系JKに助けられたついでに女装かバレたことに端を発する、俺の奇妙な一日は、こうして無事幕を閉じたのだった。
とりあえずここまでで一旦更新終了となります。
手元にあるストックを出し切ってしまったため次の更新は未定ですが、続きの構想は漠然とあり、形に出来るかどうかの可能性は五分五分といったところです。
というか忙しさの中気を紛らわせるために過去に書いたやつを気まぐれで投稿してみただけなので、少なくとも忙しい時期が終わるまでは次の更新はないと思われます。
ただキャラに思い入れがありこのまま終わらせるのは惜しいなぁとも思っているも確かです。まぁそんな感じなんでもし続きが読みたい方がいましたらそんなに期待せずに待っていてください。
まだたった4万文字程度のしょうもない作品ですが、ここまで読んでくださった方、ありがとうございました。