(9)新規事業
時は冬。
ようやく船着き場や倉庫などの修理が終わった。
船場も再び荷下ろしや荷積みの仕事で賑やかになった。
調節池の造設工事は年末までまだ少し続く。
このトニー川は雪が降っても固く凍りつくことはないし、そもそもあまり積もらない。
船町教会の災害救護所は閉鎖することになった。
もっともここは、また何かあればすぐに再開することになっている。
魔術師ジャックは、救護所での治療活動を終え、船町東一帯の魔術による復旧作業もキリの良いところまで終えた。
頑張り過ぎた反動で魔力切れになり三日三晩眠り続けたが、目を覚ましても動くのがおっくうで、自分の部屋でゴロゴロしていた。
「ジャック、釣りに行こう!」
アルバート王子が誘いに来たが、ジャックは断った。
「……動きたくないんで勘弁してください」
「じゃあ森に行こう。庵を建てたいって言ってたろ」
「俺、疲れてるんですよ…… そういうのも後で……」
コンコン
言い合っているとノックの音がした。
「どーぞー」
ベッドサイドの椅子に腰を下ろしたアルバート王子が、勝手に返事した。
「殿下、ジャックを休ませてあげてくださいよ」
そう言いながら、オリヴァーが部屋に入って来た。
朝食を乗せた角盆を、ジャックに見せる。
「あー、悪いな」
ジャックは寝台から降りて、テーブル前に置かれた長椅子に移動した。
盆から濾過水の入ったカップを取って一気に飲み干し、
「はー」
と息を吐いた。
「魔力使い過ぎたから、まだダルいわー」
「お疲れ様」
オリヴァーがピッチャーから水をもう一杯注いだ。
「でもさあ」
大麦の入ったパンを齧りながら、ジャックが言った。
「やっぱ一人じゃ村の全復旧ってわけにはいかないわ。
魔力が足らん」
「そうみたいだねえ」
オリヴァーも同意する。
「僕なんてちょっとした土魔術しか使えないから、堆肥の切り返しも人力でやるしかない。
どうしたって人の手が必要なんだ」
「俺は光魔術と火魔術」と言ったアルバート王子に、ジャックが言った。
「それなんだけどさ、殿下。
光魔術、もうちょい訓練しないか?」
「えー、学園卒業したのに?」
「殿下は魔力量は多いし、使いこなせるようになったら最強だよ?」
「うーん、俺も忙しいしなあ」
「釣りで?」
「うん。後、領地を探検したり、畑を荒らす兎退治とかもするし」
「……」
ジャックが横目でオリヴァーを見やる。
「うん」
オリヴァーはコクリと頷いた。
「殿下さあ……」
ガックリと肩を落としたジャックの腕を、オリヴァーがポンポンと叩いた。
*
昼になると、子爵代官が領主館を訪れてエールの小樽を差し出した。
ジェームズが対応していたが、すぐに若者三人も呼び集められた。
代官たちとの会議に使っている部屋で、子爵代官が気まずそうに切り出す。
「実は手違いがございまして、領主様から購入してあったエール用のグルートを使い果たしてしまい、教会からも購入してあった残りのホップだけで作ってみたのです」
グルートとは、エール(麦酒)の香りづけと腐敗防止のために使われるハーブ類のことだ。
この国ではグルートの製造・販売の権利は領主と教会がそれぞれ独占していた。
家庭で作るエールとは別に、商品として流通させるエールには、領主か教会から買ったグルートで作ったものだけが販売を許可されている。
「ホップだけで、ですか」
「災害対応に追われて、気付いたらこんなことに……」
「子爵は忙しすぎるのです」
「それは皆さまも同じでしょう?」
「ええまあ、それは」
「それで味はどうなんだ?」
アルバート王子が口を挟んだ。
「それがですね!」
子爵代官は顔を上げたが、全く落ち込んだ様子でない。
顔には疲労を浮かべてはいるが、その目は明るく輝いていた。
「非常に美味に出来ました!! ちょっと他にないですよこの美味さは!!」
「「「「!?」」」」
ジェームズたちはカップを手に取った。
アルバート王子から順に、子爵代官によって小樽のエールが少量ずつ注がれる。
なおこの世界では、エールはアルコール度数も低く、子供が口にしても咎められることはない社会だ。
だから、成人したばかりのアルバートたちだけでなく、まだ未成年のオリヴァーも日常的に飲んでいる。
現代日本とは物も価値観も、全く違うのだ。
ジェームズと三人は試飲したエールの美味さに驚いた。
「これはまた……」
「スカッと爽やか!」
ジェームズに続き、アルバート王子が驚いた声を上げた。
(ちょっとワード的にどうなのかと思うが読者諸氏にはスルーして欲しい)
「おかわり!」
アルバート王子は空になったカップを子爵代官に突き出した。
「ホップだけだとこんな感じなのですね」
「本当に爽やかですね」
「美味くてびっくり。俺にもおかわり下さい」
みんな口々に言った。
水と大麦とホップだけで作られた麦酒は、今で言うラガー・ビールの原型に近い。
だがこの世界ではまだ発酵技術などが確立しておらず、ラガー・ビールと同じとは言えない。
子爵代官が言った。
「これを『天使エール』として売り出したく思います。
従来通り領主様のグルートで作ったものを『親分エール』とし、差別化しようと思います」
領主館には元からハーブ園がある。
グルートはそこで生息するヤチヤナギ、ペパーミント、ニガヨモギ、セイヨウノコギリソウ、タイム、セージ、などからなり、その配合は領主アルバート王子と、その右腕であるジェームズと第一家令の三人だけが知っている。
前にいた領主に美食家がいたのかはわからないが、このグルートで作られたエールは他領から来た者たちからも好評だ。
だから完全にホップのみのエールだけでなく、半々に流通させようというのが、子爵代官の提案だ。
「従来通り領主様からグルートを購入し、同時に教会からホップだけの使用権と栽培権を買い取りたく存じます。
つきましては、その……」
「領主からの援助をしろってコトーネ?」
「……」
腹話術風の怪しいイントネーションで続けたアルバート王子に、ジェームズはつい、天を仰いだ。
だが意を決して提案することにした。
まずは質問する。
「『天使エール』用の醸造所は、今の、船町西にあるものだけで間に合うのですか?」
「ええ、あそこを大きくして『天使エール』と『親分エール』を両方造ろうかと」
「工房はそのまま『親分エール』の醸造所としてください」
ジェームズは挑むような目で続けた。
「船町東に『天使エール』の醸造所を新設していただきたい」
「ああ、そうしてリード村の者たちを雇用しろと」
「そうです。そして――
リード村及び船町東を、リバー村の船町西とは独立した村とし、新たに代官を立てたく思います」
この提案自体は、まだ復旧作業に大わらわだった頃からアルバート王子やオリヴァーを交えて話し合っていることだった。
子爵代官が過労で倒れたらどうしようもなくなるからだ。
「えっ!?」
子爵代官の眉間に深い皺が寄る。
だがジェームズは微笑んだ。
「全く知らぬ者でなく、今現在、リード村を担当している御子息、つまり貴方の次男を代官にするということです」
「次男を、ですか」
「御長男は貴方の跡を継いで子爵位とリバー村及び船町西の代官になるご予定でしょう?」
「え、ええ、そうしたく思っておりますが」
子爵代官の汗を滲ませた額から目の下から首筋までを一瞥して、ジェームズは言った。
「相変わらずお疲れの御様子。
災害からだいぶ日が経っているのに、目の下の隈も取れませんね」
「え……」
「貴方は体力があるし発想も柔軟で機転が効く方です。
だからこそ、もっとお体を大事にして頂きたく思います」
「ね?」と言うようにアルバート王子に顔を向けると、王子はぶんぶんと頭を上下させた。
「息子に本格的に手伝って貰って、楽しなよってコト」
「だよな?」と、王子から確認の視線を受けたジェームズは頷いた。
「そういうことです」
代官を酷使して潰さないために、行政体制そのものを組み替える提案だ。
ジェームズは王子らと話し合った後に伯爵代官とも相談しており、次の本会合で正式に提案するための打診だった。
「――」
子爵代官はゴクリと息を飲んだ。
ジェームズは穏やかな調子で言う。
「子爵家全体に関わることですし、領主側としてはあくまでも『お願い』や『提案』なわけですが……
船町東西はこの領地を支える両翼です。
領地の重要な部分を担っていらっしゃる子爵だからこそ、ですよ」
子爵代官は悪い顔色のまま帰って行った。
天使エールの空樽は子爵代官が持ち帰った。
オリヴァーがジェームズに耳打ちする。
「次男は戸惑い、長男は賛同、ってところかと」
東西の船町に出入りすることも多い彼の見解だ。
「兄弟は仲が良くて、代官としての父の負担が大き過ぎることはどちらもよくわかっています」
「『健康状態を心配している』ということをもっと強調すれば良かったかな?」
「いや、あのくらいで良いかと。
子爵は何でも自分でバリバリやる方だし、今まではそれができていましたから、自分の力に誇りもおありの様子です。
だから急に心配され過ぎても逆効果だと思います」
「実際、彼に倒れられたらと思うと背筋が寒くなるけどね」
「ですよね」
「今度の会合では彼の寄親の伯爵代官からも言ってもらおう」
「元締めからも言ってもらいましょうよ」
「現場で顔を合わせる者同士、だしね」
二人から少し離れたところにいるアルバート王子とジャックには、詳しい内容までは聞こえない。
「領地運営ッテ大変ダヨーネ」
「その言い方ムカつく」
セリーナが学園で連れ歩いていた腹話術人形(の振りをした動物キャラ)を真似た妙な片言で言った王子を、ジャックは軽く小突いた。
カップに残った天使エールを大事そうに飲みながら、ジャックが誰ともなしに尋ねた。
「でもさ、『天使エール』は教会のホップだけで作るってことは、領主に入るグルート代がその分減るってことだろ?
財政的に不味いのでは?」
「それがですね」
ジェームズが穏やかに応える。
「『親分エール』の増産も決まってますから、収益はむしろ増えるようです」
ジャックは胸を撫で下ろした。
「おおー! よかったですねー!」
「実は僕、ここのグルートで醸造したものの方が好みだから、僕も嬉しいです」
「オリヴァーは『親分』贔屓かあ」
「ちょ、言い方」
オリヴァーとアルバート王子がコントもどきをしていたが、ジェームズはスルーした。
*
四人はそれぞれの部屋へ戻ろうとしたが、アルバート王子がジャックとオリヴァーを引き留めた。
「なあ、俺、森に行きたいんだけど」
「では護衛兵を」
「そうじゃなくって、皆で狩りをしようってコト」
「すいません、僕この後、ブルック村に行くことになっています」
真っ先にオリヴァーが断った。
「家畜用の野菜が豊作だから、今年は種馬や種豚の数を増やせそうだというので、様子を視に行くんですよ」
ジャックも耳に痛いことを言う。
「そもそも領主の狩猟会なら、何日も前から計画して準備しないと駄目なんじゃないか?」
「そんな大袈裟な奴じゃないんだ!
ちょっとおやつを確保したいなって」
「では猟師にそう伝えます」
にべもなく言うオリヴァーに、アルバート王子は大袈裟に呆れる。
「ええ~~~? 自分で狩るから楽しいのにい~?」
「殿下」
アルバートに一歩近づいてオリヴァーが真顔になる。
「それ、ちゃんとジェームズさんに相談しました?」
「してない」
アルバート王子は目を逸らしたが、オリヴァーはくるりと移動して真正面から言うのだ。
「ジェームズさんに相談してください」
美少年の大きな目は少しも笑っていなかった。
「はい……」
弱々しくも良いお返事をするしかない王子だった。
アルバート王子はジェームズを追いかけた。
「森で狩りをしたいと」
「駄目…… だよなあ…… 知ってた……」
しょんぼりと踵を返そうとしたアルバート王子に、ジェームズは彼の予想とは正反対の言葉を告げた。
「護衛兵とジャック様も一緒ならいいですよ」
「マジでか!!」
「どこでそういう言葉を覚えたのか存じませんが、無茶を言い過ぎてジャック様を困らせたりしなければ、ですよ」
「え? 俺が子守り、じゃなくって、お守り役?」
これはジャックの声だ。
ジェームズはジャックの目を見て言う。
「殿下がお怪我をなさらないように、前もって防御魔術をかけてさしあげてくださいね。
でも殿下があまりに酷いヤンチャをなさったら、すぐに拘束魔法をかけて領主館まで転移させてください」
「うえー」
「ひゃっほう!」
狩りに行ける喜びの余り軽やかにジャンプするアルバート王子の横で、ジャックはまだ驚愕の表情をしている。
「私はジャック様を信頼しておりますので」
「し、信頼しすぎじゃないっすかね?」
「……じゃ、殿下のお守り、お任せしましたよ」
「何その意味深な沈黙部分は!?」
ジャックの悲痛な問いには応えず、ジェームズは執務室に入って行った。
(ごめん、ジャック様!)
ジェームズは心の中でジャックに手を合わせた。
(でもほら、立っている者は親でも使えって言いますから)
*
と、いうわけで、アルバート王子とジャックと護衛兵は森へとやって来た。
領主館を出る時にジェームズが持たせてくれた書きつけを森番へと手渡すと、すぐに案内してくれた。
まだ雪が降る前だったので、森番は、放し飼いにしている豚がいる場所を避け、猟師や薪採りの領民が来ない穴場まで案内してくれた。
ブナやナラやカエデの木々は葉を落とし、見通しは良くなっている。
「この辺りはハァ、狐だの猪だのが出ますべが、急に大声出したりすると、びっくりしてこっちに突っ込んで来ることもありますで、ハァ、それもお気をつけくだせ」
「うむ!」
顔をテッカテカに輝かせたアルバート王子が頷いた。
王子の背に負った弓を見て、ジャックがふと尋ねる。
「鷹でも使えば?」
口調が学生時代に戻っていたことには気付いていないし、アルバート王子も全く気にしていない。
「鷹飼ってない」
「飼いなよ」
「お金溜まったら買う」
「あー、ごめん……」
相変わらず予算カツカツであることを、ジャックは思い出した。
だが、弓矢など狩りの道具だって使えば金はかかる、と思い、ジャックは提案した。
「王子も魔術の基本は習ってるんだし、ファイアーボールでも使えば?」
「山火事とか恐いし駄目絶対」
「ウォーターボールは?」
「この領地って全体的に水はけが悪いからさ、びしょびしょになるのヤだからジャックも森では使わないでくれよ」
ジャックは「ふむふむ」と耳を傾けながら、もう一つ提案した。
「光魔術は? 殿下も得意だったでしょ?」
聖女候補だったセリーナほど強力ではないが、王族はある程度光魔術を使える。
「え?あんなのどうやって使うんだ?」
「光を細長く遠くまで届くようにして」
「あっ! 猪キター!」
「おーい話を聞け、って、こっちに向かって来たー!」
「よおーし!」
アルバート王子は右手を伸ばし、人差し指を猪に向けた。
「王子様ビーム!!」
無駄に良い声と共に王子の指先から放たれた光の筋が、見事に猪の眉間を撃ち抜き、猪はその場で倒れた。
「猪ゲットだぜ!」
気を良くしたアルバート王子は『王子様ビーム』を連発し、さらに兎を二羽仕留めた。
「お見事です」
お世辞抜きで護衛兵と森番は賞賛した。
ジャックはその場にしゃがみ込んだ。
ついつい小声で呟いてしまう。
「そっか…… 相変わらず馬鹿なんだね……」
だがアルバート王子は馬鹿であっても悪ではない。
「特別手当だ!」と言って兎を一羽ずつ護衛兵と森番に与えた。
*
わいわいとやっている内に日が暮れる。
番小屋まで着いたころには夕焼けも終わりかけていた。
気持ち以外は疲れていなかったジャックは転移術を展開し、森番以外は猪ごと領主館へと戻した。
アルバート王子は、今夜は猪の血抜きだけをして解体は明日にすることにした。
(続く)




