006
「ただいまー」
戸を開くと、ほっとしたような顔の二階と四宮さんに出迎えられる。二人とも心配性なこった。
「お二人さん、進捗は?」
「ない。そっちは何か見つけたか」
「言われた通り、居間には寄らずに玄関とトイレだけ通ってきた。まーったく異常なし」
「そうか……いや、おい。藤田」
「ん?」
「それ、何を持ってる?」
二階が指差したのは、俺の後ろポッケだった。何って、えーっと、ああ、蛇の抜け殻だ。綺麗に一匹分の白い皮が、そこには入っていた。
「蛇だけど」
「蛇!?」
「蛇……! ですか?」
二階と四宮さんが、ほぼ同時に立ちあがる。えっ、蛇だけど。にょろーん、と俺は蛇の脱皮を二人に掲げて見せてやる。
「待ってください! なぜ蛇が?」
四宮さんが狼狽して眉を顰める。
いや、都会というわけでもないし、蛇ぐらい全然居そうな環境に見えるんだが……。
ちらりと二階を見ると、鬼の形相をしている。
「それ、どこで拾った。というか、何も触るなと言ったろう!」
「いや、違う違うって。これ、家の外に落ちてたんだよ。しかも中身もいないし……いわばその、ゴミ、かなと思って……」
はーあ、と聞き慣れた溜息が聞こえてくる。どうやら蛇の抜け殻も触っちゃいけないものリストに掲載されていたらしい。言われてみれば、蛇の抜け殻って、霊能力者や魔女とかが使いそうなものに思えなくもない。
「あのな、蛇は霊力の高い生き物でありながら、毒を持っている。ここでいう『毒』というのは何も物理的な毒に限らない。故に通常は四宮家の結界の中には入れない――入れるとしたら、招かれたか、あるいは囚われたか」
「えーっと、ってことは?」
「結界に異常はない。ということは、この蛇は意図的に入れられたんだ――で、問題はどこで飼っていたか」
「まあ、あちらの家か、こちらの離れか、というのが妥当だろうね」
え、そうなの? と俺は一人きょとんとする。
蛇なんて、庭の草の中でも飼えそうなもんだが。
「抜け殻があるということは本体がいるということだが、それが見当たらないのもおかしい。この離れの中……にはいないな、とすれば」
「いや、一軒家の方こそムリだって。俺、今日半日かけて松原たちと五人で片付けしてたんだから、さすがに蛇いりゃ分かるだろ」
全ての部屋を、床が見えるまで片付けたのだ。
五人の人間の目を逃れて蛇が半日隠れ続けるのは、かなり難しいと思われた。
「……いや。さっき、蛇がいそうな『沼』を誰かさんが見つけてくれたばかりじゃないか?」
「え? あ、そゆこと?」
まさか蛇って、物理空間じゃなくても暮らせるの? てゆーか、もはや俺が思っている『蛇』ではないのかもしれない。
四宮さんが考え込むように首を傾げた。
「叔父は、蛇とゴミと一緒に暮らしていた、ということでしょうか……?」
「――いや、もしかしたら、それが勘違いだったのかもしれないな」
勘違い、とはなんだろう。沈黙し続ける俺たちに、二階はゆっくり解説しはじめた。
「多分、樹の叔父さん本人は二階建てのほうじゃなくて、こちらの離れのほうに住んでいたんじゃないか。藤田も、生ゴミがやけに少なかったし、水回りも綺麗だったと言っていただろう」
「ああ、たしかに……」
一軒家には、書類の山やがらくたがとにかく多かった。
だが――セルフネグレクトしている人にありがちな、雑多な食事の跡は、この現場にはほとんどなかったのだ。
「あれほどまでに空間を淀ませれば、蛇一匹がすべりこめるゆらぎなんてすぐ作れる。むしろ、蛇のために沼を作る儀式だった、と思えば色々合点がいく気もしてきたんだ。樹も、故人はとてもゴミ屋敷なんかに住めるような人じゃなかったと言っていただろう?」
「ん? じゃ、ひょっとしてここに住んでたおじさんは、意図的に蛇のためにゴミ屋敷を作ったってこと?」
「そうだろう。一度沼さえ作れれば、本当はゴミの方は片付けてもいいんだが、それもそれでご老体にはきつかっただろう。依頼しようにも、俺たちのように霊能力がある人間が一人紛れていたら都合が悪い」
ふーむ。考えうるパターンのうちの一つはこうだ。
怪異の蛇を保護した四宮さんの叔父さんは、それを飼おうと思い、入れる泥沼を作ろうとした。家を荒れに荒らせば、空間が淀み、沼ができることをおじさんは知っていた。
「――ということで、どうだ?」
二階は四宮さんを見た。四宮さんは顎に手を当ててしばらく深く考え込んでいたものの、最終的には頷いた。
「うん、正しいと思う。怪異の蛇にそれほど入れ込んだ理由はよく分からないけれど、脱皮がある以上、少なくとも蛇がその沼に住んでいる可能性はとても高い」
どうやら結論が固まったようだ。一応、俺は二人に聞いておくことにした。
「じゃあ、えっと、対処法としては?」
「――何もしなくていい。それが答えだ。住処を脅かさなければ、蛇は攻撃してこない。もちろん、依頼人がなんとかしろと言うなら考えてはみるが」
四宮さんは静かに首を振った。依頼人が納得していて、二階もこれでいいというなら、俺が口を出す理由もない。
そうだ、と四宮さんは突然明るい声を出す。心なしか、瞳も輝いているようだった。
「もし蛇に会えれば――おじさんのことも聞けるかもしれないな。それほど入れ込んだ蛇なら、多少は口が利けるかもしれないしね」
「どうかな。会話ができるという話はあまり聞かないが」
「夢がないなあ」
四宮さんが笑う。そして、最後にぽつりとこう言った。
「でも、叔父さんの日々の生活が、僕が信じた通りでよかった。信じたものが信じたままでいてくれるというのは、いいことだね」
*
結局怪異の存在が(推論とはいえ)明らかになったので、報告書が必要になった。もちろんそれを書くのは二階の役目なので、サブ担当であるところの俺はカフェオレ片手にのんびり作業終了を待っている。
二階はパソコンが必要だとかで一度車に戻ってしまったので、再び俺の暇つぶしに付き合ってくれているのはもちろん、四宮さんだった。蛇とは何かとか、蛇の生態とかを色々ご教授いただいたのだが、結局『蛇は結界を超えられない』以上に俺の理解が進むことはなかった。
「ほんっと、皆さんって色々ご存じっすね……」
「いやはや、こういう知識なんて、普通に暮らしていたら全く使いどころのないものですよ。心霊現象は、起きるところには起きますが、起きない場所ではとことん起きないものですから」
そんなものだろうか。なんか二階と仕事してると、どこにでも霊っているんだなー、って気持ちになってくるんだが。
「それにしても、皆さんに頼んで本当によかった。僕が今どのぐらいほっとしているか、多分藤田さんにはお分かりにならないと思います」
「ほっとしている、ですか?」
「ええ。進が普通に一般社会で働いてやっていけてるなんて、ちょっとした奇跡ですよ。誰に聞かせても驚くと思うなあ」
「奇跡、っす、かね……?」
俺から見れば、二階は事務もパソコンもついでに心霊退治までなんでも出来るスーパーマンみたいに見えるが、四宮さんにとってはそうではない、ということなんだろう。あまつさえ、四宮さんは小学校の先生みたいな微笑みのまま、こんなことまで言い始めた。
「進って、素直で可愛いでしょう。僕は進に嘘というものを吐かれたことが、多分一度もありません。こんなに長い付き合いなのに」
素直で可愛い。ほんとに今してるのって二階の話っすか? と聞きたくなったがしかし、車から戻ってくる二階の姿が見えたので俺は口を閉じた。
「藤田、事務所に報告は済んだ。これでようやく終了だ――長引かせて悪かったな、樹」
「いや、こちらこそ。まさかあんな呪術があったなんて思わなかったからね。僕も家の方に報告が必要だ」
「ああ――じゃあ、また」
「うん。また」
久々の再会だったと言った割には、二人はあっさり別れたように見えた。まあしかし、意外と人と人との別れってこういうもんだよな、という気もする。
*
車に乗り込み、助手席に倒れ込む。あー、疲れた。
「いやー、今日は敬語多くて疲れたわ。ところでさあ、お前の知り合いって、みんな霊能力者なの?」
「そんなわけないだろう。まあでも、子どもの頃の知り合いにそういう奴が多いのは事実だ」
ふうん。やっぱり、霊能力者の村とかあんのかな。と気になりはしたものの、直接聞こうという気にまではなれなかった。代わりに、四宮さんの感想を勝手に伝えておくことにする。
「四宮さん、お前がやっていけてるようでほっとしてる、って言ってたぞ」
「ああ……まあ、随分心配させただろうからな」
「へえ、意外とヤンチャだったとか?」
「そうでもないとは思うんだが。なんというか、色々と古い家なんだよ。家を出てこんなところで半端に能力を使っている俺なんてのは、無法者もいいところだ」
ふうん、とそれだけ言って、それ以上のことは聞かなかった。
いつも通りといえばそれまでだが、いつも通りのままでいいような気がしたのだ。
「四宮さん、いい人だったな」
「まあ、そう見えるだろうな」
「なにそれ。違うってこと?」
「いや、なんていうんだろうな。もちろん気の置けない関係ではあるし、当然敵でもないんだが……親戚みたいなものだよ。ちょっと口うるさいんだ」
ぶっ、と笑う。二階が顔を顰めて俺を見た。
そりゃあ、この二階のことを本気で「素直で可愛い」と思えているんなら、口うるさくもなれるだろう。二階に素直なところがないとは言わないが、少なくとも俺はこいつに対して『素直で可愛い』の形容を使える日が来るとは思えない。
「口うるさい……ねぇ」
「樹の言うことは、たぶん大体正しいんだ。でも口うるさいから素直にそうだとは言えない。そういうことってあるだろう?」
「まあ、あるな。むしろ、そういう感情をお前が理解できるってことのほうがちょっと不思議かも」
「どういう意味だ?」
「いやべつに。そういえば小さいころ、四宮さんのこといつもおんぶしたって聞いたけど?」
「俺が倒れている間に、そんな話まで聞いたのか?」
苦笑いしている二階の横顔には、どこか何かを懐かしむような笑みが浮かんでいた。
四宮さんが言うことは大体正しい――とすれば。
四宮さんが俺に言ったことを、改めて思い出す。
まあたしかに、本当かもな、と思った。
二年前初めて組んだ時と違って、たしかに多少は二階も俺のことを頼りにしてくれているだろう、と。
〈了〉




