003
片付けが完了したばかりの居間で、四宮さんは待っていた。
相変わらずどこか神官か巫女みたいな佇まいだ。
ところで、珍しく――というのもなんだが、二階の顔色はめちゃくちゃ良かった。そういや二階って元々こういう顔だったんだよな、って感じ。
「具合よさそーってことは、今回は該当ナシ?」
「特別対処しなければならない呪いや穢れがあるかどうかという意味なら、ないな。というか、四宮家の敷地で俺が必要になることなんてありえないさ。だろう?」
と二階が言えば、四宮さんは眼鏡の奥の瞳を困ったように細めた。
「どうかな。そうと言えたら良かったんだけれどもね」
「最近の調子は?」
「よくはないけど、まあ一時期ほど酷くはないかな。分布を見直したのが効いたんだ」
「自浄もうまく効いている。濃淡も悪くない」
なんのこっちゃっという感じだが、ふたりはうんうんと頷きあっているので状況はとてもいいようだ。
何はともあれ、あとは怪しい物品をお清めするだけだ。二階はいつのまにやらバッグを広げ、道具の用意を始めている。ここから先は俺が手伝えることなどないので、俺はぼんやり窓でも磨いておくことにした。
「――それじゃ、今回は海由来で?」
四宮さんが二階に話しかける。聞き耳を立てるつもりはなかったが、全員居間の中にいる以上、会話の内容はハッキリと聞こえてきた。
「そうだな。樹の叔父さんがここで何かしていた可能性があるなら、もう少し的を絞ることもできなくはないが」
「何か、ねえ……何もないとは思うんだけど。でも、厭世的な人だったから」
「あまり嫌なものは感じないんだが、しかし隠そうと思えば、いくらでも隠せるものだからな」
「そりゃあそうだけど、疑っていたらキリがないよ。叔父さんとはもう十年以上会っていなかったんだ」
「そんなに長くか。……いや」
声色がどこか変わったのを感じて、俺は振り返る。そこにはハッとしたような顔で玄関の方を見つめる二階の顔があった。
「少し外す」
なんと二階は理由も言わず、そのまま部屋を退室してしまう。
おいおい、と思いつつ、俺は営業スマイルを浮かべて四宮さんに向き直った。このまま黙っているのもおかしいので話題を探そうとした矢先、四宮さんのほうが先に口を開く。
「藤田さんは、こういうお仕事は多いんですか?」
おそらくお片付けの方じゃなく、心霊調査の方のことだろう。話題提供に内心感謝しながら答える。
「たまに二階に付き合って、という程度です。俺は全然知識がないので」
「まあ、進より物知りでいるのはなかなか難しいですからね」
「さっき二階は、知識量で言えば四宮さんのほうが上だと言っていましたよ」
「まさか」
四宮さんは俺が本当に冗談を言ったんだと思ったようで、小さく声をあげて笑った。まるで風が笑うような軽さで、くすくすと笑う人だった。
切れた話題を繋げるように、四宮さんが再び口を開く。
「進は、いつもだいたいこんな感じですか?」
俺が大して何もしてなくて、本質的なところは二階が全部準備して対処してる……という意味では、たしかに『いつも』と同じだった。とはいえ、無言でいなくなったりするところは、あいつも身内の案件だってことでゆるくなってるところがありそうだった。
「いや、どうだろう。今みたいに突然どっか行っちまうのは……」
どうも、いつもの律儀な二階の印象にそぐわない。
「二階らしくないな、と」
「そうですか? とても進らしいと思いましたけど」
「そー……ですか?」
ええ、と四宮さんは微笑んだ。
「この場のゆらぎが大きいので、海に由縁のある形代を用意しようとしたんでしょう。丁寧なことです」
「ゆらぎ、ですか」
首をかしげたくなったものの、一応なんでも屋に勤めている人間である以上、今さらながらなんにも知らないのがバレるのもどうかという気になってきた。
微妙な回答をする俺に、四宮さんが助け舟のように新しい質問をくれる。
「藤田さん、でしたっけ。ところであなたのそれは、なにか特段の理由があってのことなのでしょうか」
「俺のこれ……ってのは、霊能力がない、って話ですか?」
四宮さんは頷いた。やっぱり、俺ほど霊感のない人間は珍しく映るらしい。
「二階いわく、生まれつきの体質だろうということでした」
「そうですか。進が言うならそうなんでしょう。でも、本当に随分珍しい気質を持っていらっしゃる」
「まあ、便利なもんではありますね」
「『便利』ですか」
と四宮さんが答えたのと同時に、背後で戸が開く。二階が戻ってきたのだ。
あーあ、と四宮さんが鞄から何かを出して言った。
「清め塩ならここにあったのに」
「ああ。行きながら気が付いた。少し量が足りないんだが、混ぜても問題ないと思うか?」
「どうだろう。潮流が重なるなら、問題ないんじゃないのかな」
相変わらずなんの話をしてるんだか分からない。しかし段々、俺は一種の感動を覚え始めてていた。
すげー、二階と話が通じてる!
俺にとって二階というのは、何もない空中を見つめて突然答えを出す謎の男だった。もちろん二階なりのロジックがあり、情報を積み立てて霊の正体を推理しているのは理解していたが、途中の階段が見えないので飛躍に見える。その見えない階段を、二階と四宮さんが二人で上がっている。
塩も適当に盛っておけばいいというものではないらしく、方角やら日の入りやらなんちゃらを二人でああだこうだいいながら調整している。四宮さんのほうが知識が上だ、と言った二階のあの言葉は謙遜でも何でもないようで、細かい話になると四宮さんの口数のほうが多くなっていた。
二人が話していると、これが霊能力者同士の会話だよなあ、と思う。ああそうか、四宮さんは――なんというか、俺の想像上の「霊媒師」のイメージに一致しているのだ。和服を着ていて、静かで、声が凛としている。別に二階だって服装以外は概ね一緒っちゃあ一緒なんだが。
「……さて、こんなものかな」
見守っているうちに、どうやら準備が終わったらしい。二階はシャンシャラ手短になにかを振り終えて、最後に儀式の終了を宣言する。正直、和服の四宮さんがやったほうが似合うような気もした。
「樹、他にやってほしいことは?」
「大丈夫。進から見ても、特に気になることはないだろう?」
「……ああ、大丈夫かな」
これで終わりだろうか。
正直完全にやることがなかった。二人の会話を聞きながら、窓ガラス二枚を無駄に綺麗にしちまうぐらいヒマだった。いやー楽な仕事だった。
「久しぶりに会えてよかったよ」
「じゃあ、また何か困ったことがあれば。俺は家の片付けは出来ないが」
「うん。それは僕もできないな」
二階と四宮さんが目配せをして、戸の方へ向かう。よし、これにてお仕事終了だ。そう思い、バッグを持ち上げかけた。
――天井に水紋が現れたのは、その時だった。
天井の板たちが、釣りでもやりたくなるような緑色の沼に、突如変貌した。年季の入った木目は溶けいるように揺れて水面を作り出し、誰かを手招くようにキラキラと光を反射させている。
奇妙なのは、二階も四宮さんも、天井に目を向けてはいないことだった。二人は変わらず話し続けていた。天井が池になっていることに気が付いているのは俺だけらしい。では、早く伝えなくては。二人にこのことを言うためには、一体まず、何をしなければならないのだったか。顔にある口を開いて、それから、ええっと――
「――藤田!」
意識が切り裂かれ、その隙間から二階の顔が見える。俺はほとんど反射的に走り出し、倒れ込む直前の二階を掴み上げてそのまま外を目指す。ラップ音が鳴り響いていたが、四宮さんの叫び声はかろうじて聞き取れた。
「藤田さん、隣の離れが一番安全です!」
二階がぶっ倒れている以上、この場で一番オカルトに詳しいのは四宮さんだ。俺は頷いて従い、崩れ出さんばかりの家から飛び出した。




