005
片付け仕事で一番やっちゃいけないのは《紛失を疑われること》――そう言った俺自身が、紛失そのものをやってしまった。
どうしよー、と顔が青ざめていくのと同時に、なんだか冷静な片側の自分もいた。
いや、こんな一山まるまるなくなってるのはおかしくね?
「なんで突然、なくなったんだ――?」
何度見ても、そこにあったはずの山はあとかたもなく消えていた。
音はしなかったし、何の気配もなかった。
これほど静かな霊がいるものかと、ちょっと感心しかけたほどだった。
「――分かった」
「二階?」
そういえば、怪異現象が起きたのに二階の体調が変化していないのもおかしい。
「え、分かったって、何が?」
「盗難事件の全貌が」
え、嘘だろ?
たしかに、今起きたのは紛れもない「盗難」だ。
同じように試薬が盗まれたら、カメラでも仕掛けようという気になるだろう。
「もしかして、何か視えたのか?」
「いいや、全く。だが、俺が今倒れていないのが、何よりの証拠だと思う。
そこから逆算すると、年に一回、物がなくなることのからくりが見えてきた」
二階が倒れていない――心霊アレルギー的な体質を持つ二階に影響がなかったということは、つまり、この盗難は霊によるものではない、ということだ。
「じゃあ、なんの仕業だったっていうんだよ? まさか、人間によるマジックとか言わないよな?」
「ああ。これは――一種の、神だ」
「え?」
霊、異物、妖怪、その他なんちゃら――今思い返すと随分いろんなもんと対峙してきたなあと思うが――
神、ってーと……今までに出てきたのは、えーっと。
「もしかしてまた、付喪神?」
「いや。そんな非力なものじゃない。ただ、おそらく祭られている神というわけでもない。
何処にいるのかが分からないから、まずはそれを突き止める必要がある」
……んーと。神の探し方、か。
まあそれは正直俺にはよく分からないので一旦二階に任せるとして、見つけた後のことまで考えるなら、俺が今やっておくべきことはなんだろうか?
これは仕事だ。
だから、俺が聞くべきことは一つだった。
「神って、どうやって祓うの?」
「…………藤田、祓えると思うのか?」
だってー、相手が神様だろーとなんだろーと、物盗まれるのは困るじゃん。
呆れかえっている二階の顔を見ていると、いつもの感じに戻ってきたなあと思う。
俺が質問して、二階が答えて。俺が調査作業をして、二階が判断して。
「てゆーか、神サマ、なんで物盗むの?」
「いや、多分、そこが一番の誤解なんだ……」
誤解? と俺は首をひねる。
置いておいたものがなくなる――盗む、以外の何だというのだろう。
「この神は、明確な社を持っていない。いや、あるのかもしれないが、少なくとも神社という形で定常的に手入れをしている人はいないんだと思う。でも、この地で守り神のようにふるまっている」
「ん? なんで守ってくれてるって分かるんだ?」
「俺の体調が良すぎる」
……はあ。そりゃあ、まあ、良かったことで……。
過去に、二階の具合が異様に良かった時のことを思い出す。
たしか、自分で張った結界の中に入った時、護符を持ってた時、あとは――祠の近くにいた時。
「どうも、清らかすぎるとは思っていたんだ……」
「なるほど。ここは疑似的な神社の境内の中ってことなんだな」
「そうだ。そして、その境内の中で、人が何かを集めている。それを並べて、密室に置いている。
しばらく人がいなくなる時間もある――神はこれを、どう判断すると思う?」
いや知るかよ。とは言えず、一応オウム返ししておくことにする。
「どう判断するんですか?」
「多分、神はこういうふうに思った――これは、自分への捧げものだと」
「…………え?」
となると、神視点の話としてはこうなる。
人が何人も毎日出入りする白い社のなかで、せっせとミツバチみたいに人間は試薬を集めている。
それらを、年に一回程度、一応受け取ってやることにしている――。
「でも、俺らまだ作業終えてねーけど? ある意味つまみ食い状態だろ、これ」
「それも考えたんだが……多分、遠慮しているんだ。
この程度で満足ですから、帰ってもいいよ、って感じだろう。日没も過ぎているしな」
「……日没?」
「古の神であればあるほど、日没後に人間が働いていたら憐れんで下さるんだ。
基本的に神というのは、俺たちのことを、まだ畑を耕して暮らしている生き物だと思ってる。
この検査場の稼働時間は十六時だそうだから、日没後もあくせく肉体労働している俺たちが可哀そうになったんだ」
「そっ、そんなことあるの…………?」
てゆーか、勘違いが原因なら、けっこー簡単な解決法が一つあるんじゃないか?
俺は思いついたままに言ってみることにする。
「じゃあ、お前から教えてやれよ。
これはお供え物じゃないので、つまみぐいしないでくださいねって」
「……。言えると思うか」
「言葉通じないの?」
「そういう問題じゃない」
「じゃあ、どういう問題?」
「言いづらいだろ、単純に」
俺は自分に置き換えて考えてみることにした。
ここにお一人、神さまがいらっしゃる。
ここを神社だと思って守っている。
遠慮しているつもりで、でも全く受け取らないのも悪いからと年に一回程度は捧げものを受け取っている。
そんな人に、いや、それ、あなたのじゃないですよ、と、伝えるということ――。
まあ――たしかにちょっと気まずいかもしれない。
少なくとも、二階に一人で言わせるのは気が引けた。
「で? どうすればいいの?」
「供物を受け取る頻度が低いことを鑑みると、おそらく、元々祟りを起こす神ではないんだ。
祟り神は供物を求める傾向にある――祟りを恐れる人の心が、神に供物を差し出させる。
神というのはそういう風にして生まれることが多いんだ」
しかし、この検査場にいる神サマは違う、と。
「ふーん、神様にもジャンルがあんのか」
「ああ、この逆もあるな。
恵みをもたらす神――なにかしらの自然現象を神からの恵みだと信じ、より恵みを与えてくれるように祈る信仰もある――そこから神が生まれる場合も多い」
「でも、『生まれる』ってのは大袈裟じゃね?
神様のほうが先に住んでて、後から人が住むんだろ?」
「いや、そうとも限らないと思う」
え、そーなの?
不審がる俺に、二階がいつも通り解説を始める。
ようやく本格的に心霊案件らしくなってきたってもんだ。
「……神、という言葉通りのものとは、少しイメージが違うかもしれないが。
たとえば、ここに一つの村があり、その村に住む人々は全員森からの失火を恐れていたとする。
この村にとって、火は災厄を引き起こす恐れの対象だ。
その火に対する恐怖心と祈りが凝り固まって何かが生まれたんだとしても、俺は驚かない。
全ての神がそういう生まれ方をしたとも思わないが」
「そ、そんなことあんのー……?」
二階が言うことが本当なら、神というのは最初から存在するものではなく、人間側の畏怖や祈りによって生まれたものであるかのようだ。
「分からない。幽霊だって、そういうものの一種なのかもしれないと思うことがある。
生者の魂がそのまま骸から抜き出て霊になるというわけではなくて、あくまでも本人の思念や周囲の祈りなどの様々な感情が一つの形になって表れたもの――というか」
「じゃあ、ある意味幽霊ってのは、本人そのものじゃない……ってことか?」
「正直なところ、分からない」
二階に分からないんじゃあ、俺に分かるはずもない。
「しかしこの神は、おそらく災厄を起こさない。
祠を持ちながらにしてそれを人の目から隠し、姿を潜めていることからも明らかだ。
多分、来る途中のトンネルの件もこの神が関係していると思う――俺が動物か何かを轢きかけたから、車を停めてくれたんだ」
「でも俺、その、お前が見た犬? 猫? ってやつ、見えなかったけど?」
「……そうだったな。じゃああれも霊体だったのかもしれない」
ふーん。まあ、何はともあれ、ありとあらゆる謎が解けてスッキリではある。で、どうやって見つける?
「なあ。ご神体とかってないのかな? 心当たりねーの?」
「ご神体か。たしかに、あるのかもしれないな」
「じゃあ、それ見つけたほうがよくね?」
「いや……正式な神社でも、ご神体がない場合はある。
それに、見つけてしまえば大事にしなくてはならないし」
「見つけなかったせいで、祟りが起きたりとかは?」
「可能性はかなり低い。
現状、何も世話をせずとも許してくれているのであれば、このままのほうがいい。
あちらは隠れているつもりなのかもしれないし」
「ふーむ。じゃ、しらみつぶしに探してくしかないか。
――いや、探しても祠すらないかもしれねーのか」
「ああ。だが、探さないことには始まらないだろうな」
うーむ、今まで見たもののなかで、怪しいものなんかあったっけ?
この部屋に入ってからは大量の書類しか見ていないし、ここに来るまでの廊下にも大したものはなかった。白、白、白の連続で、異様なほど清潔だった。
玄関にも気になる神棚とかはなかったし、駐車場にも変なもんはなかった。池にはたしかウサギでも住み着きそうな可愛い洞窟の置物があったな。あと油揚げ。ん?
「……二階」
「ああ。進め方だが、一旦、できる限り俺の方で調べてみる。
申し訳ないが、片付けのほうも止めるわけにはいかないから、そちらは頼めるか?」
「いや、ごめん。なんかちょっと、その、祠? の場所、分かった気がして――」
「――え?」
二階が目を見開く。
一秒ほど放心したあと、なんだか機嫌の悪そうな顔つきに変わっていくのが分かった。
俺がなんかポカやったってことに気付いたんだろう。
「いやー、そのさー」
「なんだ」
「玄関前にさ、池あったの覚えてる? あそこにさ……油揚げ、置いてなかった?」
「……」
に、二階くん?
「いや。置いてなかった。お前は本当に……」
「いやいやいや、わかんねーよ油揚げがどうこうなんて!」
「そんなもの、置いてあったら不自然だろう、普通!」
「近所のリスにでも餌あげてんのかな~って思ったんだよ。
実際ほんとにそうかもしれないじゃん?」
「違う。俺にはそれは見えなかった」
「二階さん、さっき具合悪かったですし……」
「そんなお供えものチックなものがあったら、絶対に俺が気付いている。それが祠に違いない」
「ハイ……」
まあ、言われてみりゃあそりゃそうだ。
神だって室内よりは屋外のほうが多分好ましいだろう。敷地内で屋外といえば、玄関前の池しかない。
「けど――場所が分かったところで、どうすんの?
お供え物取らないでって直接言うのはナシなんだろ?」
「ああ。神の解釈に合わせてやるしかない。
とはいえ――正直、依頼人に神棚を作ってもらったり年に一回供え物をしてもらったりするのは、かなりハードルが高いだろうな。素人がやるとろくなことにならないし、説得できる自信もない」
「だよなあ……」
「多分、年に一回でいい……神がそれと分かる状態で、何かしらのお供え物が自動的にその祠の前に置かれるようにすればいいんだが……」
「餌やり機じゃあるまいし」
「そんなにしっかりしたものでなくていいはずだ。今だって、薬とか紙とかを持って行っているぐらいなんだから――少なくとも食べ物であれば、供え物だと認識してもらえるだろう」
年に一回。誰かがメンテナンスする必要なく、それっぽいものを祠の前にぽろんと置いといてくれるもの――
「なあ、二階」
「なんだ?」
「レモンの木は、自然摘果する。年に一回。
しかも常緑樹だから、今のこの部屋みたいに落ち葉まみれになることもない」
二階は怪訝な顔を崩さなかったが、やがて数秒もしないうちに、氷が解けるように表情に喜びが広がっていった。
「――なるほど、それで行こう」




