壁の中の人魚秘め
またどこかの別世界。
忘れられた魔法。
残された創造物。
ここはとある下町の小さなカフェ。
このカフェには…人魚がいる。
壁に描かれた海の中、一つの黒い影が通り過ぎる。
不思議な不思議なシルエットの人魚。
彼女は今日も壁の中を泳ぎ続ける。
鮮やかな珊瑚。色とりどりの小魚。
その中で彼女だけはモノクロだった。
そんな彼女はカフェの人気者。
お客さんが席に着けば挨拶をしに来てくれる。
皆の視線は彼女に釘付けだ。
一杯のコーヒーや軽食をゆっくりとり、彼女の愛らしい仕草に顔をほころばせる。
壁の中の彼女とは、もう一つ交流する方法がある。
お店の中心にある水盤へと贈り物を入れると壁の中の彼女のもとへと降り届く。
彼女は降ってきたそれを掴むと嬉しそうに身に付けたり、抱きしめた。
小瓶に手紙を入れれば、彼女へ気持ちを伝えることもできるが、彼女からお返しする方法はなく、その振る舞いが彼女からのお返しだった。
彼女は、お客さんから貰ったものを大事に抱え、上部の洞窟へと入り少しすると戻ってくる。
きっと、奥には今まで貰ったものが大切に置かれているのだろう。
彼女は時折、寂しそうにどこか遠くを見つめている。
ある時は、何かを探すようにお客さんを見渡し、誰かを待っているようでもあった。
…客の間には、こんな噂がある。
彼女の求める物を渡すと、彼女の住処に招待してくれる…と。
誰かが壁の中で彼女と泳いでいるのを見た…と。
XX年前
一人の青年は海辺を歩いていた。
何かに息詰まり、何かを手放したい。
ただ、全てを、この瞬間だけでも忘れてしまおうと。
…どのくらい歩いたか、岩場を見ると人が倒れているのが見える。
慌てて近づき声をかけるもその姿に息を呑む。
衣服を纏わぬボロボロの女性。
彼女には下半身が見当たらず変わりに胴から流れる綺羅びやかな布はまるで人魚のようであった。
息はない。
周りに誰もいなく、自分が去った後、その死を何者からも弄ばれぬよう火葬し、その灰を海へと返した。
しかし、彼は気づかなかった。
彼女の火葬跡に一粒の真珠が転がっていたことを。
彼の頭には、彼女を見た瞬間から湧き上がるものがあった。
壁をキャンパスに筆を走らせる。
鮮やかな珊瑚。色とりどりの小魚。
そして、名前も知らないモノクロな彼女。
その色を知るのは自分だけ。
続くか不明




