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7 従兄と従弟、あるいは斉王と皇太子


 日が沈む頃合い。

 執務室の格子窓の向こうは、既に夕暮れの色に染まっている。


 大理寺少卿を務める斉王(せいおう)徐慧(じょ・けい)は、珍しい来客に仕事の手を止める。


「一人でどうやって宮中を抜け出したんだ?」


「いや、私一人で抜け出したわけではなくて……。宦官や侍女たちの協力で、桓遠と一緒に抜け出したんです。ただその、桓遠とはぐれてしまって……」


 徐慧の目の前には、情けない顔をした従弟・徐徹(じょ・てつ)がいる。

 徐徹は三年前に皇太子に冊立された、皇后の一人息子だ。


 未来の皇帝ということもあり、皇后によって行動をかなり厳しく管理されている。


 なので一人、こうして城市にいること自体、あり得ない。


「ここへはどうやって来たんだ?」


 将来、この国を治める立場にあるが、皇后によって行動を制限され管理されている徐徹は、城市のこともあまり良くわかっていない。

 十に区分けされた区の名前や主要な建物の場所や名前は知っていても、実際にその道を歩いたことはほとんどないのだ。


 だからこうして、迷ったのだろう。


「ある女性に連れて来てもらいました」


 目を伏せる徐徹を、徐慧は無表情に見つめる。


 徐慧は二十八、徐徹は二十三。

 お互いに成人しているとはいえ、背は徐慧の方が高く、肩幅も徐慧の方がある。


 徐慧は日々、欠かさずに鍛錬を行なっているが、徐徹の方は怪我でもしたら困る、と皇后が鍛錬をあまりさせないのだ。

 そのかわり、学問に力を入れている。


「女性──」


 執務用の机から移動した徐慧は、徐徹の目の前に腰を下ろす。


 徐徹をこの部屋まで連れてきた役人が言うには、その女性は恐らく花仙楼の繍女だろう、とのこと。


 花仙楼は都で知らぬ者がいないと言っても過言ではないほど、名の知れた繍坊だ。繍女には制服を与えているので、その制服を役人は知っていたのだろう。

 徐慧は店に赴いたことはないが、名前はきちんと知っている。母が贔屓にしている繍坊だ。

 近々、斉王府を訪れるからとかなんとか、母が言っていたような気がするが、よく覚えていない。


「また会えるだろうか……」


「また会いたいのか?」


「え? あ、いや! 変な意味ではなくて! その、お礼をきちんとできていなくて……!」


 焦ったように早口になる徐徹に徐慧は何も言わないが、なんとなく察した。


 徐徹は昔から、女性に対して苦手意識があるのだ。

 皇帝の寵愛を得ようと、他の妃嬪を蹴落とす後宮の、見たくもない醜さを目の当たりにし、侍女たちもまた、自身が仕える主人が寵愛を得られるように画策する。


 それだけでも十分に徐徹の心に負担をかけているというのに、実の母である皇后さえも、徐徹を追い詰めるのだ。

 朝から晩まで母の監視下に置かれる日々は、息苦しい以外の何ものでもない。


 今こうして城市に赴いたのは、その息苦しさから解放されたいと強く願ったからなのだろう。


 なので徐慧は、目の前の従弟を責めるようなことはしない。


 だがこのお忍び城市巡りで、徐徹が女性に関心を持つとは意外だった。良い兆し、とも言える。

 未来の皇帝なのだ。

 将来は妻を娶り、今の皇帝のように、後宮に幾人もの妃嬪を侍らせ、国の安泰のために世継ぎを作らねばならない。

 女性への苦手意識は、どうせならば無いほうが良い。


「桓遠はこちらで捜索させている。すぐに見つかる。──その女性は恐らくだが、花仙楼の繍女だろう。名を聞いたか?」


「素月というそうです。……そうか、花仙楼の繍女なのか」


 徐徹も花仙楼の名前は当然のごとく知っている。後宮の妃が、他の妃と差をつけたいから、と尚服局ではなく城市の繍坊に頼む、というのはそう珍しくもない話だ。


「縁があれば、また会うこともあるだろう」


 徐慧は部下が用意したお茶を飲み、執務机を見る。机の上には、書簡や帳面が積み重なって、小さな山のようだ。

 今日も帰りは遅くなる──場合によっては、このまま大理寺に泊まることになるかもしれない。


 母は仕事ばかりの徐慧を心配し、なるべく家に帰ってくるように言うが、徐慧からすれば仕事をしている方が楽なのだ。


「兄上は、来月の園遊会には出席されるのですか?」


「──その予定ではある」


 決して出席したいわけではない。


 どうせ今回の園遊会の真の目的は、徐徹の妻──皇太子妃を選ぶことだ。

 徐慧が出席することを皇后は望んでいないだろうが、たまには顔を出せ、と皇帝からの言伝を聞いてしまっては、欠席するわけにはいかない。


「兄上の考えはわかります」


 答える徐慧の声が低くなったことに、徐徹は気づいたらしい。


「兄上にとって宮中は、息苦しいでしょう。母上の目もありますから……」


 息苦しいのは従弟も同じだろうが、徐慧と徐徹では息苦しさの意味合いが異なる。


 徐徹の母である皇后・秦青薔(しん・せいしょう)にとって、徐慧は邪魔でしかないのだ。


 徐慧の父・徐珏(じょ・かく)は故人で、皇帝の実弟でもあった。

 徐珏は戦場で命を落とし、その数年後に長男──徐慧の兄である徐絋(じょ・こう)も同じく戦場で命を落とし、残ったのは徐慧一人だけ。

 母である蕭白蓮(しょう・はくれん)は、ただ一人残った息子だけでも守りたいと、徐慧が入軍することを許さなかった。


 それは祖母である皇太后も同じ考えだったようで、徐慧は母と祖母二人に説得される形で、入軍を諦めた。諦めるしかなかった。


 そのかわりなのか、徐慧に与えられたのは大理寺少卿という地位。

 当初は三法司の長を、という話もあったが、なんの経験も積んでいない若造が三法司の長を務められるはずもない。

 無用な反感を買うだけだ。


 徐慧は丁重に断り、現在は大理寺少卿という地位に十分すぎるほど満足している。


 ただ徐慧が大理寺少卿の職に満足し、務めを果たす日々を送っていても、祖母である皇太后の心配は尽きないらしい。

 夫を亡くし、その数年後には長男をも亡くした白蓮と徐慧を、皇太后はずっと気にかけてくれている。

 現皇帝の徐昌(じょ・しょう)と今は亡き徐珏は、皇太后の実子。息子を亡くす痛みは、皇太后もよくわかっている。


 それ故、皇太后はふたりを気にかけているのだ。


 それが数年前まで、宮中に良くない噂を広めるきっかけになってしまった。

 次の皇太子は果たして本当に皇帝の長男・徐徹なのか、と。


 皇太后があまりに白蓮と徐慧を気にかけるため、もしかすると皇太子は斉王なのでは? などという、根拠のない噂が宮中に広がってしまったのだ。

 皇帝も、弟と甥の死を悲しみ、それと同時に夫と息子を続けざまに亡くした白蓮たちの生活を心配し、色々と気遣ったことが噂の広がりに拍車をかけた。


 皇后である青薔とその父である秦丞相は大いに焦ったことだろう。

 三年前、皇太子に徐徹が冊立されてからは、そんな噂も出回らなくなったが、皇后は今でも白蓮と徐慧を警戒している。


 そんな中での園遊会。

 皇后が徐慧を招待したのは、あくまでも建前。本音では来てほしくないと思っていることだろう。


 徐慧本人も、園遊会に出るくらいなら、その時間を仕事に回したいと思っている。


「お前が気にすることではない。──仕方がないことだ」


 徐慧は皇帝の座になど興味はないし、それは母も同じこと。

 だが宮中においては、当人の意思などあってないようなものだ。本人が望んでいなくても、知らず知らずのうちに面倒ごとに巻き込まれてしまう。

 逃れるには、宮中と距離を取ることだけ。


 そのことを考えれば、大理寺少卿という地位はちょうど良いのかもしれない。


「少卿、桓遠殿をお連れしました」


「通せ」


 思っていたよりもずっと早く、桓遠は見つかったようだ。

 これで一安心、と言いたいところだが、徐徹が宮中へ戻ってようやく、安心できる。


 徐慧は立ち上がると、徐徹も遅れて立ち上がった。


「帰りの計画も、きちんとあるんだろう?」


「もちろんです!」


 自信ありげに答える徐徹に頷きを返し、徐慧は従弟とその護衛を大理寺の外まで見送ることにする。

 ここで自分が付き添い、宮中の者に見つかれば、余計な勘ぐりをされてしまう。


「気をつけて帰れ」


「はい、ありがとうございます、従兄上(あにうえ)


 二人を見送った徐慧は、すぐに執務室へと足を向ける。片付けても片付けても、仕事は舞い込んでくるのだ。休んでいる暇はない。

 仕事が区切りよく終われば家に帰れるかもしれないが、帰るたび母に小言を言われることを思えば、いっそ帰らずに泊まり込んだ方がましなのでは、と思うことが最近は多い。


 とはいえど、ただ一人の家族なのだ。


 やはり一日に一度、ほんの一瞬でも良いから顔を見せるべきか。


「いくつか片付けたら、今日は帰る」


「わかりました」


 母の小言は覚悟しよう。

 あれは母なりの愛情なのだ。

 たった一人の息子へ向ける、母なりの愛情。


 それをきちんとわかっているから、徐慧は母を無下にすることができないのだ。

 母は徐慧にとって、唯一の弱点とも言えた。



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