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5 迷い子は小さな嘘をつく


 素月と青年が通されたのは、胡蝶の自室。

 胡蝶がお茶の準備をする間、素月は先ほどの青年と二人、向かい合って座っていた。


 青年はどこか居心地悪そうにしていて、素月は単刀直入に聞いてみた。


「もしかして、妓楼に来たのは初めてですか?」


「え? あ、いや、そんなことは…………初めてだ」


 恥ずかしそうに目を伏せる青年を、素月は無表情に見つめ返す。

 なんとなく、そうなんだろうな、とは思っていた。


 人を見た目で判断すべきではないが、目の前の青年は妓楼に出入りするような人間にはどう頑張っても見えないのだ。


 では何故、丹花楼(ここ)にいたのだろう?


「実はご──連れとはぐれてしまって……。妓楼だとは知らず、ただ道を聞くために入ったのだ」


「なるほど」


 世間知らず?


 丹花楼はそれなりに名が知れていると思っていたけれど、知らない人もいたのか。


 素月は無言になり、室内には微妙な空気が流れる。


 こういう時、錦児ならば気の利いた会話の一つや二つできるのだろうが、残念なことに、素月にはそれができない。

 元々、愛想もないのだ。感情の起伏が乏しい方なので、初対面の人からは冷たいだとか、可愛げがないとか言われてしまう。

 そんな自分が無理に話そうとすれば、逆に相手に気を使わせてしまうだけだ。


 なので黙っていることにしたのだが、結局、相手に気を使わせてしまうことになってしまった。


「あなたもここで働いているのか?」


「いえ、私は注文の品を届けに来ただけです」


「そうか……。ここにはよく来るのか?」


「注文の品を届けに来る時ぐらいです」


「……そうか。私は初めてなんだ。そのせいで迷ってしまったんだが……」


 青年は会話を広げようとしてくれているらしい。

 それに応えるべきなのだろうが、素月は別に、沈黙を気にしない。

 むしろ静かなのを好ましく思っている。


「お待たせ致しました」


 なんとも言えない空気を救ったのは、胡蝶の声だった。

 胡蝶は慣れた手つきで、茶杯に程良い温度の茶を注ぐ。


 素月は黙ったまま、胡蝶の横顔を見つめる。

 胡蝶の瞳は穏やかで、肌は雪のように白い。鼻から上までしか見えないが、美人だと誰もが思うことだろう。

 だが誰も、胡蝶の素顔を見ることはできない。顔の下半分を覆う面紗(めんしゃ)を、胡蝶は人前で決して外したりしないのだ。


 その理由は、胡蝶の左頬に火傷の痕があるから。妓女にとって──いや、女であれば誰もが顔の傷を恥じるもの。

 胡蝶が妓女でありながら客を取らず、二胡を演奏するだけなのは、そういった事情があるからだ。


 丹花楼の女将も、胡蝶の事情を知った上で雇い、客を取らないことを特別に許可している。


 まあ、胡蝶が二胡の名手であるから、許されているとも言えるが。


「お口に合えば良いのですけど」


 お茶と一緒に出されたのは、蓮の実餡の饅頭。


「すまない。何もしていないのに、ご馳走になってしまって」


「そんなことはございません。若様のおかげで、助かりました」


「いや、実際にあの場を収めたのは女将だ。私は本当に何もしていない」


 落ち込んだ声音の青年に、素月は率直に思ったことを告げる。


「あの場で胡蝶を庇うために行動したのは、あなただけです。何もしていないどころか、誰よりも先に行動したのです。それは賞賛に値するのでは?」


「そ、そうだろうか?」


「何もせずに傍観──それこそ、野次を飛ばすような人たちと比べるまでもなく、あの場でのあなたの行動は素晴らしかったと思います」


「そ、そうか……」


 何故か青年はまた、目を伏せてしまった。心なしか顔が赤くなっているような気がするが、お茶が熱すぎたのだろうか?


「お嬢様、どうぞ」


「ありがとう」


 胡蝶が食べやすい大きさに分けてくれた饅頭を受け取り、口に運ぶ。蓮の実餡入りの饅頭は、素月の好物だ。上品で控えめな甘さが、ちょうど良い。


「若様もどうぞ召し上がってください」


「ああ、すまない。いただこう」


 少しばかり顔の赤みが引いた男は、胡蝶に促され饅頭に手を伸ばす。


「ああ、そうだ。忘れないうちに渡しておくわ、注文の品よ」


「ありがとうございます」


「間違いがないか、確認して」


 忘れないうちに、渡さねば。

 品物を渡せば、胡蝶はそれを持って衝立の向こうに行ってしまった。


「あ、あの」


「はい」


 饅頭を味わう素月に、青年が躊躇いがちに声をかける。

 無理に話をしなくてもいいのに……と思ったが、青年は意外なことに、素月の名前を聞いてきた。


「私はじょ────か、桓遠(かん・えん)というのだ。あなたの名前を伺っても?」


「素月です」


 たかが繍女相手の名前を聞くために随分とへりくだるものだ、と思ったが、この性格だから胡蝶を庇ってくれたのか。


 素月はお茶で喉を潤し、改めて目の前の桓遠と名乗った青年を見つめる。


 顔立ちが整っていて、細身だが背丈もある。

 自分の容姿にも他人の容姿にも興味のない素月ではあるが、桓遠は美男子と評しても問題ない容姿をしていると思う。

 凛々しいというよりは、柔らかな雰囲気の持ち主。人によっては頼りなく思われそうだが、偉ぶって横柄な態度を取るような人間と比べれば何十倍も良い。


 先ほどは笑うと幼く見えたので同年代かと思ったが、恐らく素月よりも年上だ。


「素月──殿。良い名だ」


「……そうですね、私もそう思います」


 自分の名前を褒められて、素月はなんとも言えない気持ちになる。素直にお礼を言えば良かったのだろうけど、咄嗟にその言葉が出てこなかった。


「お嬢様、確認しました。問題ありません」


「それなら良かった」


 衝立の向こうから胡蝶が戻ってくる。

 普段であれば仕立てた衣に袖を通してもらうところなのだが、さすがに男性がいるとなると、それは難しい。


 また今度、見せてもらうことにしよう。


「ところで若様は、お連れの方と落ち合う場所などは決めていらっしゃるのですか?」


 胡蝶の問いに、桓遠はお茶を飲む手を止める。


「決めていないのですね」


 素月がはっきりと告げれば、桓遠はまた目を伏せてしまった。

 この目を伏せる行動は、桓遠の癖なのだろう。

 成人した立派な男性であるなれば、その癖は治した方が良いような気がするが、素月がそれを口にすることはない。


「いや、大丈夫だ! 方法はある」


 何かを思い出したらしく、桓遠の瞳に力強さが宿る。


「大理寺に行けば、問題ない」


「大理寺?」


 素月と胡蝶は、顔を見合わせる。

 大理寺は刑罰や裁判を担当している官署であって、迷子を保護する場所ではない。


 知り合いでもいるのだろうか?


「その、非常に言いにくいのだが……」


 素月と胡蝶が無言で顔を見合わせる中、桓遠が弱々しい声を発する。


「ここから大理寺へは、どう行けばいいんだろうか?」


「──ああ、そうか」


 この人、連れとはぐれて道に迷った挙句、丹花楼(ここ)にいるのだ。

 大理寺への道など、知るはずもない。



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