表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
17/19

17 斉王の来店


 その場にいる誰もが、動けずにいた。


 先程まで騒がしかった店内が、たった一人の男の登場によって、しんと静まり返っている。


 花仙楼に男性が来ることは珍しい。

 それ以上に珍しいのは、大理寺少卿として日々、忙しくしている斉王・徐慧が来店することではないだろうか?


「で、殿下……?」


 さすがの李旦も、斉王の顔は知っているらしい。

 徐慧の登場に、狼狽えている。


「郢国公のご子息と顔を合わせるとは思っていなかったが──これは一体どういう状況なのか、説明してもらっても?」


「これは、その……」


 徐慧の問いかけに惑う李旦は、素月の腕を掴んでいた手から力が抜ける。

 その隙を逃さず、素月は李旦の手から抜け出し、錦児に駆け寄った。


「大丈夫? 怪我はない?」


「大丈夫よ。尻餅をついただけ……」


 本当に蹴られる寸前だった。

 錦児は体勢を崩しはしたものの、大きな怪我はないようで一安心だ。


 素月の手を借り、錦児は立ち上がる。


「殿下にご挨拶致します」


「礼は不要だ。──まるで店の中で誰かが暴れたようだ。李殿、どう思う?」


 挨拶をする素月の横を通り過ぎ、徐慧は李旦の前に移動する。

 そのおかげで、素月は徐慧の背に隠れることができた。


 李旦と比べると、徐慧の方が背が高い。

 だが体格で言うならば、徐慧の方が細身だ。


 それでも徐慧が放つ圧に、李旦は顔を青くしている。


「ど、どう思う、とは?」


「この惨状を見て、大理寺を動かすべきかどうか、ということだ」


 徐慧の一言に、李旦の顔は青を通り越して白くなろうとしていた。


「大理寺が動くほどのことではありません!」


「なぜそう思う?」


 徐慧がゆっくりと店内を見回す。


「私は以前から警告していたはずだ。度が過ぎれば、身分など関係なく我らは動く、と。これは度が過ぎているのではないか?」


 外側から見た花仙楼はいつも通りだが、中へ入れば普段とは真逆の状態になってしまっている。

 陳列台は倒され、踏みつけられた手巾や匂い袋は薄汚れ、売り物にはもうならない。


 それらに加え、店の売子があわや大怪我を負うところだったし、もう一人の繍女の腕は赤く染まり、見るからに乱暴されたのがわかる。


 これを見て、何もなかった、などと言えるだろうか?


「国公には報告させてもらう」


「……承知、しました」


 渋い顔をして店を去ろうとする李旦の背に向かって、徐慧が声をかける。


「素月殿が請け負っている仕事の依頼人は、私だ」


「…………心得ました」


 何か言いたいことがあるような顔ではあったが、相手が斉王ともなれば、いかに国公の息子であろうとも無礼な真似は許されない。

 店から出て行く李旦の背中は、随分と小さく見えた。


「楼主は不在なのか?」


「さ、左様でございます……」


 錦児がお尻の痛みに耐えながら答える。


「江紹、片付けを手伝ってやれ」


 徐慧の背後に控えていた部下・江紹が、お任せください! と言わんばかりに倒れてしまった陳列台を起こす。


「私も手伝います」


「痛むのでしょう? 俺がやるので、どこに戻すのか指示をください」


 手伝おうとする錦児を、江紹は手で制する。


「客室はあるのか?」


「──え? ……ああ、二階にございます」


 自分が話しかけられているということに、素月は気づくのが随分と遅れてしまった。


「案内してくれ」


 徐慧は無表情に、そう言った。


 ◇◆◇◆◇


 徐慧を通した客室は、先刻まで素月が布見本を広げていた客室だった。

 先刻まで使っていたので、ついそのまま通してしまった。


「お茶をお持ちします」


 布見本を軽く片付けてから、徐慧を窓際の席に案内する。


「くつろぐために来たわけではないから、茶は結構だ」


「承知しました」


「今日、ここへ出向いたのは母上に言われたからだ」


「郡主様に?」


「吉服作りに難航しているようだから、手を貸してやれ、と言われたんだ」


 恐らく楼主から郡主に伝わり、そこから斉王に伝わったのだろう。

 李家からの帰り、楼主が悩む素月のため、郡主に話をしてみると言っていたから。


 だが斉王自ら来店するとは、思いもしなかった。

 結果としてみれば、李旦を追い払うことができたので助かりはしたが、まさかこんなにも短期間のうちに顔を合わせることになるとは……。


 徐慧がこちらを見る目は、先日ほどではないにしても、やはり鋭い。

 素月も度々目つきが悪いと言われるが、徐慧を前にすると自分はそれほどでもないのでは? と思ってしまう。


「どの生地を使うんだ?」


「……恐れながら、まだ決めておりません」


 素月の返答に、徐慧が眉間に皺を寄せる。美形が厳しい表情を浮かべると、どうにも威圧感が増す。


「それは見本か?」


「左様でございます」


「見せてみろ」


 素月は見本を数冊手に取り、それを机の上に置く。


「お前も座れ」


「しかし──」


「いいから、座れ」


「……失礼致します」


 斉王本人が座れと言ったのだ。自分は悪くない。


「候補も絞っていないのか?」


「暖色系は除外しております。──恐れながら、殿下の好みではないように思えましたので」


「それは当たっている。派手な色は好まん」


 徐慧は赤や黄色などといった暖色系よりも、青や緑といった寒色系の色の方が似合う。

 その中でも黒が最も似合うだろう。


 かといって、黒は園遊会の場には相応しくない。

 あまりに暗すぎる。


 ならば青系統が良いだろうと思い、そのあたりから選ぼうとは思っていた。

 となれば、使うのは銀糸が良い。青系統の衣に、銀糸で施した刺繍は良く映える。


「それだけ決まっているのなら、早々に取り掛かれば良いだろう? 何を迷う必要がある?」


「……良い図案が浮かばないのです」


 素月は図案を自分で描く。万華国の伝統的な図案を元に描くこともあるが、素月は自分だけの図案をはじめから作ることもある。


 それが唯一無二であるため、素月に仕立ててもらいたいという娘が多いのだ。

 特に貴族や裕福な家の令嬢は、他の者と被ることを大層嫌う。


「いつもはどうやって決めているんだ?」


「その方を見て、浮かんだものを描きます」


 素月が横を向けば、こちらを射抜くように見つめる徐慧と目が合う。

 徐慧の瞳は、黒曜石のように深く濃い色をしていて、見つめていると吸い込まれてしまうような感覚に陥る。


「──星?」


 その一言を聞いた瞬間、素月は反射的に立ち上がり、徐慧に背を向ける。

 今、この男はなんと言った? 星? ありえない!

 なぜいきなり、そんな言葉が出てくるのだろうか。


 素月は焦る自分を、必死に落ち着かせようとする。


 ここ数年、誰にも言われたことはない。

 兄すら、口にすることはなかった。

 なのになぜ今、この男が口にしたのだろう?


 ──「星」だなんて……。


「何か気に障ったか?」


 徐慧の声は、焦る素月とは裏腹に落ち着いている。

 何も気づいていない? 偶然……?


 どちらにせよ、あまりおかしな態度を取れば勘ぐられてしまう。


「──失礼致しました。なんの問題もございません」


 どうにか落ち着きを取り戻した素月が振り返れば、まるで示し合わせたかのように客室の扉が開いた。

 扉の向こうに立っているのは、江紹と錦児、それからたくましい体躯の男性。


 そしてもう一人、若い男性がいた。


「──桓遠殿?」


 もう会うことはないだろうと思っていた人物が、そこにいた。


 今日は一体全体、どうなっているのだろう?


 こんなにも男性の来店が多いのは、初めてだ。


 素月はなんだかもう、すべてを放り出してしまいたい気分だった。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ