14 国公の息子
よく晴れた空の下、素月と錦児は郢国公の屋敷にいた。
李淑のために仕立てた衣を届けるため、楼主の付き添いとして訪れたのだが、楼主は李夫人から話があると呼び止められてしまったため、二人は仕方なく外で待つことになってしまった。
「真夏じゃないのが救いね」
「そうね」
日差しはまだ夏を感じさせるが、幸い、風は涼しい。
秋はもうすぐそこだ。
素月は姿勢を崩すことなく、目の前に広がる庭園に目をやる。
さすがは国公の屋敷と言うべきか。見事な庭園だ。石畳の道には葉っぱひとつ落ちておらず、花はすべて美しく咲き誇っている。
その庭をぐるりと囲む回廊の梁に浮き彫りされた彫刻。
どこを見ても豪華で手抜きがないように見えるが、華美すぎるような気がしなくもない。
もう少し控え目な装飾にすれば、華やかさと上品さが共存できるような気がする。
そう、斉王府のように。
「こんなところで何をしている」
回廊で二人並んで立っていると、偉そうな男に声をかけられた。従者を二人引き連れている偉そうな男を見た瞬間、錦児が小声で囁く。
「郢国公のご子息、李旦様よ。性格に難ありだから、気をつけて。──若様にご挨拶致します。わたくしたちは花仙楼から参りました繍女でございます。楼主が李家の奥様とお話ししているため、こちらでお待ちしております。どうかご容赦ください」
錦児の口から紡がれる言葉は淀みがなく、更にこの状況の全てを説明してくれた。
素月はただ黙って、錦児と共に頭を下げるだけ。
こういうとき、錦児は率先して前に出てくれる。
「花仙楼? ああ、そういえばそんな話をしていたな」
素月は頭を下げているので、李旦の顔は見えない。
「──顔を上げろ」
命令し慣れている。
素月と錦児が、下げていた頭を持ち上げる。
「ほぉ……」
素月も錦児も口を閉じたまま、値踏みするような李旦の視線を受け止めるしかない。相手は国公の息子。
こちらが不快に思っても、それを顔に出してはいけない。
李旦は肩幅があり、胸板も厚く、申し分のない体躯の持ち主だ。人を小馬鹿にしたような笑みを浮かべてはいるが、顔立ちそのものは悪くない。
妹の李淑と、目元が似ているような気がする。
恐らく兄妹は母である李夫人に似ているのだろう。
「悪くない顔だ」
李旦の目が捉えたのは、錦児ではなく、その後ろに控える素月だった。
李旦が一歩、こちらへ近づこうとしたが、そのことに気づいた錦児が素早く先に動く。
「若様、わたくしどもは楼主を待っているだけです。どうぞお気になさらず。お邪魔になるようでしたら、屋敷の外で待ちますゆえ」
錦児に邪魔をされたと感じた李旦は、あからさまに不機嫌そうな表情を浮かべる。
「そこをどけ。俺は後ろの女に用があるんだ」
「し、しかし──」
「錦児、大丈夫よ」
自分を庇ってくれている錦児に、素月は安心させるように声をかける。
錦児は納得した様子ではなかったが、渋々、李旦の前から素月の隣へと場所を移す。
「平民にしては悪くない顔だな。名をなんと言う?」
「素月と申します」
「きちんと顔を見せろ」
目を伏せていた素月であったが、仕方なし、と視線を李旦に合わせる。
当然と言うべきか、李旦は素月よりも背が高い。
なので素月は、李旦を見上げる形になってしまう。
兄からよく、お前はそんなつもりはないだろうけど、相手を睨んでいるように見られることがあるから注意しろ、と言われている。
なので気をつけているつもりなのだが、どうだろうか?
自分の顔は見えないので、よくわからない。
「なるほど……」
数日前、大理寺で斉王に観察されたあの感覚とは違う。
李旦の視線は、相手をあきらかに値踏みしている。
しかもその視線が、蛇が体を這うような気持ち悪さ。
「年はいくつだ?」
「十八でございます」
「十八か……」
錦児は素月のそばにぴたりと寄り添っていた。
絶対にそばを離れない、という強い意思を感じる。
「花仙楼の仕事はどうだ? 針仕事は大変だろう?」
急になんの話だろう?
横柄さはそのままだが、なぜかいきなり、気遣うようなことを言われた。
「今の仕事に満足しております」
「素月は楼主の一番弟子ですから。楼主からの信頼も厚いんです」
錦児の顔には、面倒な客相手に向ける笑顔が貼り付いている。
「花仙楼の名は聞いている。有名な繍坊だろう? 母や妹がやたらと気に入っているようだが、所詮はただの繍坊だ。そこで一生を終えるのか?」
目の前で堂々と花仙楼を馬鹿にされ、素月と錦児は言い返したくなったが、必死に我慢する。
どんなに不快なことをされても、言われても、相手は国公の息子。歯向かってはならない。
「そんな所で一生を終えるよりも、ここで働いてはどうだ?」
「ここ──?」
「この屋敷だ。特別待遇で迎えてやっても良いぞ」
どこまでも偉そうな李旦の言葉に、素月は理解がすぐに追いつかず、何度か瞬きを繰り返す。
この屋敷の縫い子をしろ、という意味だろうか?
広い屋敷を維持するためには、屋敷の住人よりも遥かに多い使用人が必要となる。
この屋敷とて、例外ではない。庭がきれいに整えられ、花が咲き誇っているのも腕の良い庭師がいるからで、回廊の柱が汚れていないのも、それを毎日掃除する使用人がいるからだ。
その使用人の中には、縫い子も含まれる。簡単な繕いもの程度なら屋敷の縫い子に任せる家も多いと聞くし、花仙楼のような繍坊から気に入った繍女を引き抜き、自分の屋敷の縫い子にしてしまう、なんて話もあるほどだ。
そういう意味なのだろうか?
でも隣にいる錦児の顔を見るに、恐らく縫い子として迎えられるわけではなさそうだ。
「恐れ多いことでございます。それにわたくしめはまだ未熟者ゆえ、師の元で学ばねばならぬことがあります」
丁重に、落ち着いて。
素月は抑揚のない声で断る。
「この俺に、逆らうのか?」
李旦の声に、怒り──いや、これはまだ苛立ちだ。
そんな色が滲むが、素月に引く気はない。
花仙楼にいたいのだ。
どこかの屋敷のお抱え縫い子になど、なりたくはない。
どれだけ待遇が良くても、だ。
「お許しください」
素月が頭を下げれば、錦児も揃って頭を下げてくれた。
「大丈夫よ」
錦児が小さな声で、素月を励ます。
ここに錦児がいてくれて良かった。
「たかが縫い子が、この俺に逆らうのか?」
李旦の声に怒りが宿り始め、語気が強くなる。
国公の家に生まれた李旦にとって、他者に命令するのは慣れたもの。歯向かうものなど、いやしない。
何もかもが自分の思うがまま。
だというのに、今この瞬間、拒まれた。
初めて会ったばかりの、ただの繍女に。
それは確実に、李旦の機嫌を損ねてしまった。
「ふざけた女だ……!」
「若様、落ち着かれてください」
従者の一人が、李旦を落ち着かせようとするが、焼け石に水だ。
李旦の手が、素月の細く無防備な腕を掴もうとしたとき。
「何を騒いでいるの?」
部屋の奥から、李夫人と董娟如が現れた。




