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13 隙のない娘


 花仙楼の繍女・素月が、執務室を出て行く。


 それを無表情に見送った徐慧はいつもの定位置、執務机の前に移動し、椅子に腰を下ろす。


「お茶でもお持ちしますか?」


「必要ない」


 江紹の気遣いを、徐慧は迷いなく断る。慣れているのか、江紹は気にした様子もない。


「あの繍女、お前にはどう見えた?」


 主人の問いに江紹は、腕を組んで少し考えるような仕草をする。


「辺境の村の出身にしては、随分と礼儀作法が板についているように見えました。花仙楼の繍女は楼主である董娟如の意向で、最低限の教養と礼儀作法を教えられるそうですが、それでもあの素月という娘は言葉遣い、歩き方──どれをとっても文句のつけようがありません」


 徐慧も同意見だ。


 花仙楼は名の知れた繍坊で、田舎娘であっても、花仙楼で働くことができれば、読み書きもできるようになるし、礼儀作法を学び、垢抜けるという。

 楼主である董娟如が、繍女たちが花仙楼を去った後も困らぬように、という配慮で読み書きなどを教えることにしたそうだ。


 だとしても、あの素月という名の繍女は、完璧すぎた。


 徐慧が姿を見せても焦った顔ひとつせず、冷静に徐慧の身なりを確認し、すぐに跪いた。

 その後も徐慧が許すまで一言も発さず、身動きひとつしなかった。

 こちらの問いかけに対し、淀みなく答え、言葉遣いもなんら問題がない。

 同行者を別室に連れ出した後も、特に表情を変えることもなく落ち着いていた。


 数日前、大理寺に現れた皇太子・徐徹を助けた、繍女・素月。


 どういった巡り合わせなのか、従弟を助けた繍女と会うことになった。

 しかもその繍女は助けただけでなく、従弟の関心を引いた。

 それが単純な興味か好意かは今の時点ではわからないが、それでも女性に対し苦手意識を持つ徐徹が関心を抱いたのだ。


 どんな女性なのか純粋に気になったのだが、予想していた娘とは違いすぎた。

 もっと溌剌とした、それこそ後宮にはいないような女子なのかと勝手に思っていたのだ。


 江紹の言った通り、あの娘は辺境の村出身にはとても見えない。

 あの立ち居振る舞いは、一朝一夕で身につけたものではないと一目でわかる。

 素月が寸尺を記していた帳面を見たが、実に見事な楷書であった。太くもなく細くもない、思わず褒めてしまいそうになったほどの文字。


 あれを田舎から出てきた娘が数年で習得できるのだろうか?


「しかし素月殿は美人でしたね」


「……そうだったか?」


「殿下は相変わらず……。もう少し女性に対して興味を持った方が良いと思いますよ。皇太子殿下のことを言えません」


 江紹に言われ、徐慧は素月の顔を思い出す。記憶力は良い方だ。


 ただ素月は自分よりも背が低く、ずっと目を伏せていたので、きちんと顔を見れていない。

 ただ肌の白さは記憶に残っている。


 あの白さは、きっと女子ならば誰もが羨むものだろう。

 採寸の際、すぐ間近で見えた指先は針仕事の影響で荒れてはいたものの、その白さは失われていない。

 黒く長い髪も艶があった。


 そういえば、匂いがほぼなかったように思う。


 あのくらいの年頃の娘は、匂い袋を持ち歩くことが多い。化粧だってするだろう。

 だがその(たぐい)の匂いがほぼしなかった。


「本当に辺境の出身だと思いますか? もしかして訳ありなのでは?」


「どういう意味だ?」


 江紹の言葉に、徐慧の表情が険しくなる。


「いや、五年前といえば、我が国も色々とありましたから……。もしや敗戦国──金葉(きんよう)から流れてきた名家の娘、という可能性はありませんか?」


 五年前の戦のことを思い出すと、徐慧は胸が締め付けられる。

 あの戦で、徐慧は兄である徐絋を亡くしたのだ。


「仮に金葉から流れてきた娘だとしたら──」


 故意に徐徹に近づいた可能性が出てくる。

 戦に敗れた金葉は現在、万華国の領土。


 敗戦国の君主やその一族が辿る結末は、いつの世も残酷だ。

 大抵が斬首。生きることを許されない。

 金葉も例外ではなかったが、もしあの娘が金葉の皇室に名を連ねる者だとしたら、放置するわけにはいかないだろう。


「しばらく、あの娘から目を離すな。不審な動きがあれば、すぐに報告しろ」


「御意」


 徐慧の指示に、江紹は拱手(きょうしゅ)と共に力強い声を返す。


「一体何者なのだ……?」


 ただの繍女が来ると思っていた。採寸など面倒だが、母からの頼みはなるべく断りたくない──後々、面倒になるから。


 だというのに、採寸のため訪れた繍女は、知れば知るほどに疑念が増すような娘だった。


 きちんと整理された机の上で、徐慧は考え込むように両肘をつく。


 ただの杞憂で済めば、それでいい。

 だが昔から、嫌な予感というものは当たるものだ。


 大理寺少卿という立場上、安易に他人を信じることはできない。初対面ならばなおさらだ。

 まずは相手をしっかりと観察する。


 そして判断を下すのだが、徐慧の目に、あの娘はただの繍女としては映らなかった。

 最初から最後まで隙がなく、ただただ疑念だけが増していく。


 恐らく、向こうもそれに気づいている。


「今はただ、待つだけだな」


 素月のことはひとまず頭の隅にでも追いやり、今は中断していた仕事に戻ろう。

 採寸のため、時間を取ったのだ。


 その穴埋めをしなくては。


 徐慧は書簡に手を伸ばし、いつも通り、少卿としての仕事を再開することにした。



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