エピローグ
本日3回目の更新です
聖ドラクレイユ帝国の崩壊から二週間が経った、ある日のことだ。
ロコディーダ国にある食堂が、とある団体客に貸し切られていた。
厨房では料理人の夫婦とその長男が彼らのためにせわしなく料理を作り、夫婦の長女と次男が給仕をして回っている。
「メグリムさん、このお肉すっごく美味しいです! おかわりもらっていいですか?」
向かいに座るロカの皿にローストビーフを山のように取り分けながら、アーテは厨房に向かって元気よく声をかけた。
「僕そんなに食べれないんだけど。お前が食べろよ」
「でも美味しいでしょ?」
「……うん」
アーテが自信満々に尋ねると、ロカは頬を染めて頷く。してやったりとばかりに満足げな顔で、アーテは口いっぱいにローストビーフを頬張った。
「ふふ。青いのう」
その様子を肴にして麦酒を呷るのはマートンだ。酒が実にうまいとご満悦の彼の前では、ロカがじとっとした目で睨んでもまったく効果がないようだった。
「ロカや、アーテちゃんの手をもう二度と放すでないぞ」
「言われなくてもわかってる。最初からそのつもりだし」
「うむうむ。その意気じゃ。……そうじゃアーテちゃん、お前さんにロカの武勇を話してやろう」
「やったー! たくさん聞きたいです、マートンおじいちゃん!」
「ほっほっほっ。話せと言われなくとも年寄りの話は長いぞぉ!」
「待って待って待って! 恥ずかしいんだけど……!」
赤ら顔のマートンは、吟遊詩人も顔負けのこぶしを効かせた語り口でロカとの出会いから話し始める。
ロカはやめさせようとしたものの、期待に目を輝かせるアーテに勝てない。恥ずかしさでいたたまれなくなったロカは、たまらずその場から逃げ出した。
「姉様、ポトフ、もう一口食うか? それともポリッジのほうがいいか?」
「……」
別のテーブルでは、妹が姉のためにスプーンに掬ったポリッジをふーふーと冷ましている。エミュの眼差しは虚ろだったが、口元に近づけられたスプーンに反応して小さく口を開けた。
「この店すげぇな! いつもより姉様の食欲があるぜ!」
「そりゃそうだ! この五年、エミュ様の食事の世話をしてきたのはアタシなんだから! エミュ様の好きな味付けぐらい知ってるさ」
レアの歓喜の声を聞きつけて、厨房からメグリムが応える。
「なぁおばちゃん、レシピ教えてくれよ!」
「なんで商売のタネを教えなきゃいけないのさ! 知りたかったらここで働きな!」
怒鳴られて、レアはうげっと眉をひそめた。
「オレ不器用なんだよな。でも姉様には美味ぇモン食ってもらいてぇし……」
「多分、貴方に料理の基礎を教えたいだけです。母さんはすぐにそのお方のためのレシピ本を渡してくれますよ。昨日準備してましたから。素直になれない人なので、色々建前が必要なんです。ごめんなさいね」
空いているグラスに飲み物を注いで回っていた女性が、ウィンクしながらレアに囁く。鼻筋に散ったそばかすがチャーミングな彼女はメグリムの長女だ。レアは安心したように胸を撫で下ろし、大きく切ったステーキにかぶりついた。
「っ! なあ、今、姉様が笑ったぞ!」
「本当ですか!? きっとみんなが楽しそうにしてるから、エミュ様にも声が届いてくれたのかもしれないです!」
アーテが勢いよく立ち上がり、メグリムも厨房から顔を出す。ほんのわずかな変化ではあるが、エミュの口元にはかすかに笑みが浮かんでいるように見えた。
「この鍋はオレが見てる。お前は引っ込んでろ。スープが塩っ辛くなっちまうだろ」
「細かい男だね、まったく」
ぶっきらぼうな夫に厨房から追い出されたメグリムは、目元を押さえながら空いている席にドカッと座る。その視線の先にはエミュ達のテーブルがあった。
「おやおや。家族団らんを邪魔しに来たので?」
「うっ……。ご、ごめんなさい、ちょっとだけ避難させてください……」
「ふふ。夫の言うことは気にしないでくださいな」
ロカが逃げ込んだ先はノイシンとヘラ、そして彼らの三人の子供達のテーブルだ。それからもう一人、長男ディアのお気に入りの友達という名目でちょこんと腰掛ける盲目の少女がいる。
ヘラがスペースを空けてくれたので、空いている席から椅子を持ってきたロカは、そそくさとそこに収まった。
「ハトゥ、君を助けてくれたお兄さんが来たよ。この人でしょ?」
「う? ……うー!」
それまでかいがいしく少女の食事の世話をしていたディアが彼女に囁く。少女はきょろきょろと周囲を見渡した。
ディアはロカに断りを入れ、ハトゥというその少女の手をロカに握らせる。
「ぁ、あぃ……あ、お!」
「君は……そうか、メイジン邸で助けた……」
目を縫われて舌を切り取られ、恐怖に震えていたあの少女が、ぴかぴかのワンピースを着て嬉しそうに食事をしている。胸が詰まり、目元が熱くなるのを感じた。
「ディア君だっけ。君がこの子と一緒にいてくれたんだね」
「はい。なんだかハトゥのこと、放っておけなくて。妹がもう一人できたみたいです」
ディアはそう言ってはにかむ。ハトゥはすっかりディアに懐いているようだ。ちなみに彼の実妹は、父親の膝の上でじたばた暴れながらスプーンを口に突っ込まれていた。
次男の面倒はヘラの受け持ちらしい。ヘラはともかく、こうしてみるとあの冷酷そうなノイシンがすっかり子煩悩な父親に見える。
(でも多分、これがこの人の本当の顔なんだろうな)
「人の顔をじっと見てどうかしましたか、ロカ君」
「そういえば、魔法の話、まだ閣下に聞いてなかったなって。ヘラ様が教えてくれたんですけど、どうやってヘラ様を助け出したんです?」
「なっ!?」
ノイシンは盛大にむせた。真っ赤な顔で水をごくごく飲み干してうなだれる。すかさず彼の娘がノイシンの眼鏡を奪った。
「ノイシンさんはね、先帝の寵姫だったわたくしを、あの人から解放してくれたのよ。帝都から遠く離れたデーネンにかくまってくれて、傷ついた人々を助けたいというわたくしのわがままも聞いてくださったの」
「そう、そうです。ヘラが私に下賜されるように仕向けただけですよ」
眼鏡を慎重に取り返そうとしながら、ノイシンはやけくそのように答える。これ以上は教えてもらえないらしい。残念だ。
「そんなことよりも、貴方とアーテさんのこれからについてです。明日、ネイカ大森林に帰るのでしょう?」
「はい。……何はともあれ、親の弔いはちゃんとしておきたくて」
「いい判断です」
ノイシンは優しく微笑む。やはり彼は人の親なのだ。
「旅の無事ぐらいは祈ってさしあげますよ」
ロカも笑い、アーテのほうに視線を向けた。
この判断に不安がないとは言わない。いつか後悔する日が来るかもしれない。
それでも彼女が隣にいてくれるなら、きっと乗り越えられるはずだ。
*
列走車がネイカ大森林の入り口で停まる。降りるのは、アーテとロカを含めてほんの十数人だった。その中にアーテの父はいない。覚悟していたことだ。
まだ乗っている乗客の故郷を目指して列走車は走り去る。次に列走車がネイカ大森林に寄るのは明日の日暮れの予定で、それが帝国に……否、エルファース共和国に向かえる最後のチャンスだった。それを逃せば、騎獣を酷使して山脈を越える羽目になるだろう。
「ただいま、アーテ」
「おかえり、ロカ」
アーテとロカは手を取り合って森の中へと進む。生きてこの森に戻れた人々も、各々の暮らしていた里に向かった。
アーテの手には、綺麗な花がたくさん詰まったバスケットが下がっている。
アーテの両親の遺体はもう土に還っていたし、ロカの両親の遺体もここにはない。それでもこの空っぽの葬列は、遺された子供達が前を向くために必要なことだった。
二人はとりとめのない思い出話に興じながら、荒れた里に辿り着く。
自分達の家がある大樹の根元に持ってきた花を置き、里中に散らばる骨を拾い集めて穴に埋め、協力してお互いの家の掃除をして。気づけばもうすっかり外は暗くなっていた。
「お腹が空きました! きのこのシチューが食べたいです!」
家中をすっかりぴかぴかにして、アーテは床に倒れ込んだ。
「確か貯蔵庫に少しだけ食べ物が残ってたはずですよ」
「残しておいてもしょうがないし、使えるものは全部使っちゃおうか」
「はぁい。わたし取ってきますね」
こうなることを見越して食材を買い込んでおいて正解だった、とロカは荷ほどきを始める。
ミルクや野菜は二人分のシチューにうってつけだ。別の樹にある里の貯蔵庫からアーテが帰ってきたので、二人で夕食の支度にとりかかった。この量なら明日の朝食の分も足りそうだ。
お腹がいっぱいになったので、二人は同じベッドで手をつなぎながら眠りについた。
少し狭いが、ぎゅっと寄り添えば問題ない。すぐに安らかな夢の気配がアーテ達を優しく包んだ。
人がいなくても朝告げ鳥は鳴く。朝食を食べ終えたアーテとロカは、どちらから言い出したわけでもなく自然と森の中を散策していた。
朝露に濡れる草の柔らかくもくすぐったい感触を楽しみながら、アーテ達は慣れ親しんだ森を歩く。
「見て、ロカ。あそこ、倒れた木のとこ。新芽が生えてますよ!」
「本当だ。この森もずいぶん荒らされたけど、自然の力は侮れないね。若い木が集まってくれれば、きっとこの森は生き返ってくれるよ」
初々しくも力強い生命の息吹に、アーテ達は感嘆の声を上げた。
「じゃあ、人間なんかがわざわざ復興しなくても、ネイカは大丈夫ですね?」
「だな。きっとそうだ」
手をつなぎ、二人はまた歩き出す。新しい命の気配を探すように。
「人がすべきは、新しい大地の開拓だと思う。次の世代に幸せな未来をつなげるために。……アーテ、僕と一緒にエルファース共和国に来てくれる?」
「当たり前でしょ?」
ロカをまっすぐ見つめるアーテは大輪の笑みを浮かべる。
彼女の美しい亜麻色の髪を飾るのは、リマリスアの花の髪飾りだ。




