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花散る夜に、偽りの愛にさよならを  作者: ほねのあるくらげ
第四章

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第四十九話 星影の花

* * *


 ある二等市民の裕福な夫人の日課は、粗相をしたと難癖をつけて奴隷を折檻することだ。今日も彼女は理由をでっちあげて奴隷を虐げていた。

 興奮しながら鞭を振るっていたせいですっかり火照った身体を冷まそうと、彼女は何気なく窓を開ける。月のない夜のはずなのに、空は妙に明るかった。


 ある二等市民の子供は、庭で兄弟と鬼ごっこに興じていた。どれだけ遅くまで遊んでいても、暗陽日の今日は怒られない。

 さんざん走り回って、遊び疲れてその場に寝転がる。目に飛び込んできたのは、暗い夜空を埋め尽くす光の奔流だった。


 ある一等市民の紳士は、ひいきにしている娼館で開かれるという背徳的で淫靡いんびなパーティーのために夜の大通りを馬車で走らせた。粒ぞろいの奴隷を揃えた高級娼館には、目的を同じくする客が大勢集まっている。

 扇情的な衣装に身を包んだ高級娼婦が、特別な媚薬だと言って小さな丸薬のようなものを渡してきた。まるで植物の種子のようなそれを、紳士達は疑いもせずに飲み込んだ。


 屍を積み上げて築かれた国のあちこちで、純白に輝く花が咲く。偽りの街灯たいように触発されて花開き、けれどすぐに散っていく。

 風に乗って舞い上がる綿毛はまた次の土地・・で根を伸ばし、瞬く間に成長していった。


 花に寄生される恐怖と苦痛の中、陽竜の民は太陽の神に救いを乞う。けれど静謐の夜にその祈りが聞き届けられることはない。

 これまで数多あまたのエルファース人が辿ってきた、絶望に彩られた無慈悲な最期。それを迎えることだけが、彼らに許されたたった一つの救済だった。 


* * *


 穢れた魔を祓う浄化の花はどこにでも咲く。帝国の中心地、絢爛たる皇宮も例外ではなかった。


「星流し……?」


 流星群という単語に、アーテの意識がバルコニーへと向かう。


「なんだ、見たいのか」


 その声には応えず、アーテはヴァルデシウスの隙をついて彼の手を振り払う。

 アーテが興味を示したと思ったのか、ヴァルデシウスはやれやれと口元を緩めながらアーテを追ってバルコニーに向かった。

 慣れないヒールのせいでろくに走れず歩みも遅いので、逃げるつもりだとは思っていないのだろう。ヴァルデシウスの足取りはひどくもったいぶったものだった。宰相スティンモレーをはじめとした宮廷人達も皇帝にならう。


「なるほど。中々に見事なものだ」


 手すりにもたれて夜空を見上げるアーテの背後で、ヴァルデシウスは感嘆の声を上げた。貴人達も口々に薄っぺらい賛辞を述べる。


「あなた達にこの美しさがわかるんですか?」


 神聖な星流しを軽い気持ちで消費されたくない。けれどこの神秘を人為的に再現し、血塗られた手段として利用したのはロカでありアーテだった。


「ふっ、当然だろう? 無論、夜空を彩る幾千の星よりも我が陽光のほうが美しいが」


 歯の浮くような台詞とともに、ヴァルデシウスはアーテの腰に手を回す。頭上を過ぎていく輝きの正体が星の光などではないことは、アーテしか知らない。


 新たな大地を求めて空を旅する小さな種の一粒一粒は、芽吹くにふさわしいを見つけた。成長と繁栄を求める生物の本能が、豊富な魔力えいようの気配に触発されていた。風に乗りながらもひらひらと舞い落ちて、待ちきれないとばかりに根を伸ばす。 


 初めは小さな違和感。ほんの一瞬、肌を刺した痛みとも呼べない感覚。その些細な変化に気づかない者もいた。けれど気づこうが気づくまいがもう手遅れだ。


 美しい流星を称える声に苦悶の音が混じる。悲鳴と嗚咽が重なった。


「どうした!? 一体何……がっ……!?」


 ヴァルデシウスもそれに飲まれる。よろめいた彼は手すりを支えにしてなんとか立ち、振り返って臣民の様子を見た。


 苦痛から逃れようと無様に身をよじる者、耐えきれずにその場に崩れ落ちる者。無事なのはこの場でたった一人、世界を支配する竜の魔力つばさを持たないアーテだけだった。


「アーテ……リンデ……お前は……無事なのだな……? よかった……」

「……」


 ヴァルデシウスは、日ごろの倨傲な態度からは考えられないほどに弱々しい笑みを浮かべる。皇帝たる彼は自分よりも、付き従ってきた臣民よりも、奴隷の寵姫の無事を喜んでいた。 


(たとえ嫌いな人だって、誰かが苦しんでるところは見たくなんてありません。……でも、目はそらしちゃいけないんです)


 そんなヴァルデシウスをまっすぐ見つめるアーテの瞳に決意が灯る。だって、ロカの罪を一緒に背負うと決めたから。


「何が起きているか、わからないが……ここは危険だ。早く中へ……」


 伸ばされた手を、アーテはぱちんとはねのけた。


「アーテリンデ? 今はお前の強がりにかまけている場合ではないのだぞ?」

「強がりなんかじゃありません」


 ヴァルデシウスの驚いた顔。下される罰の痛み。けれどアーテの瞳は揺らがない。


「わたし達ハフリトは、あの光の一つ一つをご先祖様の魂だと考えています」

「何の話を……」

「星魂花の輝きは、命の輝きそのものです。あなた達がこれまで奪ってきたたくさんの命が、今あなた達を苦しめてるんですよ」

「まさかお前は……この惨状がどうやってもたらされたものなのか、知っているというのか?」


 ヴァルデシウスは目を見開いた。最愛の寵姫の裏切りに、わなわなと唇が震える。星魂花の根は、呪詛のように彼の体内を這いずり回って締めつけていた。


 ヴァルデシウスはもう一度、バルコニーの様子を視界に収める。

 花を咲かせて干からびた貴族は多い。まだ息のある者も、痛みと苦しみにのたうち回るばかりで周囲の声など耳にも入っていなかった。


 この場でもっとも豊富で優れた魔力を持つヴァルデシウスはまだ生命力を吸いつくされるに至っていないが、いずれ自分もああなるのだろうという予感はある。

 それでも彼が平気なように振る舞っているのは、皇帝である自負、そして何よりも最愛の少女の前で無様な姿は見せられないというプライドのおかげだった。


「……いや。それも当然だな。お前は、この国のすべてが嫌いだと言っていた」


 手すりに背中を預け、ヴァルデシウスは自嘲気味に嗤う。


「お前が何を知っているのか、あるいは何をしたのか……そんなことはどうでもいい。たとえお前の心の内がどうであれ、アーテリンデ、お前が余の愛しい寵姫だということに変わりはないのだから」

「……」


 ヴァルデシウスの腕に小さな双葉が芽生えた。血管を巡る茎が皮膚を突き破って体表にまで葉を茂らせたのだ。星魂花に体中を侵されながら、それでもヴァルデシウスは笑みを崩さなかった。


「我を照らす愛の光、我が愛しき日輪よ。人ではお前に近づけなかろうが、陽竜達の王たる余には天をかける翼がある。たとえお前の輝きで目が潰れ、お前の炎で余のすべてがき尽くされようと、余はお前に手を伸ばすだろう」


 ヴァルデシウスはその場にずるずるとしゃがみこむ。それでも彼はもう一度、アーテに向かって手を差し伸べた。アーテがその手を取ることはないが、彼もそれはわかっていた。


 ヴァルデシウスが指を鳴らす。アーテの片耳にずっとかかっていた重荷が消えた。鈍い灰色の小さな板がバルコニーの床に落ち、かしゃんと音を響かせた。


「耳標が……!」

「これでお前は自由だ」


 アーテは片耳を押さえる。強引に開けられた穴の痛みはまだ残っていたけれど、確かにそこにはもう何もなかった。


「そのうえで、これだけ伝えさせてくれ──愛している、アーテ」


 余計な装飾のついた偽りの名前ではなく、出会った時に一度だけ告げた本当の名前。

 彼が自分で与えた名前ではなく、生まれた時からアーテの名前だったもの。

 自らくさびを手放して、死の縁に立つヴァルデシウスは初めてその名でアーテを呼んだ。


「ほだされるつもりはありません。あなたにされたたくさんのひどいことを、わたしはきっと一生赦さないでしょう」 


 自己愛に満ちた偽りの愛を捨てたからといって、死んで赦されるなんて思わないでほしい。綺麗な思い出になんて絶対にさせない──けれど。


「やっとあなたはわたしを対等に見てくれましたね。……だからわたしも、あなたとちゃんと向き合います」


 皇帝と奴隷はもういない。ただの青年と少女として、初めて二人の目にお互いが映る。 


「──ごめんなさい。あなたの想いには応えられません。わたし、好きな人がいるんです」


 アーテはぺこりと頭を下げる。ヴァルデシウスは一瞬きょとんとして、満足げな高笑いを上げた。 


「だろうな! お前は余の元を離れ、彼方かなたへと飛び立っていくのだろうよ!」

「はい。だって、わたしの居場所はここじゃないから。……これも、お返しします」


 アーテは氷の髪飾りを引き抜く。亜麻色の髪がはらりと風に揺れた。

 アーテはヴァルデシウスのそばにしゃがんだ。生気を吸われてすっかり冷たくなっていく彼の手に、愛の証を握らせる。すぐに立ち上がったアーテを、ヴァルデシウスは愛しさと悲しさの混じった目で追った。


「アーテ!」

「ロカ!」


 バルコニーに乱入するもう一つの影。息せき切らせた少年にアーテは駆け寄る。アーテの熱い抱擁を受けて少年は安心したように相好そうごうを崩したが、すぐに射殺すような目をヴァルデシウスに向けた。


(そうか。あの男が、“ロカ”なのか)


 ヴァルデシウスは震える手で冷え切った氷の花を握り締める。


 最後に残った力で、あの忌々しい恋敵を殺すのはあまりにたやすい。自分を捨てた少女ごと氷結の槍で貫いてしまえばいいだけだ。


 だが、ヴァルデシウスはそれを選ばなかった。 


 だってロカを前にしたアーテの表情が、今まで見たどんな彼女の顔よりも美しく輝いていたのだから。


(余に渡す愛がないのも道理だな。それでも……嫌悪と憤怒以外の感情を、一片だけでもアーテから向けてもらえた)


 ふ、と。ヴァルデシウスの口元に小さな笑みが浮かぶ。再会を喜ぶ恋人達の笑顔はあまりにも眩しすぎて、今ぐらいのかすむ視界だからこそちょうどいい。 


「お前が皇帝ヴァルデシウスだな?」

「愛に敗れた男に一体何の用だ?」

「うるさい。まだ死ぬなよ、お前にはやってもらわないといけないことがあるんだ」


 ロカは懐から巻紙を取り出し、ヴァルデシウスに向かって投げつけた。


「啓蒙出兵の時、声を遠くまで響かせる魔法を見た。お前にも同じ魔法が使えるな?」

「……それがどうした」

「そこに書いてあることを読み上げろ。国中の人間に聞こえるように。皇帝おまえの言葉で聖ドラクレイユ帝国を終わらせるんだ」


 アーテを背に庇い、ロカは強い口調でそう命じた。ヴァルデシウスは諦めがちに目を伏せて巻紙を手に取り、その紐を解く。


「ロカと言ったな。お前の要求は呑んでやろう。だが、一つだけ約束しろ──アーテを連れて今すぐここを去れ。醜く命を散らしていくさまなど、アーテにだけは見せたくないのだ」


 花を咲かせ、そして新しい綿毛を撒き散らしながら死んだ貴族達を指差す。もう誰もが息絶えていた。


 苦悶に顔を歪めて干からびた彼らには、生前の壮麗さなど見る影もない。いずれ自分もああなるのだろうと、ヴァルデシウスは喀血しながら悲壮に呟く。 


「わかった」


 台本通りのメッセージを読み上げずに捻じ曲げられる危険はあった。それでもロカは逡巡の末に同意する。殺したいほど憎んでいる恋敵とはいえ、同じ少女を愛した者として通じ合うものがあったからだ。 


「行こう、アーテ」

「うん!」


 アーテはヒールを脱ぎ捨てた。ロカと手をつなぎ、皇宮の冷たい床を蹴る。


「ああ、そうだとも。どこへなりとも行ってしまえ、アーテリンデ! お前が選んだその男こそが真実の愛の相手だというのなら、余が捧げた偽りの愛などお前には不要なのだろう!」


 自由を手にして走り去る最愛の少女の背中を目で追うヴァルデシウスの顔は、すがすがしいほど晴れやかだった。

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― 新着の感想 ―
ついにアーテが自由になり真の意味でロカと再会できて良かったです! 皇帝はある意味可哀想な人ですね。今までアーテたちにやってきたことを考えると一切同情はできませんが
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