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花散る夜に、偽りの愛にさよならを  作者: ほねのあるくらげ
第四章

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第四十八話 夜の帳

* * *


 その日の正午、聖ドラクレイユ帝国の各地で奴隷達が花の種を植えていた。


 ある者は主人の家の庭や窓辺の植木鉢に。ある者は街道沿いの花壇に。ある者は農地の片隅に。


 魔力を帯びた大地に根付いた種は通常では考えられない速度で発芽してつぼみを作る。けれどその見慣れない葉の植物を、多くの人間は素通りしていた。


 日が暮れる少し前に国中で異変が起き始める。何人かの不運なドラクレイユ人達が突然体中にできた湿疹をかきむしり、呼吸困難に陥ったのだ。


 日没までのたった一時間ほどの出来事で、被害としてはそう多くない。外で倒れた人々はすぐに治療院に搬送されて、すぐに帰ってくると思われた。


 けれど家の中で、家族が全員倒れた場合はその限りではない。

 息も絶え絶えになりながら奴隷達を叱咤して助けを呼ぶよう命じても、昏い目をした奴隷がそれに応じることはなかった。


 被害の記録として残るのは、治療院に運ばれた者だけだ。


 だから、大した実害は出ていない、偶然の一致だとみなされた。何か持病の発作でも出たのだろう、と。


 一日にも満たずに咲いてしぼんでいく花のことなど、誰一人として気に留めない。


 宵の空に一番星が輝く──帝国の崩壊まで、あと三時間。 


* * *


「なんだってんだい、まったく」


 苛立つような口調とは裏腹に、メグリムの口元には微笑が浮かんでいた。


 彼女の腕の中にはすやすやと眠る赤子が一人。

 丸い耳に、うっすらと生えた黒い髪。本来であれば奴隷メグリムが抱くなど許されないはずの、ドラクレイユ人の赤ん坊だ。


 プリゼイル宮にこの子供を連れてきた、眼鏡をかけた三等市民の男が言うことには、この子こそエミュの産んだ皇子らしい。

 にわかには信じられない話だが、彼の必死な様子に飲まれたメグリムは彼の頼み──迎えが来るまでこの赤ん坊と一緒に使用人室にこもるのを承諾することにした。


「こんなことして、アタシまで何かの罪でしょっぴかれないかねぇ」


 エミュもアーテも、それからモニータもいないプリゼイル宮はすっかり静まり返っている。けれど腕の中に収まる小さな命の温もりが、寂寥をかき消してくれていた。 


「んうぅ……うー、うー……」

「おお、よちよち。起きちまったのかい? もうちょっとおねんねしてようねぇ」


 メグリムは猫なで声で赤子に話しかけ、腕を大きくゆさゆさと揺らす。寝起きでぐずりそうだった赤ん坊は、すぐにキャッキャと笑い出した。 


「確かにエミュリエンヌ様に似てるかもね。鼻の形なんてそっくりだ。……アンタは父親みたいな男にはなるんじゃないよ、皇子サマ」

「んぁ!」


 用意していた哺乳瓶でミルクを飲ませ、赤ん坊の背をトントンと叩く。赤ん坊はけぷっと小さくげっぷをして、すぐにうとうとと目を閉じた。  


* * *


 覚醒と微睡まどろみを繰り返したアーテがベッドから起き上がれるようになったのは、陽が沈みかけてからのことだった。


 アーテは重い体を引きずって続き部屋の浴室に閉じこもる。せっけんでこすりすぎた肌が赤くひりつきだして、そこでやっと浴室から出られるようになった。

 瑞々しい肌の上で踊る水滴を柔らかなタオルでぬぐい、部屋着のワンピースに袖を通す。これで一息ついたと思ったアーテだが、望んでいたような休息は訪れなかった。バァンとドアが開け放たれて、ヴァルデシウスが来たからだ。


「よかった、お前は変わりないようだな」

「急になんなんですか」


 その顔はしばらく見たくなかったのに。アーテはツンとそっぽを向く。

 ヴァルデシウスは気にすることなくずかずかと歩み寄ってきて、まだ乾ききっていないアーテの頭をよしよしと撫でた。


「実は、我が息子が何者かにさらわれたそうなのだ。余に叛意を持つ者の仕業かもしれぬ」

「さらわれたって、大事件じゃないですか!」

「乳母や警備の者はみな薬で眠らされていて、何もわからないらしい。今、その役立たずどもを含めた捜索隊が血眼ちまなこになってフレドラークを探しているところだ」


 もしも皇子が無事見つからなかったら、その“役立たずども”はどうなるのだろう。ヴァルデシウスの底冷えするような眼差しに、アーテはぶるりと身を震わせた。


「なに、そう心配することはない。全員優れた魔法の使い手だ。すぐにフレドラークの痕跡を辿り、無事に見つけ出すだろう」

(皇子はエミュ様の子です。何事もないといいんですけど)

「……それにしても、その恰好はなんだ? ずいぶん色気のない格好だな」


 ヴァルデシウスはアーテの頭からつま先まで無遠慮にじろじろと見た。 


「何を言い出すんですか、急に」

「今日は月に一度の暗陽日だからな。夜通し終わらぬ大きな舞踏会パーティーを催すのだ。お前にも出席してもらう。メイドは用意してやるから、早く盛装に着替えろ」

「自分の子供がいなくなったのに!? パーティーなんてふざけてるんですか!?」


 アーテは耳を疑った。だが、ヴァルデシウスは本気ようだ。


「この舞踏会は毎月の恒例行事だぞ。下手に中止すれば帝室の沽券にかかわる。フレドラークも、舞踏会が始まる前には見つかるだろう」


 ヴァルデシウスは不遜に笑った。


「余の寵姫が襲われ、皇子がいなくなった。これをしでかした者、そして臣下達に知らしめなければならぬ。余の威光はその程度では霞まぬ、とな。お前とフレドラークの無事な姿を見せつけて、臣民を安心させるのだ」

「そういうことは、皇子をちゃんと保護してから言ってくださいよ」

「なに、捜索隊も心得ている。フレドラークの身に何かある前に、必ずや助け出すだろう。そもそも、余の息子を害せる者などこの世界にいるはずがないが」

「……」


 アーテは諦めのため息をつく。この賤民思想と権威主義で頭の凝り固まった傲慢な男には何を言っても無駄なようだ。  


「そもそもわたし、パーティーなんて行きたくないんですけど」

「お前に拒否権があると思うか?」


 ヴァルデシウスはアーテの長い髪を一房掬う。


「お前は何もしなくていい。ただ余の隣に立っていれば、それで十分だ」

「あなたの奥さんになる人が可哀想です。新しい奥さんを見つけるんじゃなかったんですか? パーティーなら、わたしじゃなくてその人と行ってくださいよ」

「お前の気にすることではない」


 むしろヴァルデシウスは、彼女達やその裏にいる権力者達に見せつけたいのだろう。たとえ皇后に選ばれたとしても、寵姫アーテより優遇されることは絶対にないのだと。アーテからしたらいい迷惑だが。



 結局最後までアーテの意思は無視されて、ヴァルデシウスに連れられて舞踏会の会場である大広間に連れてこられてしまった。

 太陽の間というたいそうな名前の通り、大広間には大きなまばゆいシャンデリアが吊り下げられている。大粒の宝石で飾り立てられた豪奢なそのシャンデリアは、一般的な三等市民の四人家族であれば二十年は安定した生活を保証するだけの価値があった。

 だが、この場に集まる一等市民のドラクレイユ人達にとってはただの調度品に過ぎない。皇宮を飾るのにふさわしい装飾の一つで、それ以上でもそれ以下でもなかった。 


 招待客が列をなしてヴァルデシウスに挨拶に来る。誰よりもきらびやかなドレスと氷の花の髪飾り、そして何よりアーテがいるのは玉座のヴァルデシウスの膝の上。嫉妬の視線がアーテに集中する。履かされたヒールのせいで足も痛い。何もかもが最悪だった。 


「奴隷の分際で、本当に目障りだこと」

「尖り耳ごときが陛下の寵愛を受けるだなんて信じられませんわ」

「あんな下賤なメス、本当に死んでしまえばよかったのに」 


「あれでは次の后を迎えたとして、后の立つ瀬がないだろう」

「まったくおこがましい寵姫だ。実に下品でけしからん」

「陛下の寵愛さえなければ、ただの家畜に過ぎないというのに……」


 万が一にもヴァルデシウスの耳に入ってしまわないように、貴族達がひそひそと交わす言葉はアーテの耳にまでは届かない。それでも、ちらちらと向けられる悪意に満ちた顔はごまかしようがなかった。


「お前さえ望むなら、全員処刑してやるぞ?」

「やめてください。誰のせいだと思ってるんですか」 


 囁くヴァルデシウスを冷たくあしらい、アーテは険しい顔でまっすぐ前を見つめる。

 ヴァルデシウスの腕はアーテの腰にがっちりと回されていて、もう片方の腕は力強く手首を押さえている。逃げたくても逃げられない。気を張っていなければ涙がこぼれてしまいそうだ。


「わたし、いつまでここにいればいいんですか」


 やっと招待客の列がはけた。羞恥で頭が爆発しそうだが、それでもアーテは声を振り絞る。 


「そうだな、そろそろ踊るとするか。なに、お前は余に身を任せていればよい」


 ヴァルデシウスはいやらしい笑みを浮かべながらアーテを立ち上がらせる。


 ちょうどその時、バルコニーのほうから声がいくつかの聞こえてきた──流星群が見える、と。

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