第十五話 希望を集めて
エミュの手元の皿にはアーテのそれより少し小さめに切られたシフォンケーキが一切れ載っていて、フルーツソースが添えられている。飲み物もお茶ではなくミルクだ。妊娠しているエミュのために、メグリムはいつも注意を払っている。
「美味しいでしょう? メグリムは料理だけじゃなくて、お菓子作りも得意なのよ」
「イヤですね、エミュリエンヌ様。褒めたって何も出やしませんよ。せいぜいお茶とケーキのおかわりがあるぐらいで」
「おかわり食べたいですっ。メグリムさんも立ってないで一緒に食べましょう?」
「ったく、この子は……」
メグリムはちらりとエミュに目配せをする。エミュが笑いながら頷いたので、メグリムはため息をついて椅子をもう一脚持ってきた。
優しい人達と一緒に囲む、美味しいケーキと温かいハーブティー。庭の花壇にはエミュが世話しているらしい春の花が咲き乱れていた。
エミュが飾ってくれていたレフノースク以外は知らない花ばかりだったが、綺麗だということはわかる。花の名前を尋ねれば、エミュは嬉しそうに一つ一つ教えてくれた。ここがマガツトの国だとは思えないぐらい満ち足りた空間だ。
(このケーキ、里のみんなにも食べさせてあげたいな)
一緒にドラクレイユに連れてこられた人達は今どうしているのだろう。自分だけこんな穏やかな時間を享受していていいのだろうか。胸の奥に巣食う焦燥と罪悪感がじわりじわりとにじみ出す。
(……だめです。気にしてたら、潰れちゃう)
心を落ち着かせたくてハーブティーを口に含む。喉に広がる清涼な味わいが、悩みをまとめて吹き飛ばしてくれた。
「こんなに美味しいケーキを作れるなんて、メグリムさんはほんとにすごいです。もしメグリムさんが食べ物のお店をやってたら、わたしきっと毎日通っちゃいます」
明るく笑うと、メグリムは照れ臭そうに鼻の下をこすった。
「そりゃ結構。この国に徴用される前はね、旦那と二人で食堂をやってたんだ」
「えっ、そうだったんですか?」
「アタシの故郷はずっと昔からドラクレイユの属国でさ。五年に一回、大人が百人ぐらい抽選で選ばれてはドラクレイユに徴用される決まりなんだ」
「そっか。だから奴隷に……」
「十年働けば国に帰れる。アタシの任期はあと三年。店のことも子供達のことも旦那に任せきりにしてたから、今さら帰るのはおっかないけどねぇ。ま、一番上の子がしっかりしてるから大丈夫だろうけど」
メグリムの双眸には確かに望郷の念が宿っている。一日も早く故郷に帰って家族と再会したいのだろう。その気持ちはアーテにも痛いほどわかった。
(でもきっと、ここから一緒に逃げましょうって言っても二人ともついてきてくれません。だからってわたしだけ逃げたら、二人に迷惑がかかっちゃいます)
使命感に溺れてしまったエミュに、今さら言葉は通じない。彼女は今も砂の氏族を守っているつもりでいる。アーテの誘いに応じるとは思えなかった。
仮にエミュを無理にでも外に連れ出そうものなら、五年分の幻想を壊してしまうだろう。その時エミュは一体どうなってしまうのか。しかも今の彼女は妊娠している。エミュに余計な負担はかけられなかった。
メグリムはあと三年耐えれば自由の身だ。けれどここでアーテと一緒に逃げてしまえば、それまでの時間が無駄になる。
七年もドラクレイユで働いていた彼女が、残りの任期から逃げ出してまで今すぐ祖国に帰ろうとするとは考えづらい。失敗した時のリスクを考えれば、自動的に解放される三年後を待つだろう。何のペナルティも受けないし、大手を振って祖国に帰れるのだから。
逃げるとすればアーテ一人だ。だが、同じ家で暮らしている以上、アーテがいなくなればエミュとメグリムが監督不行き届きで責められることがあるかもしれない。
二人のことは好きだし、アーテのせいでひどい目に遭ってほしくなかった。仮に逃亡に成功したとしても、残していった二人のことが気がかりできっと何も手につかなくなってしまうだろう。
「確かメグリムの一番上のお子さんは、わたくしと同い年ぐらいなのよね?」
「そうですよ。さすがにエミュリエンヌ様ほどの別嬪さんじゃありませんけどね。それでもアタシにとっちゃ世界一可愛い娘です。弟達の面倒もよく見てくれて。一体どんな大人になったのやら」
「大事な人と会えないのはつらいですよね……。旦那さんもお子さん達も、きっとメグリムさんに会いたがってると思います」
アーテはしみじみと頷く。エミュも目を伏せた。彼女も故郷と家族に思いを馳せているに違いない。
「実はわたくしにも、アーテぐらいの年の妹がいるのよ。男の子みたいに元気いっぱいで目が離せないんだけど、とっても素直でいい子なの。アーテを見てると、あの子を思い出すわ。幸せに暮らしているといいのだけれど」
「……いつか会ってみたいです。エミュ様のご家族にも、メグリムさんのご家族にも」
アーテも、エミュも、メグリムも。それぞれの理由で家族と別れて故郷を離れ、聖ドラクレイユ帝国に囚われている。同じ苦しみを分かち合う者同士、そこには確かに絆があった。
「みんなでメグリムさんのお店に行ったら、きっとすごく楽しそう。わたしも大事な人を連れてきます。みんなで美味しいごはん、食べましょう?」
「いいわね。とっても素敵だと思うわ」
「ちゃんと金は払ってもらうからね? こっちだって商売なんだから」
それはいつ果たせるかわからない約束だ。戯れ言だと一蹴されてもおかしくない。叶うわけがないと、心のどこかで思われているかもしれない。けれどエミュとメグリムは、賛同を示すように笑ってくれた。
(まずは、この国を出てからやりたいことをたくさん見つけていきましょう。生きる希望にするために。自由を諦めない理由は、一つでも多いほうがいいですから)
アーテも笑う。闘志を胸に秘め、いつか自由になる日を待ち望みながら。
(今すぐには逃げられなくても、わたしは必ず帰ってみせます。ロカもわたしのこと、探してるに決まってますから。帰ってくるって約束させたのはわたしなのに、わたしが里にいなくてきっとすごく困ってるでしょ?)
ロカの手を引いて振り回すのはいつだってアーテの役割だった。ロカを一人になんてさせない。アーテがロカに会いたいと思っているのと同じぐらい、きっとロカもアーテに会いたがっているだろう。ロカは絶対に生きている。根拠はないが、そう信じることこそアーテの一番の希望だった。




