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花散る夜に、偽りの愛にさよならを  作者: ほねのあるくらげ
第二章

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第十四話 牢獄のお茶会

 翌朝、ヴァルデシウスが皇宮での朝餐のためにプリゼイル宮を後にすると、アーテは浴室で身体を清めてから寝室のドアを開けた。

 ドアの前には、メグリムが作ってくれた朝食が置かれている。灰豆団子と鶏肉のポリッジ、それから手で剥けるぐらい皮が柔らかくて食べやすい果実。しゅわしゅわでさっぱりしていて、少しだけ酸っぱい飲み物の入った陶器の入れ物も。


 メグリムは毎日三度の食事を黙ってドアの前に置いてくれる。今の姿を見られたがらないアーテを気遣ってか、それともヴァルデシウスと会うわけにはいかないのかはわからないが。

 ここ最近はずっとヴァルデシウスに手ずから食べさせられていたが、今日の彼は何を思ったのかそそくさと出ていったのでその必要はない。トレーを持ち上げて、アーテは一階の食堂に降りた。


 食堂ではちょうどエミュがメグリムに給仕されながら朝食を摂っているところだった。


「アーテ!」

「おはようございます、エミュ様。メグリムさんも」


 アーテはエミュとメグリムにぺこりとお辞儀をした。


 ずっと自分の部屋にこもっていたアーテが姿を見せたことによほど驚いたのか、エミュはカトラリーを置いて椅子から腰を浮かせている。

 エミュのグラスに冷えたフルーツウォーターのおかわりを注いでいたメグリムも、ぽかんと口を開けて動きを止めてしまったので、なみなみと注がれた水がどんどんあふれていった。


「メグリムさん、お水、お水。こぼれちゃってます」


 見かねたアーテが声をかけると、メグリムは「やっちまった!」と口走りながら慌てて布巾を引っ掴む。


「エミュ様。わたしもごはん、ここで食べていいですか?」

「も、もちろんよ、アーテ。ここはあなたの家でもあるのだから、わたくしの許可なんて必要ないわ」


 エミュはぎこちなく微笑んだ。アーテにどんな言葉をかけたらいいか、考えあぐねているのだろう。あふれた水の後始末に追われながらアーテを横目でうかがうメグリムも、主人と同じように思っているのかもしれない。

 けれど結局、二人とも何も言わないでいてくれた。彼女達の厚意に甘えることにして、アーテはもう一度お辞儀をしてから席に着く。


「わたしのこと、気にしてくれてありがとうございました。……二人のこと、モニータさんが教えてくれてたんです」


 実際のところ、モニータがそれをアーテに『教えてくれていた』のは善意ではない。自分の主人でもないアーテに毎食欠かさず食事を用意するメグリムを要領の悪いババアと罵り、何度誘いをかけても皇帝にすげなく袖にされ続けるエミュをみじめな年増と嘲笑っていただけだ。だが、そんなことまで二人に言う必要はないだろう。

 モニータの甲高い声はアーテの鼓膜を無遠慮に揺らす。おかげで部屋に閉じこもっていても、この家の様子はなんとなく把握できていた。


 つっけんどんだが本当は優しいメグリム、たとえ壊れていたとしても誇りを失わないエミュ。そんな二人の行動は他ならない自分のためなのだと、そう好意的に受け取って前向きに解釈できる程度にはアーテは素直で純真で、世界から愛されることに慣れていた。


「これまで心配かけちゃってごめんなさい。でも、わたしはもう大丈夫です」


 鼻の奥がツンとする。手が震えてうまくスプーンが握れない。視界がぼやけていくことに気づき、アーテは慌てて目をぎゅっとつぶった。


(せっかく部屋の外に出られたのに。泣いたらだめです。だって、二人の前で泣いちゃったら)


 涙をこぼすまいとまぶたでき止めようとするアーテを見て、エミュはおもむろに立ち上がった。


「いいのよ、アーテ」


 それ以上の言葉はない。そんなものはいらなかった。だってエミュは、アーテを温かく抱きしめてくれたのだから。


「うっ……うぅ……」


 その柔らかなぬくもりに、アーテもとうとうこらえきれなくなる。


「かえりたい……かえりたいよぉ……!」


 エミュにすがりつき、アーテはこの国に来てから初めて大声で泣いた


* 


 それからヴァルデシウスはプリゼイル宮に来なくなった。あれほど足しげく通っていたのが嘘のようだ。けれどそのおかげでアーテは平穏に過ごすことができ、少しずつ笑顔を取り戻していった。


「アーテ、今日は天気がいいから庭でおやつを食べない? メグリムがケーキを焼いてくれたのよ」

「やった! いただきます!」


 エミュの誘いに、アーテは朗らかに応じる。


「奴隷のくせに能天気だねぇ。プライドとかないのぉ?」


 二人で裏庭に出る途中、廊下ですれ違ったモニータが意地悪な眼差しをアーテとエミュに向けた。


「陛下に飽きられて相手にされないからってぇ、傷の舐め合いの仲良しごっこぉ?」

「違いますよ。いつまでもくよくよしてたら身がもたないから、少しでも楽しいことを作ってるんです」


 アーテは朗らかに言い返した。逆境に置かれているからこそ、気を紛らわせるものは一つでも多いほうがいい。つらい境遇にいる者は四六時中つらい思いをしていないといけないなんて決まりはないだろう。


(確かに、悲しい時に泣くと気分がすっきりします。だけど何もしないで泣いてるだけだと、いつか溶けて消えちゃうような気がしますから)


 嘆きの海に溺れて沈み、やがて自分そのものが涙と一緒に流れていく。そうなれば、また自我のない人形に逆戻りだ。しかしアーテの考えがモニータに伝わることはない。


「そんなことしてる暇があったらぁ、もっと陛下に気に入られるよう努力してればぁ? じゃなきゃそのうち捨てられちゃうよぉ?」


 モニータはくすくすと嗤う。すると庭のテラスからメグリムがぬっと顔を出し、モニータをぎろりと睨みつけた。


「そういうアンタこそ、無駄口叩いてる暇があるなら自分の仕事ぐらいきっちりやったらどうなんだい! いつまでもだらだら怠けてばっかでホント使えないったら!」


 メグリムは怒鳴りながら、のしのしとモニータに近づく。モニータが逃げるより早く、メグリムのこぶしがモニータの頭頂部に振り下ろされた。


「いったぁぁ!? なにすんのよぉ、このクソババア!」

「せっかく皇宮付きになれたのに、そのザマじゃ今にクビになるよ! 今より金を稼げる職場がそう簡単に見つかるとでも? アンタ、親の代わりに返さないといけない借金があるんだろ?」

「余計なお世話だっつーの!」


 怒りか恥じらいか、あるいはその両方か。拳骨を食らったモニータは顔を真っ赤にしてメグリムを振り払い、ずんずんと二階に上がっていった。自分の部屋で過ごすのだろう。

 叱られたからと言って態度を改めるつもりはないようだが、アーテも彼女に頼みたい仕事などなかったので放っておくことにした。モニータの召使いとしての仕事ぶりには期待していないし、そもそも彼女のことを召使いとは思っていない。


 ヴァルデシウスが来なくなったので、モニータはアーテの部屋の掃除をしなくなった。炊事も掃除も洗濯も、身の回りのことは当初の予定通りアーテが自分でやっている。たまにメグリムに手伝ってもらうことがある程度だ。軽い家事は寝たきりだった身体のリハビリにちょうどよかった。


「あの子、ご両親の借金のせいで自分を売ったのね」


 エミュが痛ましげな眼差しで振り返るが、メグリムはそれを鼻で笑う。


「可哀想だとは思いますけどね。自分がどんな不幸な生い立ちを抱えてようと、他人ひと様に当たっていい理由にはならないでしょう」


 メグリムはそれ以上モニータに構う気はないようだ。アーテとエミュをガーデンテーブルに座らせ、ハーブティーとシフォンケーキをサーブする。


「ふわふわですっごく美味しいです……!」


 シフォンケーキに添えられた生クリームは濃厚だが、決してしつこさを感じさせずに柔らかいシフォン生地を引き立てる。甘くなめらかなクリームと軽やかで繊細な口当たりのシフォンは、まるで舌の上で蕩けていくようだ。

 この至福が逃げてしまわないように、アーテは口元をしっかり押さえてケーキの味を堪能する。そんなアーテをエミュは微笑ましげに見ていた。

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