第二章
思いが錯綜している。
大野は自分は幸せだったと言っていたが、読み手の私は彼女の人生は悲劇だったように思えてしまってならないのだ。幸せが手からこぼれおち、おちた幸せを捨てきれなかった一人の女性。そして最後は自らで終止符を打った。
どうしても同情してしまう。同情することが正解でもないし弔いにすらならないことはわかっている。それでも彼女のことを哀れに思う。
『俺は…何も言えなかったな…』
亘の後を追い、二階へ続く階段を登った。
階段を上り切ると亘が口を開いた。
「多くのことを説明しなければなりませんが、どうかもう少しお待ち下さい。」
亘の口調には嘘がないように思えた。きっとここで問いただしても何もいいことはない。そんな気がした。
私は小さく頷くと、亘は安心したように胸に手を置いた。
二階には本だけではなく、DVDを見ることのできるスペースがあり、私はよく友人達と授業の空き時間に暇を潰していた。
本来DVDが置かれているはずの棚には、本がずらりと並んでいた。私はその中から一冊手に取り、表紙を見た。
【杉本巧】
まただ、また…聞き覚えがある。大野と同じ。彼女の時はその正体に気がつくことはなかった。今回、その正体を知ることはできるのだろうか。
いつも暇をつぶしていた椅子に座った。私は一息つくと辺りを見渡した。いつの間にか亘の姿は消えていた。亘がいなくなったのと同時に、ある変化に気がついた。
「この図書館、大学の図書館そのものじゃないか。」
確かに、当初は似た図書館だった。しかし、今では確信を持って言える。
ここは私の…いや…俺の母校だ。
自分を指す言葉さえ、混同していた。
俺は『私』と自分のことは言わない。それすら、気づかなかった、忘れていることすらわからなかった。
亘は最初夢の中だと言った。俺は最初は疑わなかった。よくある夢だと。
ぼやけていたはずのものがしっかりと輪郭を帯びてきた。
【杉本巧】
この本は私に何を問いかけるのだろうか。
表紙をめくった。
大野は絵本だったが、杉本は写真が載っていた。
幼少期、杉本と父親がバスケットボールをしている写真。二人の顔は真剣そのものであった。
その次のページもバスケ。また次も。
小学生ぐらいの杉本、手にはトロフィーが握られ、両親に抱擁されている。
「バスケ一色だな。」
杉本の写真はバスケとともにあった。笑顔、泣顔、真剣な眼差し、そのすべてに。
彼が中学生になったであろう時、部活の入部式の写真があった。杉本の隣には、少し小柄な男の子が立っていた。これは…
「…俺」
そうだ、俺だ。杉本巧とは中学生の時、バスケ部で出会った。あいつはは経験者で俺らのことを引っ張っていたエース。俺はというと、成長期が遅くて他の同級生より小さかった。
なぜ忘れていたのだろう。
ページをめくる。杉本は相変わらずバスケ三昧。大会でも活躍していた。そんな写真の中には俺の姿も写っていた。杉本と俺はいつも一緒だった。部活帰りには一緒にコンビニでアイスを食べたり、部活のメンバーで海に行ったり、時には喧嘩したりしていた。
そんな他愛のない日常。俺たちの青春。その全てが写真となって目の前に現れた。
「あのバカ…」
言葉とは裏腹に、俺は嬉しかった。自分の思い出と他人の思い出が重なった。その重なりは俺の心を温めてくれる。
だが…
俺はこの先のことを知っている。知っているのに思い出せない。いや、思い出したくない。これ以上ページを進めてはいけない。
そんな思いと相反して俺の体は本を、杉本の人生を読み進めていった。
『やめろ、やめろ、やめろ!』
同じ高校に入学、同じ部活、二人して学校のマドンナに惚れて告白、玉砕。そんな日常。しかし、終わりが近い。
「お願いだ…やめてくれ…」
そして、最後の写真。俺らは地区大会で優勝した。その瞬間、寒気に包まれたその瞬間が写真に刻まれていた。チームメイト全員泣きながら喜んでいる。その中の中心に俺と杉本がいた。最後、俺のアシストからの杉本のシュートで勝ったんだ。そして、それから…
「俺は事故にあって死んじまったんだよな。」
杉本だった。隣の席に杉本が座っていた。昔と変わらない生き生きとした姿だ。
「なんだよ、お前。そんなに歳取っちまったわけ?もうそろそろおじさんじゃんか。」
自分の頬が涙で濡れていることにやっと気がついた。
「杉本…おまえなのか?」
俺は涙を流しながら杉本に質問をした。
「親友の顔を忘れちまったのかよ。俺は杉本巧。ここがどこでなんなのか、そう言ったことはいずれ分かるから説明はしない。そんなことより俺はおまえに伝えたいことがある。いいか?よく聞けよ。」
昔からそうだ、杉本は人の話を聞かない。いつも俺が話を聞いては笑い合っていた。
「俺は突然死んじまったけどよ、後悔は全くないんだよな。やりたいことを全力でやったし、お前たちと最高の瞬間を味わった。自分の人生を写真にして色々考えたけどよ、やっぱり後悔なんてしてないって思えたんだわ。特にさ、お前といた時本当に楽しかったぜ。殴り合いの喧嘩もしたよな。最後の地区大会で勝った時、あんなに泣いたこともない。」
杉本は、深く息をすると、俺をじっと見つめてきた。
「後悔はないけどよ、やっぱり早すぎたよ、死ぬには。地区大会の後のこと、俺見てたんだ。全部見てた。俺がいたら何かできるんじゃないか、なんでみんなそんなに暗くなってんだ。俺はここにいるぞって!」
「生きていたら、きっと皆でもっと笑い合えた。親父やお袋にだってもっと孝行できた。妹にだって優しくできた。お前とだって大学に入ってからも、一緒にバスケして旅行して、お互い結婚して、子供もできて、じじいになってヨボヨボになって…それでも親友でいられた。」
杉本は目に涙を浮かべながら、俺の方に拳を突き出してきた。
「全部済んだらさ、聞かしてくれよ、お前の人生。」
「ああ…ああ!任せとけ、バカやろう!!」
俺らは拳を合わせた。
杉本が消えて少しして、亘が歩いてきた。
「全てをお話しする時が来ましたね。」
俺は静かに立ち上がった。