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 受け取ったスーパーの袋の中にはスポーツ飲料やお菓子などがぎっしりと詰め込まれていた。高熱で脱水症状にならないよう気をつけるよう言われていたので、スポーツ飲料はありがたい。お菓子も……、何故か私の大好きなメルヘンチックなイラストがプリントされた可愛いパッケージばかりだった。素直に、嬉しい。

 おみやげのお菓子の袋を幾つか開け、皿に盛ってちゃぶ台に置く。

 そっと課長の目の前に菓子皿を動かすと、神無月課長ははっと顔を上げた。

「いや。俺はいいんだ。長月さん、無理をしないで、座ってくれ」

 無理をしないでと言われても、すでに課長が私の部屋にいる事自体に無理がある。

 狭い部屋なので、ベッドのそばに小さなちゃぶ台がある。同じ部屋に小さな冷蔵庫だってある。そんな狭苦しい部屋に、あの課長が……。

 色々おかしいとは思うが、もうそれは考えないことにした。

 立っていてもしかたがないので、課長の真向かいに座る。

 しばらくして、課長が話し始めた。

「昨日のことは大変申し訳なかった。私の確認不足だ。掃除の方に話を聞いたんだが、長月さんの付箋が捨てられていたと。きっと、朝から仕分けをして付箋を張っていたんだな」

 え、と。

 驚いて言葉が出なかった。

 そこまで調べてくれたのかと、素直にうれしくなる。

 嬉しくて、急に気恥ずかしくもなった。だって、この狭い部屋に、二人きりだ。私は、熱でどうにかなってしまったんじゃないのか。

 一人暮らしの部屋に、男を引き入れるなんて……!

 急に自分のした事を認識し、頬が赤くなる。

 心臓には、静まれと、一生懸命に命令した。

「どうした?! 具合がわるいのか!!」

「い、いえ。いえ……。その。正直、嬉しくて」

 私は何を口走っているのか。

「課長がそこまで親身に調べてくれたのだと思うと……」

「俺が君の事に親身になると嬉しいと?」

 自分でも、若干コントロールが効かなくなってきている。

 課長の口調が変わったことに気づかず、言葉を続けてしまった。

「はい。ずっと、フォローされることもないほど嫌われていると思っていましたので」

「何だと?」

 はっと。

 一段と暗くなった課長の声に、我に返る。

 改めて課長の顔を見ると、不愉快だと言わんばかりの表情だった。

 沈黙が訪れる。

 これ以上、何を言ってもまた怒られるだけかもしれない。

 私は浮き足立った心が、急にひんやりと冷めていくのを感じた。

 辛いし。

 怖いし。

 悲しい。

 俯いて黙っていると、ふうと大きく息を吐く音が聞こえた。

「……。確かに、長月さんは特別だよ」

「はは。特別嫌いですか」

 乾いた笑い声が口から漏れる。

 はっきりと、宣言されてしまった。

 絶望で目の前が真っ黒く塗りつぶされるようだ。

「いや、だからっ」

 ばんっと。

 課長が机を叩いた。

 私はビクリと肩を震わす。

 ああ。今日はそんな風に怒鳴られるのかな、と。もはや他人事のように課長を眺めた。

 その時、ベッドからかしこまった書類が落ちてきた。

 何もこんな時に、と。

 駄菓子屋の長男の釣書をもう一度ベッドに戻す。

「長月さん……。見合いするの?」

 次に聞こえてきたのは、かすれたような頼りない声だった。

「まあ。私もそろそろ身の振り方を考えなければならない歳ですし。両親が勧めてくれていて……。それに、社内の皆さんに嫌われてまで居座るなんて……できないです」

 本当は、駄菓子屋の長男と結婚なんて嫌だ。

 出来れば今の会社にしばらく居続けたい。

 けれど、無理な話かもしれないとも思っている。

 まだ迷っている。けれど、わがままを言えるような状態じゃない。揺れる思いを反映するかのように、私の声も小さくなった。

 その時だ。

 課長が急に身を起こし、ちゃぶ台を持ち上げた。

「長月さんっ」

「え……え?」

 大きな声で名前を呼ばれ、混乱する。

 課長は持ち上げたちゃぶ台を部屋の隅に移動させ、再び私の目の前に座り込み。

「俺と付き合って下さいっ!!!」

 綺麗な形で土下座した。


「今まで本当にすまない。君を前にすると、どうしても緊張して顔が強張るんだ。下手な事を言って嫌われるのも怖かった。それならいっそ俺が君を嫌えばと何度も考えた。でも、無理だ。君が他の男と結婚などと、吐き気がする」

「え?……え?、え?」

 何をどう間違えたら、こんな状況に陥るのだろうか。

 課長が必死に私のことを好きだと訴えている。

 それは分かるのだが、頭が追いついてこない。

 私は不思議な思いで課長の言葉を聞いていた。

「好きなんだ。君は俺の特別なんだ」

「あ、特別嫌い……なのでは?」

「……。長月さん?」

 疑問に疑問で返された。私の言葉に気分を害したのか、課長が素敵な笑顔を張り付かせて身を起こした。

 気づけば課長の手が間際まで迫っている。

「返事を、聞かせてくれないか?」

 両手で顔を持ち上げられ、無理矢理上を向かされた。

 すぐ目の前に、課長の顔が近づいてくる。

「あの。返事をしたらどうなりますか」

 一応、確認。

「もし”はい”なら、このままキスする」

「……」

「もし”いいえ”なら、考えなおしてもらうためにもこのまま……」

 そこで言葉を区切り、課長は口だけでニヤリと笑った。


 ……このまま何だというのか。

 けっして熱のせいではなく、私は頭痛を感じた。


 目を閉じ、少しだけ考える。

 でも、本当は考えるまでもない。

 私は自分の手を課長の腕に沿わせ、静かに唇を寄せた。

おしまいです。

読んでくださってありがとうございました。

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