第一話
対して広くもない部屋。白く染まった空間の中で、少年と少女が対峙していた。
平均的な身長をした少し線の細い少年は、やる気のなさそうな構えで、油断なく少年を見据えている頭一つ小さい少女に向き合う。
その少年の態度に苛立ったのか、少女は地面を蹴って動いた。
「せやぁ!!」
短い少女の掛け声が響く。
その掛け声とともに繰り出されたのは、しなやかに鍛え上げられた足から繰り出される五連撃。
意識を刈り取らんと的確に急所を狙ってくるその攻撃を、眠そうに開かれた目で見ながら、少年は動かない。
普通ではありえない行動に少女は目を見開きながらも、足の動きを緩めることはない。当然、少年はその攻撃をもろに受けることになった。
ドガッ
攻撃を受け、吹き飛ぶ少年。一瞬だけ身を捻ったが、そんな小細工が通じるような攻撃力ではなかった。
吹き飛んだ先の壁に叩き付けられ、その身を地面に崩れさせる。
そのまま追撃と思った少女だったが、壁に背を預けるように座った少年の声を聞いてその行動を止めた。
「…はぁぁぁぁーーーー…」
深いため息。
場違いなほどに大きなため息を吐いた少年は、首を動かし前を向く。そして、もう一度大きなため息を吐いた。
「…はぁぁぁぁーーーー…めんどくせー……」
ため息を吐くと幸せが逃げると言うが、今のため息はまるで全ての幸せを放り投げたような印象だ。
さらに、最後に付け加えられた台詞が、少年の心を一言で物語っている。
はねっ毛の多い暗めの赤色の髪をガシガシと掻き毟りながら、少年は立ち上がる。快活そうに見える瞳だが、その黒曜石のような黒色の瞳は痛みのためか今は細められていた。
その少年の様子を見て、少女は耐えかねたように声を上げる。
「…なんで本気でやってくれないの? 私、そんなに頼りない?」
「……そんな訳ねーよ。ただ……ねみーんだが…そしてめんどくさい…」
悲しさのこもった視線とその言葉に、少年はまるであくびを噛み殺すように顔を歪めながら答える。
そんな少年の反応に、少女は少年を蹴り飛ばしておいてなんだが、涙を流しながら嗚咽を漏らす。
「……なんで……なんでそうなの? なんでそうなっちゃったの…? あの頃みたいにかっこいい―――」
「―――止めろ。…それ以上は言うな」
涙を流しながら訴える少女に対し、少年は手をかざすことでその言葉をふさぐ。そして、そのまま少女へと歩みより、少女の頭をやさしく撫でた。
サラサラと流れる、腰までまっすぐ伸びた暗灰色の髪を撫でながら、少年は口を開く。
「めんどくせーもんはめんどくせーんだ。大体、なんでいきなり戦おうなんて言いやがるんだ、まったく」
「…でも…でも…!」
空をそのまま切り取ったような澄んだ青色の瞳は、涙で濡れて真っ赤になっている。あやされる様に頭を撫でられているが、少女の気持ちは晴れなかった。
「…俺のめんどくさがりなんて、今に始まった事じゃねーだろ? だからさ、もうこの話は終わりだ、な?」
「…うぅ…」
「だー! めんどくせーなったく! 俺はもう気にしてねーって言ってんだろ何回も! お前がしんみりしてると俺がつらいんだよ!」
「…うん、そうだよね…。…私がしっかりしてないとね…」
「そうだ。それでいいんだよ…ったく、手間かけさせんじゃねーよ」
少年は少女の頭から手を放すと、名残惜しそうな少女の視線を無視し、部屋から出て行こうとする。
「…お前には、もう迷惑かけたくないんだ…いいな?」
そう言って部屋を後にする少年の背中は、深い悲しさの暗い闇を背負っていた。
キーンコーンカーンコーン…
「はーい、今日の授業は終わり! 明日に今日やった所のテストやるから、きちんと覚えておくように! それと、明日はお待ちかねの魔力測定会だ! 体調管理はきちんとしておけよ!」
少しばかり耳障りなチャイムが鳴った後、一人の男が手を叩きながら号令を出す。
都立ウィルナメント魔法学園。その名の通り、魔法を扱った授業や教養を学ぶ所である。
だが、そんな学園はこの世界、コルトアニアには幾らでもある。この世界に生きる全ての人間が魔法を扱えるのでは、それが当然だからだ。
その中でも、この学園は特殊である。その理由は、スカルブディーア帝国自身が運営、管理をするだけでなくその授業の目的と内容、学園の存在する位置にある。
浮遊島メアライズ。大陸の一部を切り取ったかのような巨大な浮遊島の中に、この学園は存在していた。
いや、この学園のためだけにメアライズと呼ばれる浮遊島が作られたと言った方が正しいだろう。浮遊島全てが学園の敷地であると言う事からもその事が分かる。
なぜそんな学園が存在しているかと言うと、それはこの世界の情勢に起因していた。
「あー終わった終わったー。なーユーブメルト、これからどうする? 俺はこれから少し呼ばれてるんだけど、その後に少し遊ばねえ?」
「…めんどくせーからパス。それに、俺理事長に呼ばれてるし」
授業終わりの少しうるさくなる時間帯、騒ぎ始めた若者たちの教室の中で一際目立つ影があった。
薄緑色の髪は、前髪で人を刺せるのではないかと言うぐらいに尖って自己主張しており、少し切れ長の瞳は髪の毛と同じ色に輝いている。
そして極めつけは、首に巻きつくようについた濃い紫色のあざのようなもの。そのあざのようなものを隠そうともしない事から、中々に第一印象が全員一致しそうな少年だ。
そんな少年が話しかけたのは、はねっ毛の多い暗めの赤色の髪をした、ユーブメルトと呼んだ少年。
心底嫌そうに、そしてめんどくさそうに緑色の髪の少年の誘いを断りながら、自らの用事を話す。
「げ。理事長って、あの統括理事長か? お前、よく呼ばれるよなー」
「何なら変わるか? 楽しいと思うぜ、セリスク」
セリスクと呼ばれた緑髪の少年は、ユーブメルトの切り替えしてきた言葉に思いきり顔をしかめた。
「嫌だよ。ってかどうして楽しくなるんだよ!」
「…さぁ? お前の不幸体質も、そこまで行くと感極まったなって」
「感動する所じゃないからな、普通!? 一人の友人として気遣えよ!」
「嫌だねめんどくさい」
バッサリと友人の助けを切り捨て、ユーブメルトは教室から出る。
後ろの方から何か叫んでいる声が聞こえてきたが、ユーブメルトはサラリと無視しながら先を急いだ。
目指す先は理事長室。ただでさえ広い学園の最中央部に位置する、学園の『へそ』とも呼ばれる部屋である。
そんな部屋にユーブメルトが行く理由はただ一つ。その部屋の主、フレリック・アンヴェルディーから呼び出しを受けたからだ。
普通の場合、一生徒と統括理事長と言う一番の権力者が会う機会はそうそう無い。会ったとしても、それは入学式や卒業式などの限られた場合のみだろう。
だが、ユーブメルトとフレリックはその『普通の関係』では無かった。
コンコンコン…
「誰かな?」
「ユーブメルト・レディナスです」
「おお、ユーブメルト君か。入ってきてくれ」
ノックをした後、帰ってきた言葉に返事をしながら、ユーブメルトは少し豪華な扉を開けながら理事長室に入った。
入ってすぐに目につくのは、赤。この都立ウィルナメント魔法学園のシンボルカラーである赤の装飾の成された家具だ。
そんな目を焼きそうな奇抜な部屋の中にいたのは、妙齢の男性。
第一印象は、誰もが必ず抱くであろう。もじゃもじゃな人間だった。
顔を一周するようにひげが生え、口が動くたびに揺れるひげが少しだけその男の顔の印象を良いものに変えている。ほりの深い顔。ひげがなく、髪も綺麗に揃えている状態であったならただの強面のおっさんでしかない。
それら全てが黒色とくれば、誰もがこの人物を二度と忘れることはないだろう。
「…態々呼び出して何の用ですか、フレリックさん」
「気に障ったのならすまないね。ちょっと気になることがあって、僕の所に来るように連絡させてもらったんだよ」
飄々としたとは言いすぎだろうが、何とも軽い雰囲気でユーブメルトの元に近づいていくフレリック。
統括理事長と言う役職にいながら、彼は授業を行う教師でもある。
「内勤ばかりだと鈍るからねー」とは彼の談だが、それでも最高権力を持ち、この学園のある浮遊島の管理を全面的に任されている立場の人間とは思えない雰囲気だ。
「…そうですか。で、気になる事ってなんです? ちなみに先に言っておきますけど、学園生活上は何も問題ありませんよ。平和そのものって奴です、めんどくさくなくて良い事ですね」
「先回りされてしまうとはね…。ま、僕としては君の近況が知りたかったんだ。この所何かと忙しくて話もできなかっただろう? 君の保護責任者としては、色々と心配になるのさ」
「その件に関しては感謝してます。でも…」
フレリックの出した保護責任者と言う単語に、ユーブメルトは少し目を伏せながら答える。
「…あの事件から、俺とあなたの関係が始まった。あの時から、あなたは俺と『家族』になろうと努力してくれた。でも、俺が、俺自身がそうする事を拒否してるんです。俺の家族は……あの二人だけだから…」
遠い目をしながら、悲しみのこもった眼でフレリックを見つめるユーブメルト。
ユーブメルトの言ったあの事件とは、この世界では大変珍しい部類に入る海難事故の事だ。大陸の周りにある島国が連合した、造船技術が発達しているクレック共和国製の船は、よほど航海士がへまをしない限り事故はしないと言われていたからである。
だが、それでもその事件は起こった。乗船者300人。そのほとんどが亡くなるか行方不明の未曾有の大惨事だ。
その中で、唯一生き残った人物。それがユーブメルトだった。
生き残ったとは言っても、怪我がなかった訳ではない。四肢の至る所に傷が残り、海面に叩き付けられた衝撃であばらの骨は砕けていた。だが、その怪我を治すのは、魔法と言う力のあるこの世界では造作もないこと。
それでも大変だったのは、心の傷である。目の前で両親を失った記憶。それは、ユーブメルトの心を縛る鎖になってしまっていた。
たった10歳の少年には、酷すぎることだ。
「それは分かっているよ。だからこそ心配なんだ。レディナス家とは、兼ねてより親交が深かったんだから、僕の家とはね。君の両親にも頼まれていたしね。『家族以外の相談役になってくれ』ってね」
そんな悲しみの過去を知っている旧知の仲であるからこそ、フレリックはユーブメルトの身を案じていた。
どんなに時間が経っても、深く抉られた心の傷が癒えることはない。癒えたとしても、それはただ傷を隠し、その表面を薄い膜で覆っているだけ。
―――やせ我慢とも言うべき薄い膜で。
それを自覚しているユーブメルトは、自嘲しながらこう答える他なかった。
「…うちの両親も勝手だな…まったく…」
「それは僕も思うよ…。でも、僕が君の事を案じている、その事は事実だからね。安心してくれていい。何かあれば相談にも乗るよ」
「ありがとうございます。いずれ、頼りにさせてもらいますよ」
「いずれ、か…まあそれでもいいさ。あ、そうそう」
礼をした後、理事長室を出て行こうとするユーブメルトに、フレリックは少し慌てた様子で声をかけた。
「明日は魔力測定会だと言う事らしいけど、頑張ってね」
柔らかい笑みでユーブメルトに応援の言葉をかけるフレリック。
その笑みに、ユーブメルトは少し苦笑しながらも、声はあげずに手だけはあげた。
パタン…
扉を閉め、ユーブメルトは細く長い息を吐く。
いつも吐くようなため息や、彼の口癖ともなりつつある『めんどくせぇ』とも違う雰囲気の息の吐き方だ。
何かを決意したような、気合を入れ直すためのような、そんな息。
「―――飯、食うか」
たったそれだけの事に気合を入れ直したのか、とも思う事なのだが、ユーブメルトにとっては意外とこれが重要な事なのだ。
ユーブメルトは、その気になればと言うのも変だが、食事をしなくてもある程度はやっていける。
彼自身理由は分かっていないが、食事と言うエネルギーの摂取の行為を行わなくても彼自身、平然としていることが多いからだ。
一度ひと月近く食事をしていなかった時は、フレリック以下数人の友人にもこっ酷く怒られた。そして、その後に出てきたのは今からパーティーでも始めるかと言わんばかりの食事量。
その光景に思いきり引いてしまったユーブメルトだが、周りの威圧感にも耐えかねてその料理をすべて片づけた。
そしてこれまた不思議な事に、すべて平らげれば30人前ほどの料理の量だったと言うのに、ユーブメルトは全く苦しくなかった。いや、むしろもっと持って来いとも言いそうな雰囲気になってしまったのだ。
そのちょっとした事件?から、ユーブメルトがしばらく『大食漢』と呼ばれることになったのは余談である。
たったそれだけの事に珍しく決意をしたユーブメルトは、この学園に通う者の大半が使うと言ってもいい食堂に向かって足を踏み出した。
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